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 なんだか、せっかくの親切を、上目線――しかも嫌味で返されたと思うのは気のせいだろうか。
「あ、電気はつけたままでお願いします」
 成美はそう言って、薄い掛け布団を顔まで引っ張りあげた。
 電気を消そうと半身を起こした氷室は、ちょっと不満そうにも見えた。
 が、素直に成美が用意した布団に身体を横たえる。
 ――失敗だったかな。
 ベッドの上で、成美は居心地悪く寝返りを打った。
 家具やパソコンで殆どスペースのないリビングの板間に布団を敷くのがなんだか嫌で――、というより、ついいつもの習性で、氷室の布団をベッドの横に用意してしまった。
 成美の部屋には、男もののインナーもあれば、氷室の身長と趣味にあったパジャマだって置いてある。
 布団だって――小さなシングルベッドに2人では、あまりに氷室が窮屈そうだったから、大きめのものを買ったのだ。
 捨てようと思いながら、捨てられなかった。
 そんなものを未練たらしく残していた自分を、氷室はどう思ったろう。
 しかも部屋に泊まれといった挙句、寝室まで一緒にするなんて――
 成美は、床に敷いた布団で眠る氷室をちらっと見た。
 彼は自分の腕を枕にして、黙って天井を見上げている。
 ぐっすり眠られても腹立たしいが、こうしっかりと起きられていても…………。
「……電気、やっぱり消しましょうか」
「どちらでも」
 そう言ったきり、氷室が動かないので、成美は起き上がって電灯の紐に手を伸ばした。
 電気が消える間際、垣間見えた氷室の表情の険しさが、少しだけ気にかかった。
 再び布団に入った成美は、数度寝返りを打ち――諦めて聞いた。
「何、考えてるんですか」 
「明日のことです」
 感情のこもらない声で、あっさりと返される。
「……堺先生のこと?」
「まぁね。間違っても君のことを考えていたわけじゃないので、安心して寝てください」
 ああ、そうですか。
 かちんときて、成美は再び氷室に背をむけると布団を被った。
 まぁ――とはいえ、明日のことを一切考えていなかった私の方が、むしろ問題かもしれない。
 結局、堺医師へのアポを含めて、その所在地の確認も、全て氷室任せにしてしまった。
 で、今こんなにも深刻な顔をさせてしまった。――そもそも堺医師のところに行くと言い出したのは成美で、彼は反対していた立場なのに。
「……氷室さん、ひとつ聞いてもいいですか」
「どうぞ」
 闇の中、成美は氷室の方に向き直った。
「なんで、そんなに反対したんですか」
「ん?」
「鍵のこと――。私にそれを調べさせたくなくて、氷室さん、わざわざ私を追いかけて来たんでしょう」
「…………」
「氷室さん本当は、鍵の用途を知ってるんじゃないですか。その鍵は――その……」
 何か大変な秘密を隠している鍵、とか。
「後藤家は江戸時代から続く旧家で、古いだけに他に漏らせない秘密が多いんですよ」
 闇の中、氷室の淡々とした声がかえってきた。
「水南は、そういった闇の記録を探しだしては少しずつ処分していたようでね。屋敷自体も取り壊すように、生前、彼女の親戚筋にあたる幼馴染に頼んでいたようなんです」
 それは……もしかして。
「三条、さん?」
「……あの男と会った?」
 氷室の声に少しだけ緊張が交じる。
「はい。偶然……後藤の家の前でお会いして。でも雪村さんと一緒でしたし、ただ立ち話をしただけですから」
 成美は急いでつけくわえた。
 三条に車で連れ回されたとか、氷室の過去を知らされたとか――ここで話をまぜかえしては面倒なことになると思ったのだ。
 なにしろ三条守は、紀里谷を使って成美の身辺を探らせていた。その裏で糸を引いていたのは後藤水南だが、氷室は少なくとも――紀里谷の告白を信じればだが――、三条守が紀里谷の雇い主であったことは知っているはずなのだ。
「三条さんは、水南さんの親戚にあたるんですか?」
 氷室は何か言いたげだったが、諦めたようにひとつ息を吐いた。
「……水南の父親は、三条家の分家の出なんですよ。後藤家は女系家族で、僕をのぞき、ほぼ例外なく三条家から婿養子をとっているんです。だから両家の結びつきは――切ろうにも切れないほど複雑で、深い」
 そういえば、そんな話は雪村からも聞いたことがある。
 それに後藤伝八――『狂犬領主』が先祖だと、三条自身も言っていた。
 ようやく成美は、三条守が屋敷を解体しようとしている真意がわかったような気がした。
 彼は、ただ、愚直なまでに忠実に、水南の遺志を実行しようとしているだけなのだ。
 後藤水南に対する、恋というよりむしろ肉親に近いような情愛は、彼が水南を、女としてよりは家族として愛していたからなのかもしれない。
「鍵が、本当に生前水南が身につけていたものなら――それがなんのために僕の部屋に残されていたのかはまだ判りませんが――何かしら、後藤家にとって不利な過去と関わりあいがある可能性がある。それを他人が、しかも不用意に見るべきではないと思ったんです」
 なんだ、アルカナのことじゃなかったんだ。
 成美は肩から力が抜けるのを感じた。
 そうだよね。もしそんなものが残されていたとしたら、大変なことになる。
 そもそも後藤家とアルカナは無関係だし、そこに水南さんが絡んでるとか、――想像をふくらませすぎだ。
 でも――だとしたら。
 それが本当に水南さんの残した鍵なら、もうひとつ、鍵の用途について、思い当たる物がある。
「青い本……」
 成美は呟き、氷室の反応を見守った。
 すでに成美がそれを知っているのを承知しているのか、彼は黙ったまま動かない。
「――氷室さん、鍵は本の隠し場所を示しているんじゃないでしょうか。水南さんの遺言の」
「タイトルも作者名もない青い本、ですか」
 氷室の口調はやや冷めていた。
「そんなものは実在しませんよ」
「でも」
「少なくとも本の形としては実在しない。――最初は馬鹿みたいに一冊一冊本を開いて確認しましたけどね。何かしらの暗号かもしれないと思って」
「見つからなかったんですか」
「だからそもそも、そんな本は実在しないんです。――あれは」
 あれは?
「……いずれにしても、君には関係ない話ですよ。もう寝ませんか。少し頭を整理したいことがあるので」
「………………」
 つまり、思考の邪魔だから黙れってことですね。
 私にもよくわかりました。
 あなたのそんな冷たい一面――2人が恋人だった時にはうまく隠されていた一面が。
「わかりました。もう寝ますけど――、てゆうか、たかだか後藤家の昔の記録が出てくるのが、それほど危険なことだったんですか?」
 腹立ちまぎれに、つい成美は話を蒸し返していた。
 あれだけ血相を変えて鍵を渡せと大騒ぎしたくせに――なんだか、振り回された自分が馬鹿みたいだ。
「君は何も知らないですからね」
「ええ。知りませんよ。私はてっきりアルカナでも隠されてるのかと思いました。心配して馬鹿みたい」
 闇の中、いきなり氷室が跳ね起きる気配がした。
 え?――と息を引いた時には、闇よりもなお暗い影が、頭上に覆いかぶさっている。
 成美は息もできずに、目の前の影を見あげた。
「今、なんと言いました?」
「何って……」
 息がかかるほどに顔が近い。彼の重みでベッドがきしみ、下半身が動かせない。
 抵抗しようと咄嗟にあげた両手首を捕まれ、乱暴にベッドに押し付けられる。成美はあえぐように胸で息をした。
「今、君は何を言った?」
「し、心配して馬鹿みたい」
「その前」
 その時にはもう成美にも、自分の失言が判っていた。
 ばれてしまったのだ。
 私が彼の――最も踏み込んでほしくない場所に、土足で入り込んでしまったことに。
 それから数秒――成美には永遠のように長く感じられたが――恐ろしい沈黙が続いた。
「なるほどね」
 彼の声は、かつて聞いたことがないほど冷淡だった。
「……なるほどって」
 自分の声がからからに乾いている。
「君を――いや、雪村さんの調査能力を、僕は少々甘く見積もりすぎていたようですよ」
「お、怒ってるんですか」
「……僕が怒っていないとでも?」
 氷室の冷たい指が成美の顎をすくい、喉に滑った。
「今すぐ君を、玩具みたいに弄んで壊してしまいたいほど――怒っていますよ」
 ざわっと背筋が総毛立った。
 怖い――でも、それだけではない甘美なざわめきが胸の底で目覚めはじめている。
 顔をそむけると、氷室の息が首筋に触れた。ひどくそこが敏感になったような気がして、成美はぴくっと微かに身体を震わせている。
「……日高さん」
「っ……は、はい」
 成美はぎゅっと目をつむった。
 腕と喉に触れる氷室の指が、微かな熱を帯びてきたような気がする。
「申し訳ないですが、今夜君を眠らせるわけにはいかなくなりました」
 はい――……
 その時、ふっと身体にかかった圧力がなくなった。
 え? と思って、おそるおそる薄目をあけた瞬間、室内の電気がともされる。
「さぁ、全部話してもらいましょうか」
 腕を組んで立つ氷室は、唇に微笑は浮かべていても、目はまるで笑っていない。さながらサディストの鬼軍曹、といったところだろうか。
 成美の全身から、さーっと血が引くのがわかった。
「ぜ、全部って……」
「言葉どおり全部。――座ってください」
 もう何を言われても逆らえない心理状態の成美は、言われもしないのにベッドの上で正座している。
「君と雪村さんがどこに行って、何を調べて、誰から何を聞いたのか―― 一から全部、何もかも正直に話してもらいます」

 
 
 
 
 
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Copyright2011- Rui Ishida all rights reserved.この物語はフィクションです。