16
 
 
 平日の午前だということもあってか、東北の街の空港は、どこか人気がなく閑散としてみえた。
 空港内のショッピングモールを抜けてエントランスから空を覗くと、灰色の雲がどんよりと重くたちこめている。
 この地方の天気予報は晴れだった。今も空港に出入りする人は誰も傘を持っていないから、この辺りではこの天気を晴れというのかもしれない。
 成美はショルダーバックを肩にかけなおすふりをして、何気なく背後に視線を向けた。
 今朝、自宅を出た時からずっと気をつけてはいるが、尾行者などいそうもないし、仮にいたとしても――判らない。
 それでも氷室の指示どおりタクシーを拾い、成美はメール画面を見ながら行き先を告げた。わかりにくい場所なのか、初老の運転手は首をかしげ、地図を開いてからようやく車を発進させる。
 思えば氷室を探そうと決めてから4ヶ月近くが経っている。短いようで長かった旅の最後の一日は、まだ始まったばかりだった。
 
 
 
 
 料金を払ってタクシーを降りると、そこは閑散とした住宅街だった。
 灰色の雲はますます空気を重くよどませ、成美は傘を買ってこなかったことを後悔した。
 運転手が迷っただけあって、同じような建売住宅がいくつも軒をつらねている。
 一瞬途方にくれた成美だが、さすがに氷室が指示しただけあって、目指す場所は、すぐ目前にあった。
 どこかさびれた遊具が並ぶ、誰もいない児童公園。
 わずかな不安をかみしめながら、そっと、公園に足を踏み入れる。
 ここで待つようにということ以外、もう氷室からの指示はない。成美はまだ、彼がどこにいて、何をしているかさえ知らされていない。
「……あ」
 公園の半ばまで足を踏み入れた成美は、少し驚いて声をあげた。
 てっきり無人だと思った公園に、一組の親子がいたからだ。
 砂場でしゃがみこんで一人遊びをしている男の子と――その前にあるベンチに座る父親だ。
 男の子は、この地方に本拠地をかまえるプロ野球チームのキャップを被っている。年の頃は小学校2、3年くらいだろう。
 この時間、学校は休みなのかとふと思った。それくらいの年の子どもが、たった一人で砂遊びをしている様も、どこか奇妙だ。
 一方父親は――それが男の子の父親ならだが、長袖のシャツを重ね着してデニムのパンツを穿いている。片手にはスマートフォン。どこから見ても、日曜日の公園でたまに見る若い父親といった風情だが――今は、平日の正午少し前である。
 思わず足をとめてしまった成美に、父親が気付いて会釈してきた。
 しまったな……と思いつつ、成美も仕方なく会釈を返す。
「お一人ですか」
 しかも声までかけてくる。
 低くてよく通る声は、そこそこ離れていてもはっきり聞こえて、すでに知らない顔で通りすぎるのも失礼な感じだった。
「ええ、まぁ」
「ここで、誰かと待ち合わせでも?」
 何故そんなことまで判るのだろうか。思わず口ごもる成美に、男は愛想よく微笑みかけた。
「人を探しているように見えたので。よかったら、お待ちの間、少しお話でもしませんか」
 えっ? 
 まさかこんな場所でナンパですか? 
 それか……もしかしてママ友探し?
 一瞬の迷いから返事ができないでいる間に、男はタイミングよく立ち上がった。
「どうぞ。この公園で座るところといったら、ブランコかこのベンチしかないですよ」
「………………」
 えーと。
 結局どう断っていいかわからない成美は、立ったままの男の笑顔に応えるように、ベンチの傍に歩み寄った。
 まぁ、子連れだしナンパだと思うのはうぬぼれが過ぎるというものだろう。
 それに、こうしていれば氷室さんが来てくれるかもしれないし……
 近づいてみると、男は、遠目で見た印象ほど若くはなかった。20代の後半か30の前半くらい。むろん、パパとしては若い部類に入るのだろうが、こんな時間に公園にいるとなると、何かわけありのような気もしてくる。
 少し驚いたのは、男の意外なまでに整った顔だちだった。綺麗な眉に切れ長の瞳。左右のバランスもよく――よすぎるほどで、まるで一昔流行った韓国俳優のように端正な顔だちをしている。
「あの……私別に、子連れってわけではないんですが」
 遠慮がちに成美が言うと、男は涼しげな目を屈託なく細めた。
「見れば判ります。自分は別に、ママ友達が欲しくて声をかけたわけじゃないですから」
「そ、そうですよね」
「どうぞ」
 タイミングよく隣を指し示され、ますます逃げ場を失った成美は、会釈してからベンチに腰掛けた。
 なんだか、物腰は柔らかいのに強引というか、ちょっとやそっとじゃ引かないというか。――若いのに不思議な迫力のある人だ。
 成美はこっそりと携帯をとりあげ、急いで氷室にメールだけ打った。
 困ってるから、早く待ち合わせの場所にきてください。
 まぁ、子供もいることだし、おかしなことにはならないだろうけど。
「お子さん、ですか」
 これで違うと言われれば、なんと止められても振り切って逃げるつもりだった。が、男はあっさりと頷いた。
「ええ」
「……小学生?」
「2年生です。ちょっと人見知りの強いところのある子でね。転校した学校に、まだ馴染めていないんです」
「ああ……」
 なんとなく事情を察し、成美は同情の相槌を打った。
「昨日、クラスの子と問題を起こして、今日は登校禁止です。――まぁ、素直に謝らせなかった自分も悪いんですが」
 男の目が少しだけ細くなる。
「自分は、悪いことは悪いと殴ってでも認めさせますが、そうでなければ意地を突き通す性質なので。学校の先生方とはどうもそりがあいません」
 登校禁止なんてひどいじゃないですか――と、言おうとした成美は、淡々とした男の口調と言いように、何か引くようなものを感じて曖昧に頷いた。
 普通の人?  もちろん普通の人だよね?
 でもなんなんだろう。この妙な迫力は。
 しかも自分のことを自分って――高倉健?
 いずれにしても、見た目年齢より随分落ち着いたしゃべり方をする人だ。
「お名前は?」
「あ、ひ、日高成美です」
 うわ、答えちゃった。しかも意味もなくフルネームで。
 偽名を考える暇もなかった。会話の切り込みかたが上手いというか、問われたら答えるしかない謎の威圧感のせいだ。
「自分はナガセ、といいます」
 ナガセ……?
 ふと記憶のどこかが喚起された気もしたが、それを思い出す前に男は続けた。
「あの子は、マサト、といいます。妻がつけた名前ですが、聖なる人と書く」
「素敵な名前ですね」
 それは社交辞令でなく本音で答えて、成美はあらためて砂場で懸命に山を作っている子供に視線を向けた。
 そして少し息を引いていた。
 砂場に作られているのはただの山ではない。複雑な造形をした西洋の城のようだ。とても子どもが――いや、素人が造れるような代物とは思えない。
 成美は何度か瞬きをして、砂の城と、それを黙々と作り続ける男の子に視線を向けた。
 キャップの下からのぞいているのは、抜けるような色白の肌に、黒目がちの大きな瞳。まるで人形のように綺麗な子どもだ……
「あれは――あの子が1人で造ったんですか?」
「ええ」
 特段の感慨も見せず、淡々と男は頷く。
「驚きました。すごく上手で……、それに、とても綺麗なお子さんですね」
「妻に似たんです」
 男は、わずかに微笑した。
「ああやって、一度何かに没頭すると周りが見えなくなるところもよく似ている。妻は美しい上に不器用な人間でしたから、妻に似てしまった聖人にも、色んな意味で心配がつきません」
「お綺麗なのは……いいことじゃないんですか」
 口にした後に、馬鹿なことを言ったと思ったが、男は顔色ひとつ変えなかった。
「容姿が美しい人間は不幸です。否応なしに悪いものを呼び込む魔を持っている」
「………………」
「自分は、常々そう思っています」
 言葉をきった男が、膝の上で指を組む。会話に窮した成美は逃げるようにその手に視線を向け、ふと眉を寄せていた。
 手首に、くっきりとした日焼けの痕が残っている。
 軍手の痕、外で働いている人の証。あれは――安藤叶恵が言ったんだっけ。
「……………………」
 いや、まさか。
 もしかして。
 成美は動揺しながら、横目で男を凝視した。
 いい男というのは、全てが完璧なゆえに記憶に残る特徴がない。氷室にもそう言われてみれば、とりたてて特徴というものがないように――この男にも、それがない。
 ここでこの男に会ったのは、本当のただの偶然だろうか。
 もしかして――この人は。
「ふ、普段は、アルマーニのスーツを着ておられるんですか」
「え?」
「まさか、本気で冷え性なんじゃないですよね」
 男が黙って成美を見る。奇妙に落ち着き払ったその眼差しが、成美の直感を裏付けていた。
「あなた……誰ですか」
 逃げるように、成美は腰を浮かせていた。
「ど、どうしてここにいるんですか。なんで、氷室さんのふりなんかしたんですか」
 男は動かない。その静かな目は成美を見ているようで、どこか別の方向を見ているようである。
 成美はバックを掴んで立ち上がろうとした。その時だった。
「そいつの正体なら、僕が教えてあげますよ」
 え……?
 記憶に残る、男にしてはやや甲高い陽気な声。
 振り返った成美は、バックを握りしめたまま、ただ唖然と口を開けた。
「どうもー」
 遊具の影から、見覚えのあるカーキ色のジャケットが現れた。よれよれのハットの下からクセのある髪がのぞいている。
 どういうこと?
 なんでこの人が今、この場所にいるの――?
「いやはや、随分と遠回りしてくれたようだが、ようやく会えたね。お嬢ちゃん」
 弁護士から探偵になり、探偵から警察官に変化した宮原は、にやりと唇を歪めると、しわだらけのジャケットから両手を引き抜いて広げてみせた。
「まさか、お嬢ちゃんみたいな素人に、ああも見事に尾行をまかれるとは思わなかった。まぁ、ここにたどり着くための布石は、君以外にも色々打っちゃあいたんだがね」
「……宮、原さん」
 成美はかすれた声を出し、一歩、足を引きずるようにして後退した。
(君は全く気づいていないと思いますが、僕らは今日一日、ずっと監視されていたんですよ)
(……何故なんでしょうね。君から聞いた話に全部のヒントがありますが、頭のいい雪村君でさえわからないのだから、君に判るはずがない)
 ようやく判った。
 氷室さんが言っていたのは――この人のことだったんだ。


 







 
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Copyright2011- Rui Ishida all rights reserved.この物語はフィクションです。