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凍りつくような沈黙を、最初に破ったのは氷室だった。
「……僕の、父ですね」
堺が謝った時点で覚悟はしていたが、それでも成美は、氷室から目をそらしていた。
それが、堺という男のフィルターを通した人物像にすぎないということは判っている。が、佐伯涼が夫を持つ女と関係を持ちつつ、同時に氷室の母親と結婚を決めていたことは事実なのだ。
氷室が、絞りだすような声で言った。
「その若者とは、僕の……父のことなんですね」
堺は返事の代わりに、ただ黙って氷室を見つめた。
「謝罪など……結構です。父が徹底的な利己主義者であったことは、僕が一番よく知っている」
「……天君、繰り返しになるが、私は佐伯涼という男の若い頃の、しかもほんの一面を知っているにすぎないのだよ」
氷室はゆっくりと首を横に振った。
「確かに今のお話は初耳です。後藤氏の執着が父に向けられていたものだとは、さすがに想像したことすらなかった。けれど父の性質についていえば、……予想外というほどのものでもない」
言葉を切り、氷室は唇をかみしめた。
「僕も若い頃、父を……知ろうと思っていた時期があります。けれど、父という人間を知れば知るほど、僕は理解せざるを得ませんでした。彼が受けた罰は、自業自得以外のなにものでもなかったと」
「…………」
堺はそんな氷室を、悲しい目で見つめ、睫毛を伏せた。
「……愛とは、純粋ゆえに凄まじい執念であり、憎しみはその裏返しだ。後年、雅晴が君の父親から妻子を奪い、破滅させたことは知っている。それを自業自得というなら確かにそうだ。雅晴は君の父に純粋な好意を寄せていたゆえに、その裏切りが許せなかったのだから。しかしな」
何か言葉をつなごうとした堺は、諦めたように短く息をついた。
「いや、よそう。おそらく君以上に佐伯涼という人物を知るものは、もうこの世におるまいからな。……そう、君はもう知っていると、私はそう信じている」
何を……?
堺の言葉の意味がわからず、成美はその堺と氷室を交互に見る。
氷室は何も言わず、またその横顔はこれ以上父親の会話をするのを拒んでいるように見えた。
「話を当時の水那江に戻そう。……私がその頃、……水那江が過ちを犯した頃、水那江の傍にいてやれさえすれば、少なくとも最悪の事態は回避できていたのかもしれない。というのも当時私は、国内にいなかったのだ。雅晴の勧めを断りきれず、アメリカの研究室に半年の約束で研究員として所属していた。思えば雅晴は、私を水那江から遠ざけようとしていたのだろう。私は、――どんな理由をつけても行くべきではなかった。それだけは、今でも痛烈に後悔している」
堺は目を閉じ、長い息を吐いた。
「水那江から、至急帰国してほしいとの知らせがあったのは、渡米して3ヶ月もたった頃だろうか――嫌な予感を覚えながら、私は急ぎ後藤家に戻った。屋敷は、すさみきっていたよ。女中たちは大半が解雇され、新たに雇入れられた者たちは、酒を飲んでは暴れる雅晴におびえきっていた。そんな中、水那江は何ヶ月も部屋にとじこもったまま出てこないという。……恐ろしい予感を覚えながら、私は水那江を診察した。……妊娠、2ヶ月だった」
痩せた指で目頭をおさえ、堺はしばらく無言だった。
「……水那江の口から、お腹の子の父親の名前を聞いた時、私は雅晴が荒れ狂っている意味を理解した。とんでもないことになったと私は思った。が、さながら地獄絵図と化した屋敷の中で、水那江一人が幸福の夢の中にいるようだった。――そう、水那江は最初から最後まで、佐伯涼との幸福な未来を夢見ていたのだ――水那江が妊娠したことを私が知らせても、自分の子であるはずがないと鼻で笑ったあの男との、あるはずもない未来を」
さすがに聞くに耐えかねたのか、氷室がそっと顔をそむける。
成美は衝動的に、彼の袖に手を添えていた。
「雅晴も承知していることなら、私のなすべきことはひとつだった。私は雅晴を説得した。――それが君の子でないのなら、いますぐ水那江を、騙してでも堕胎させるべぎだと」
「……………」
「私を残酷な男だと思うかい? なんとでも思ってくれて構わない。私には水那江の身の安全が全てだった。なにしろ10の頃から我が娘同様に愛してきたのだ。その水那江が――酷薄な若者に騙された挙句その子を命がけで産もうとしている。到底許されるものではないだろう」
堺の目に一時、激しい感情の波が揺れ、それはすぐに消えていった。
「が……信じがたいことに、雅晴は首を縦に振らなかった。産むなら勝手に産めばいいと陰惨な目をして笑っていた。あの男と水那江の子なら、さぞかし美しく、そして悪魔のように利口な子が生まれるだろう。むしろその方が後藤家の娘にふさわしい。――そういうのだ」
「…………」
「思えば、自棄になっていたのだろうが、少なくとも雅晴に水那江を救おうという意志は微塵もないようだった。私には、どうすることもできなかったよ。結局水那江は『終末の家』に移り住み、出産にそなえることになった。……手術するには、もう遅すぎる時期になっていた」
堺は、当時のことを悔いるように目を伏せた。
「それから出産までの数ヶ月、雅晴も、佐伯涼も、一度として水那江を見舞うことはなかったよ。私は、自分が父親になったつもりで水那江と生まれてくる子を愛し、慈しんだ。……マキには残酷な告白になるが、水那江も、そしてまだ見ぬ子も、あたかも自身の身内のように愛おしかったのだ。……そしてその感情は、この年になった今でも、……消し去ることはできない……」
マキが、そっと首を横にふる。その目が少しだけ潤んで見えた。
辛そうに目を伏せたままで、堺は続けた。
「出産が終わり、私はただちに水那江の手術にとりかかった。……手術は無事に成功し、私は泥のような眠りに落ちた。――水那江が健康をとりもどしたら、私は水那江と水南をつれて、遠くの土地で生きていくつもりだった。水那江に残されたわずかな時間を、せめて穏やかなものにしてやりたかった。幸福というものの本当の意味を、水那江にも教えてやりたかったのだ。けれど目覚めた時、信じがたい悪夢が私を待っていた。雅晴が、――生まれたばかりの水南を奪い取っていったのだ」
「…………」
「それは、かつて愛した若者への執着なのか、水那江に対する報復措置だったのか……。私の抗議もむなしく、水那江に準禁治産者宣告をした雅晴は、彼女に監視をつけて『終末の家』に閉じ込めた。そして死ぬまで、後藤家の敷居をまたがせなかった。私は……唯々諾々と雅晴に従った。逆らえば追い払われることは判っている。私は、どうしても水那江の傍から離れたくなかったのだ……」
堺は語尾を震わせ、感情を抑えるように大きく息をついた。
「私と水那江が終末の家から離れられなかった理由はもうひとつある。水南の成長を見守ることだ。もちろん水那江が水南に会うことは許されない。そんな水那江の唯一のよりどころは、水南を実質育てあげた向井志都という家政婦だ。2人の絆はある意味私と水那江のそれより固く、向井志都は――ほぼ水那江の思い通りに、水南を育てたのだろうと思う」
「…………」
「私は懸命に水那江を支えたが、水那江の心が破滅に向かっていくのを止めることはできなかった。もともと神経が細い子だ。妊娠中から分裂症の兆候はあったのだが、水南を奪われたことが決定的な契機になったのだろう。過酷な治療も原因のひとつだったのかもしれない。脳に転移が見られた頃から妄言がひどくなり――どこでそれを知ったのか、自分を伝八の妻、永遠だと思い込むようになった。水や風を恐れ、発作的に狂犬病患者のような症状をみせるようになったのもその頃だ。そんな折、初めて雅晴が……幼い水南をつれてやってきた。水南が3歳の時のことだ」
「その頃の水那江は、もう人としての……外観を大きく違えたものになっていた。雅晴は泥酔しており、外は暴風雨が吹き荒れていた。雨風の音に過敏に反応する水那江はあたかも獣も同然だったろう。私には雅晴が、残酷に変わり果てた母親の姿を水南に見せるためだけにやって来たのだとしか思えなかった」
一瞬奥歯をぎりりと噛み締めてから、堺は続けた。
「乳母に手をひかれた水南は、母親にも父親にもよく似た―― 一言でいえば、取り付く島もないほど美しい少女だった。が、どこか感情の欠落したような目をしているのが気になった。実際水南は、まるで獣のような咆哮をあげる母親をみても、顔色ひとつ変えなかった――」
「…………」
「どうだ、醜いだろう、と笑いながら雅晴は言った。これがお前を産んだ母親だ、お前もいずれはああなるのだ、と、水那江を指さしてそう言った。雅晴の意図はよくわからないが、どうやら水南は、彼の癇癪にさわるようなことをしたらしかった。そのお仕置きとして、ここに連れて来られたのだと私は理解した」
ベッドの上で、握りしめられた堺の指が細かく震えた。
「私は拳を握りしめ、雅晴を殺したい衝動と必死に戦った。私の雇い主であり、水那江の命づなでもあるこの男に逆らってはならないことは重々判っている。けれどあの時だけは、さすがに衝動を止められそうもなかった。――が、その時だ。水南が……」
堺は細い目を見開いた。
「水南が、何故かまっすぐに雅春を見上げたのだ。水南は何も言わなかった。けれど私には――おそらく雅晴もそう感じたはずだった。水南の氷のような静かな目はまるでこう言っているようだった。醜いのはお前だと――!」
病床の堺の目に宿ったぎらぎらとした光に、成美は思わず氷室の袖を握りしめていた。
「数秒後、顔を真っ赤にした雅晴が、水南に馬乗りになって殴りかかった。何故雅晴がああも激高したのか私には判らない。自分の顔がそんなに自慢かと、そんな言葉で3歳の子を罵りながら、平手をたてつづけに食らわした。止めに入った私は顎にしたたかに拳をくらい、向井さんは腹を蹴りあげられた。それでも必死に私が止めたが――その時にはもう、水南の顔は抜歯と鼻血で真っ赤に染まっていた」
「……………」
「……水南を抱き上げて診療室に運び、私はすぐに彼女の傷の手当をした。その間痛いとも怖いとも、水南は一言も言わなかった。少し不思議なところのある子だと思いながら、何か欲しいものがあるか、と私は聞いた。すると水南はこう言った。お母さんと話したい、と」
「………………」
「水南を診療室に残し、私は雅晴の様子を見にいった。水那江を閉じ込めてある隣室からは、まるで犬の遠吠えのような泣き声が響いている。……水那江が泣いているのだ。私は雅晴を殴ってやるつもりだった。いや、殺してやるつもりだったのかもしれない。私は雅晴のいるリビングの扉を開けた。雅晴は……泣いていた」
氷室の肩が、わずかに動いたのが成美には判った。
「背を丸め、両手で顔を覆い、雅晴は肩を震わせて泣いていた。私は何故か、ひどく後ろめたい気分になって、黙って部屋を出て行った。雅晴は一人で屋敷に戻り、水南だけがその夜一晩を水那江と過ごした。発作の起きていない水那江は、――妄想と夢の中で生きているようなところはあったが――少なくとも母として娘と最後の夜を過ごせたのだと思う」
「……後藤氏は、何故泣いていたのですか」
ぼんやりと――まるで呟くように氷室が尋ねた。
堺はゆっくりと首を横に振った。
「あの夜の雅晴の涙の意味は、長らく……、いや、今も私には謎のままだ。妻を化物よばわりし、幼い娘を殴るような非道な男が、たかだか後悔の涙を流しているのを見ただけで、どうして私がああも後ろめたい気持になったのかも、当時はまるでわからなかった。……だが……最近になってふと思うことがある。雅晴はもしかすると、あの頃から少しずつ変わり始めていたのかもしれないと」
「……変わり始めた?」
「今、それを君に説明してもわかるまい。もう少し順を追って話させてくれないか。……ただ私が感じた後ろめたさの理由だけは説明しても差し支えないだろう。私は、後藤雅晴を叱れるような立場ではないのだ。私もまた、彼以上に家族をないがしろにして生きてきた。雅晴のうちひしがれた孤独な姿を見た時、私は無意識に自身をそこに投影したのだ……」
氷室は黙り、堺はその視線を天井に向けた。
「翌日、私と水那江は都内の病院に移り、手術に備えた。……水那江はそれから半年後に病院で息を引き取ったが、意識のはっきりした最後の夜、私を枕元に呼んでこう言った。いつか先生の口から水南に本当の父親のことをおしえてあげてくださいと」
「…………」
堺の痩せ衰えた手が、震えながら氷室がまだ手に持つハンカチに向けられた。
「そうして預かったのがこの鍵なのだよ。天君。この鍵は後藤家の女子が代々受け継ぐと決められたもので、開けるべき場所は父親が教えることになっていますと水那江は言った。つまり水那江は、この鍵の使い道を佐伯涼にだけは伝えていたのだ。そしてこうも言った。そこに私とあの人が愛しあった確かな証があるのですと――それを、水南に見せてほしいと」
「…………」
「水那江の死後、私は後藤家の終身主治医を辞し、開業医として再出発をはかった。水南のことだけが気がかりではあったが、雅晴は私を嫌っていたし、私と後藤家の縁はそこで完全に切れたものだとばかり思っていた……。そして、この決断をどう責められようと構わないが、水那江の遺言を実行する気は私にはなかった。その決断に至るには様々な理由があるのだが……最終的に、水南は後藤雅晴の娘として生きるのが一番幸福だと判断したのだ。いや、むしろ真実など知るべきではないと思った。本当の父親かもしれない男が、実は雅晴以上に冷酷な男なのだと水南に知らせるのが忍びなかったのだ――」
「………………」
「しかしその判断が、後々私と水南を地獄に突き落とすことになる。それから数年が経った頃、私のもとに突然水南から手紙がきた。自分の主治医になってくれないか、手紙はそういう内容だった。私は固辞したが水南は譲らず何度も手紙を寄越してくる。私たちは何度か手紙を交わし、水那江を失って以来死んだようだった私の心に、再び暖かな火が灯り始めた。……そう、思えば水南は、生まれる前から私の子も同然だったのだ。どうしてその水南の願いを私が拒否することができたろうか。私はついに、半年に一度後藤家に赴いて診察するという約束をした。……それが水南が12歳の秋のことだ。屋敷にはもう、君と……君の母親がいた」
氷室を見上げる堺の目に、微かな涙が光っている。
「天君。……雅晴が君を寵愛する理由は、君の中に件の若者の面影をみているのかもしれないと思いはしたよ。けれど迂闊にも、その時の私は、思いつきも――いや、想像すらできなかったのだ。まさか君が――あの若者の息子で、雅春がその妻子を手元に引き取っていようとは」
「忘れもしない。あれは水南が19才になった時だ。水南には政治家の息子との婚約話が持ち上がっており、新たに始めた雅晴の事業も成功していた。過去を封印したのは正解だったと、ようやく私の遺恨も薄れかけてきた頃だったよ。――水南は私にこう告げにきた。20歳になったら君と一緒に後藤の家を出るつもりだと」
氷室の眉が微かにゆがんだ。
「……僕と?」
「もうそのための準備は終わった。海外に移住し、何年かしたら出産するつもりだと水南はそう私に言った。その時は、それがどんな場所であっても私に立ち会ってほしいというのだ。――むろん私は驚いた。なにより婚約はどうするつもりなのかと水南に訊いた。実のところ私は、水南が後藤家を離れ、三条家以外の人間と婚姻することに一縷の希望を抱いていたのだ」
「どういう、ことですか」
「……呪い、とものを私は決して信じてはいない。しかし、家という名の因習に縛られること――その心理的な負担が、なんらかの影響を肉体に与えていることは十二分に考えられる。そうしてもうひとつ、――実はこれが一番の要素ではないかと私は考えていたのだが……いってみれば後藤家と三条家は、狭い血縁関係の中で、何度も婚姻を繰り返している。いわば100年以上も前から近親婚に近い関係をもっていたのだ」
「………………」
「その連鎖さえ断ち切れれば――あるいは水南の代では無理でも、その次の子に未来をみせてあげることができるかもしれない。雅晴もまた、私と同じことを考えたから、あえて三条家との婚姻を拒否し、他家に嫁がせようとしたのではないだろうか」
氷室が眉を寄せたまま、視線を下げるのが判った。
「どのみち、私はあと何年かで死ぬのです、と水南は言った」
「………………」
「忌まわしい病巣の根をとってしまおうと思った時期も、父のために結婚しようと思った時期もありはしたけれど、今はそうは思わない。残された短い時間を、ただ一人愛した人の子供を産み、寄り添って生きていきたいと思うようになったと……そう言うのだ」
「………………」
うつむいた氷室の睫毛が震えている。
成美はその顔を見ることができなかった。ただ彼の腕に手を添え続けていた。
「水南の一途さと真剣さに胸がうたれると共に、――正直いえば私は驚きに打ちのめされていた。君と水南が……正直、離れて暮らしている私には、殆どありえない関係にしか思えなかった。君は水南より二つも年下で、当時はまだ高校生だ。当然生計能力すらない。……そう、水南のような精神年齢の高い女が惹かれるには、あまりにも幼すぎると思っていたのだ。いわんや海外に駆け落ち同然に出て行くなど、想定の範囲外だった」
「…………」
「その事実を知らされた時、初めて私の胸にかつて味わったものと同じ不安が色濃くよぎった。水那江を狂わせたあの美しい若者とどこか面影が似た君が……再び後藤家の禍根になるような胸騒ぎがしたのだ。私はようやく、今日まで君という人物の素性を調べていない迂闊さに気がついた。そして……知ったのだ。君があの、佐伯涼の息子だということを」
「…………」
「その事実を知った時、私がどれだけ打ちのめされたか判るだろうか。これもまた雅晴の復讐なのかと私は思った。あの男は水那江だけでなく佐伯涼の息子や娘にも地獄を味あわせようとしているのだ。が、雅晴をなじる暇などなければ、どこにいるかも判らない佐伯涼の行方を探している暇もない。ことは一刻を争うのだ。――私は水南を呼び出し、全てを打ち明けた。そして長らく隠し持っていた鍵を渡した。この鍵の使い道は君の父親、佐伯涼だけが知っていると……告白した」
「………………」
「…………けれど……その時の水南の、蒼白になった顔色を見た時、……私はこの告白が手遅れだったのだと……理解したのだ……」
堺は両手で顔を覆うと、しばらく指を震わせて激情に耐えているようだった。
「それきり、水南は私の前に現れなくなった。当時、私は再び雅晴から後藤家への出入りを禁じられるようになっていたから、そうなるともう連絡すらとれない。……1年ほどしてきたハガキは海外からのもので、母の形見を見つけました。先生と私だけの秘密です。とだけ記されていたよ。君が水南と別れ、後藤家を出たと知ったのはその時だ。……水南は、君には何も言わなかったのだろうと私は思った。それでいいのだと私は思った。水南に罪がないように、君にもまたなにひとつ罪はないのだから」
「………………」
「しかし、それから7年後だ。目を悪くして医師を引退した私のところに、あろうことか雅晴から電話がかかってきた。至急水南をみてほしい。そしてすぐにでも手術をしてほしい。そんな目茶苦茶な内容だった。なによりあの雅晴がひどく動転して半ばパニックになっている。私には、わけがわからなかった」
7年後――
それは、水南さんが妊娠した時のいきさつだ。
自然と自分の顔がこわばるのを成美は感じた。
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