13
 
 
 と、とんでもないパーティじゃないですか。…………
 都内にあるホテルの一室。シャンデリアがきらめく広々とした板敷ホールには、華やかなドレスを身にまとった――結構年配の方たちが、楽しそうに談笑している。
 そのゴージャスさもさることながら、男性たちの醸し出す資産家オーラがもうただごとじゃない。
 ていうか、ここ、本当に日本ですか。
 立食バーティのマナーが判らない成美の前に、氷室がカクテルをもって戻ってきた。
 戻ってくる過程で、何人もの女性が氷室に熱視線を送るのが見えていた成美は、なんとも気恥ずかしくなって視線を下げる。
 すみません。王子様が選んだ女が、こんな地味な壁の花だなんて。
「……堺医師の息子さんって、何してる人ですか」
「結構大きな病院の経営者ですよ。今は理事長職についているようですが」
 車で来ているためか、自分はソフトドリンクを口に運びながら氷室が答える。
「あそこにいる方がそうです。一緒にいるのは、多分娘さんですね」
 成美も氷室の視線を追った。
 殆どホールの中央に、恰幅のいい銀髪の男性が立っている。にこやかに笑んではいるが、遠目からでも眼光は鋭く、一見してただ者ではないことがみてとれる。
 そして、その隣には、小麦色の肌をした背の高い女性がいた。
 淡いアーモンド色を思わせる肌に、白のドレス。顔立ちは日本人離れしてバタ臭く、手足の長さも相まってハーフかもしれないと思うほどだ。
 遠目から見ても、相当な美人であることは間違いない。
「……どうするつもりなんですか」
 氷室を横目で見上げてから、成美は訊いた。
「どうするとは?」
「ここからですよ。うまくもぐりこめたのはいいけど、話なんて簡単にできる雰囲気じゃないじゃないですか」
「そうですねぇ……」
 氷室が目を細めている。
 これからなにをするにしても、心臓が持ちそうもないな――と、成美は小さく息をついた。
 この会場に入る時もそうだった。
 氷室は撤収間際の受付で、主催者の堺真一氏に誘われて顔を出したのだと、堂々と嘘をついた。招待状はないが代わりに名刺をもらったのだとさらりと言った。
 それでも、受付に立つ中年女性が、名刺を確認することはなかった。
 氷室の笑顔と、いかにも金持ちそうなリッチな風情と、巧みな話術に完全に飲まれていたのだ。
 一体氷室はどれだけ魔性度が高いんだろう。女にとって、彼は最も危険な麻薬みたいなものだ。
 後藤水南さん、そんな彼の心を奪い、自由自在に操ったあなたを――私はむしろ尊敬します。
「ご歓談の皆様、そろそろお楽しみのダンスの時間に入りますが、その前に、ご紹介したい方がおられます」
 その時、場内にアナウンスが流れた。
 見ると、演台がある正面右横に、マイクを持った中年女性が立っている。声の抑揚からみるに、プロのアナウンサーなのかもしれない。
「昨年の世界選手権スタンダード部門で入賞された堺マキさん。この会の主催者であられる、堺会長のお嬢様です」
 拍手とともに、スポットライトが中央を照らしだす。あらかじめそこに立つ演出だったのか、マキとその父――堺真一が、誇らしげな笑顔を周辺にふりまいた。
 人混みが離れ、中央に輪ができた。緩やかで上品なメロディーが流れだし、父と子の2人が、華麗なペアーダンスを披露する。
 照明のせいもあるだろうが、白の、流れるようなドレス姿のマキは、女の成美から見ても、目が離せないほど美しかった。
「彼女と、お近づきになったらどうですか」
 少し、なげやりな気持で成美は言った。
 正直言えば、まだ先ほどのブティックでの会話が胸に重く尾を引いている。
「彼女?」
「だから、今踊っている堺真一の娘さん。気づいてましたよね。さっき氷室さんがホールを横切った時、結構視線があっていたように見えましたけど」
「……ああ」
 なにがああ、よ。絶対気づいてたくせに。
「生憎僕は、女性の口説き方が判らないので」
 は?
 成美は顎を落としそうになりながら、隣に立つ氷室の涼しげな横顔を見上げた。
「そんなの、適当でいいじゃないですか。可愛いとか綺麗だとか」
「適当にと、言われてもな」
「君は月より美しいとか、僕の目にはもう君しか映らないとか。――ていうかそういうの、氷室さんの得意技でしょ?」
「そうでもないですよ」
 答える氷室が笑いをかみ殺しているのが判り、成美は少し赤くなった。
 なに、今の、半端ないからかわれた感。
「ああいう女性は、少しばかりやっかいなんです。こちらから声をかけると必ず逃げていく」
「…………」
「一度格下だとみなされると後はもう見向きもされない。アプローチは、そんなに簡単ではないですよ」
 それ、女性を口説くのが下手だとか言う人の分析力じゃないですよね?
 ていうか氷室さん、もしかして最初から、……あの人のことを狙ってた?
 曲が終わり、父親と娘が向かい合ってお辞儀をする。
 氷室が成美に、自分のグラスを差し出した。
 え? と思った時には、氷室はもう歩き出している。
「あら、あら、あらあらあら」
 司会者の女性がすっとんきょうな声をあげた。
「こちらの男性はどなたでしょう。最初から場内の注目を浴びていた美青年――なんとマキさんに、ダンスの申し込みでしょうか」
 嘘でしょ?
 成美は唖然として、マキの前に立つ氷室を見ていた。
 マキは少しだけ顎をそらし、挑発的とも誇らしいともとれる目で氷室を見ている。
 そりゃ確かに氷室さんはスーパーな人ですよ?
 イケメンな上に仕事もできるし、語学力もあるし、聴力なんてもう人の域を超えてるし。
 でも――でも、いくらなんでもダンスはないでしょ。
 いくらなんでも、世界選手権に出たような人と踊るとか――あり得ないでしょ。
 
 
 
「どこでダンスを?」
「以前、ドイツにいた頃に」
「ふぅん」
 鼻先がつんと尖った女は、長いまつげの下から、オリーブ色の目で氷室を見上げた。
「表現力はマイナス――でもステップの正確さは、合格点をあげてもいいわ。きちんと練習した人でないと、こうはいかないと思うけど」
「君のリードのおかげかな」
 女は照明が乱反射する瞳をきらめかせる。氷室の腕に添えた手を女はなまめかしく動かした。
「彼女、何?」
「彼女?」
「壁の女の子。さっきからこっちばかり見てるけど」
「知りたい?」
「いいえ。――興味ないもの」
 身体を優雅に回転させ、女は再び氷室の腕に戻ってくる。
「で、あなた、何者?」
「何者とは」
「うちのメンバーでもなければ、招待客でもない。何が目的で私に近づいたのかしら?」
「残念なことに、目的は君じゃない」
 微笑みながら氷室が言うと、マキはわずかに眉をあげる。
 氷室は、その綺麗な耳に唇を寄せて囁いた。
「僕は君とは初対面だけど、実は名前だけは知っていた」
 くすくすとマキは笑う。
「それ、口説いているようにしか思えないけど?」
「名前を聞いたのは随分前――もう20年近く前になる。君はその人にとっては初孫で、目にいれても痛くないほど可愛いといっておられた」
「…………」
 マキは眉を寄せて氷室を見上げた。
「もしかして、おじいちゃんの知り合い?」
「それからもう一度、僕はその人から君の名前を聞いた」
 氷室は続けた。
「君のお爺さんは、当時医師を引退しておられたが、ある女性のために一度だけ医師業を再開させた。その女性は、そう――少しばかりわがままなところがあって、夜中に何度か堺先生に往診をお願いしたことがある。その時はいつも、大学生だったお孫さんが運転手としてついてきておられた」
「………………」
 音楽がやむ。それでもマキは氷室の腕をとったままだった。
「父が………、反対していたのよ」
 氷室を見たまま、呟くようにマキは言った。
「おじいちゃんは目が悪くて、とても夜に1人で遠くになんか行かせられなかった。それでも行こうとするから――私がついていったの。誰もおじいちゃんを止められなかったから」
「とてもいい先生でした。当時診てもらっていたのは、僕の妻です」
「おい――、君はいったい、なんのつもりだ」
 そこにいきなり、男の怒声が割って入った。
 堺真一。マキの父親である。
 眉を険しくしかめた堺は、娘の手を掴んで氷室から引き離した。
「さっき受付の者から事情を聞いた。私は君のような男を招待した覚えはないぞ。なんのつもりかは知らんが、とっととここを出て行きたまえ!」
 
 
 
 ど、どうしよう……。
 成美は壁に張り付いたまま、中央で繰り広げられる騒ぎを見つめていた。
 声は殆ど聞こえなかったが、あれほど紳士的だった堺真一が、別人のように激高しているのだけは判る。
 心配していた以上のことになってしまった。
 さっきまでの心が寒くなるような光景もふっとんで、成美はただ、どうやったら上手くここを切り抜けられるかを考えた。
 が、もちろん妙案なんて思いつくはずもない。
 だったらもう謝るしかない。とにかく謝罪して、事情を理解してもらうしか。
 意を決して成美が足を踏み出した時、氷室がこちらに向けて手招きをするのが見えた。信じられないことに、彼はうっすらと微笑んでさえいる。
 は? とおもったが、成美は仕方なく、――おずおずと、諍いのまっただ中に足を踏み入れた。
「そうか。君が氷室君か」
 そんな成美を全く無視して、堺は怒りを抑えた声で言った。
「昨夜母に電話してきたのは君なんだな? 今朝あれほど丁重にお断りしたのに、まだこちらの意図がわからないのかね。――父に会うなどとんでもない。父はもう、人とまともに話せるような状態ではないのだ」
「痴呆が随分進んでるの、でも」
 何か言おとうしたマキを、真一は鋭く遮った。
「お前は黙ってろ。とにかく駄目なものは駄目なんだ。絶対に、許さん」
「失礼は、重々承知のうえです」
 氷室は深く頭を下げた。
「堺先生は、私の亡き妻の、生涯に渡る主治医であられました」
「……後藤水南か」
 真一は苦々しげに呟いた。
「僕は水南の戸籍上の夫ですが、長年彼女から目をそむけて生きてきました。生前の彼女が何を知り、何を思い、何を残そうとしたのか、僕には恥ずかしいことに何一つ判らない」
 自嘲めいた笑いを浮かべ、氷室は少しの間言葉を切った。
「……先日僕は、亡くなった水南からあるメッセージを受け取りました。その謎めいたメッセージの意味は、目下のところ不明です。けれどこれだけは判りました。僕は、堺先生とお会いしなければならない」
 真一の隣で何か言いたげにしていたマキが、その刹那はっと目を見開いたのが成美には判った。
「堺先生とお会いして、お話しなければならないことがある。――それが妻が遺したメッセージを読み解く鍵なんです」
「後藤家……」
 眉根をきつく寄せながらそう呟いた真一は、険しい目のままで氷室を見た。
「氷室君、御令室を亡くされた君の気持はわからんでもない。が、悪いがうちは、二度とあの家には関わりあいになりたくないんだ。君はしらないだろうが、父があの家の人間にいれこんだせいで、我が家は家族崩壊寸前だったんだ」
「理解しています」
「できるものか。父はな、5年も家に戻ってこなかったんだぞ。5年も山奥で、後藤家の奥さんの面倒をみていた。母がどれだけ辛い思いをしたか、――父の身勝手さには、今でも腸が煮えくり返るようだ!」
「…………」
 氷室は無言で睫毛をふせる。
 多分、氷室には判っていると、成美は思った。幼少期に父を奪われた堺真一の気持は、おそらく氷室が一番よく判っている――
「ようやく家に戻って落ち着いたと思ったら、今度は娘の方だ。後藤水南、――下衆の勘ぐりを承知でいえば、私は長年、あの美しい少女が自分の異母妹ではないかと疑っていたほどだよ。それほど父は、実の息子である私より、他人の娘を慈しんでいたのだ」
 周囲は静まり返っている。
 ようやく言葉に過ぎたことに気づいたのか、真一は苦々しげに咳払いをした。
「――とにかくだ。父に会うことは絶対に許さん。ここに侵入した無礼だけは見逃してやろう。でていきたまえ」
 氷室は無言で一礼した。
 成美も慌てて頭を下げる。そして思った。ここで、引き下がるつもりだろうか? でもどう言葉を尽くそうが、目の前の人に許可をもらえるとは思えない……。
「待って、氷室さん」
 マキの声がした。
 成美と氷室は、揃って顔をあげて、マキを見る。
 マキは冷ややかな目で成美を一瞥し、その目を再び氷室に向けた。
「亡くなった人は過ぎた時と同じよ。もう二度と戻らないし、やり直すこともできない。そんな人の気持を今更知って、何になるというの?」
 氷室は黙ってマキを見つめる。
「仮に父がなんといおうと、それがあなたの自己満足のためなら、協力なんてお断りよ。そして私が思うに、死者の気持を知ろうだなんて自己満足以外のなにものでもないわ。――何がおかしいの?」
 むっと眉をひそめたマキの言葉で、成美はようやく氷室が微笑しているのを知った。
「いえ、ただ――僕も全くの同感なので」
「は?」
「自分を満足させることを自己満足というなら、他人を満足させたいと思う気持を、どう、言えばいいのかな」
 氷室の目が、静かに成美に向けられた。
「彼女がダメだと言うんです」
 私……?
 氷室は微笑み、その目を再びマキに向けた。
「僕が前に進むためには、目をそむけ続けてきた過去と向き合うしかないと――彼女がそう言うんです。そうしなければ、僕が抱えた問題は永遠に解決しないんだと」
「…………」
「僕は――もちろん僕のためでもありますが、僕のことを本気で心配している彼女のために、前に進んでみようと思いました。それでは理由にならないですか」
「…………」
 マキの冷めた目が少しだけ揺れている。けれどその目は、次により冷たさを増して、成美に向けられた。
「過去を消化して前に進む、か。素敵な心理分析ね。あなた、心理学でも専攻なさってたの?」
「え、いえ」
 成美は戸惑って氷室を見上げる。ここで私、なんて答えればいいんだろう。
「彼を前向きにさせるため――推測するに、それはあなたとの結婚を決意させるためかしら? そしてそのために死者の気持を利用するのね。あなたの、都合のいいように」
 はい?
 唖然とする成美を見据えたままで、マキは続けた。  
「後ろ向きの彼を励まして――奥さんのことをいい思い出に消化させて、今度はあなたがその後釜に収まるってことよ。悪いけどそういうあざとい女には反吐が出るの、私」
 は……?
「失礼するわ。行きましょ、お父様」
 言われた意味を解しかねている間に、マキは背を向け、どこか呆然としている父を促すようにして歩き出した。
 なにそれ。
 ちょっと待ってよ。なんなのよ、それ。
 結婚とか、そんなのないし。
 そもそもなんだって私が、そこまで言われないといけないの?
「待ってください」
 成美は声をあげていた。
 マキが眉をしかめて振り返る。胸に熱い感情がつかえたまま、成美は一歩、前に出た。耳が熱く、頰が火照っている。それでも口は自然に開いていた。
「今の、……全部心外ですけど、ひとつだけ言わせてください。今死者の気持を利用するのかとおっしゃいましたよね。それのどこが悪いんですか」
 マキが反論しようする。それを遮るように成美は続けた。
「水南さんは亡くなりました。残酷なようだけど、死んだんです。もう、どこにもいないし、戻らない。人生をやり直す必要もない」
 ぐっと両拳を握りしめる。
「でも氷室さんは生きてるし、これからも生きなきゃいけないんです」









 
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Copyright2011- Rui Ishida all rights reserved.この物語はフィクションです。