11
 
 
「本当に怪我、大丈夫かよ?」
 安藤叶恵が勤務する、誰のものともしれない豪華な別荘。
 成美は二度目になる応接室で、叶恵が出してくれたお茶を飲んでいた。
 本気で怪我を心配してくれているのか、そう言って扉の向こうから顔を出したのは、ここまで一緒について来た三条守である。
「平気です。……氷室さんは、病院に行けって煩いですけど」
「ちなみに、狂犬病ってのは、粘膜なめられても感染するからね。まぁ、うちのオスカルとアンドレは大丈夫だけど」
 一瞬ぎょっとした成美は、後半の言葉で胸をなでおろした。
 三条も、成美や氷室同様、この家でシャワーを浴びさせてもらったのか、整髪料のすっかりとれた、やや子供っぽい髪型になっている。
 成美の隣に腰掛けると、三条は長い足を鷹揚に組んだ。
「天は?」
「……今、安藤さんと話してるみたいで」
「へーぇ、相変わらず節操ねぇな」
 間違っても、そう言う意味じゃないと思うけど。
 とはいえ成美も、少しばかり2人の動向が気になっていた。何より成美が驚いたのは、2人が初対面だったことである。
 安藤叶恵が騒ぎを聞いて駆けつけてくれた時、成美はまず、氷室を叶恵に紹介した。あの時探していた彼と無事に出会うことができました――と。
 が、安藤叶恵は訝しげに眉をひそめてこう言ったのだ。
(……誰?)
(ごめん。とんだ人違いだわ。雰囲気似てるけど、全然違う。私が5月に会ったのはこの人じゃないよ)
 どういうことだろう。
 氷室の容貌が、その時と違い過ぎた、ということだろうか。
 でもあれほど詳細に特徴を覚えていて――それで、こうもきっぱり違うと断言するってことは……。
「今日は結局、何しに来たのかわかんなくなっちまったなァ」
 三条の声が、成美を現実に引き戻した。
 振り返った成美は、思わぬ距離の近さにぎょっとした。そもそもこれだけ沢山ソファがあって――隣に座る?
「つぅかさ。そもそもあんたがしゃしゃり出たから、俺の計画が台無しになったんだけど」 
 なんだろう。計画って。
 戸惑う成美に、三条はますます顔を近づけてきた。
「なぁ、あんたって結構――、抜けてるっつーか、ぼんやりしてるように見えてさ」
 がかがみこんで、成美の顔をまじまじとみる。
「鋭いよね。結構鋭い。人が見てない部分をちゃあんと見てるっつーか」
「そんなことも……ないですが」
 精一杯後退した成美の背が手すりにあたる。もう三条とは、息もかかるくらいの近さだ。
「なぁ、俺が好きな女、誰だか判る?」
 はい?
「なぁ、判る?」 
 な、なにこれなにこれ、どういう会話?
「お、奥様いますよね! 宝塚の元スターの!」
「いやいや、誤解すんなって、間違ってもあんた、口説いてないし」
「ちょっ、まって、とにかくいったん離れてくださいっ」
 こ、こんなところを氷室に見られたら――あ、いやもう別れたんだった。いや、でもやっぱり見られたらまずい。
「だったら当ててみ?」
「は?」
「今の女房と結婚する前。俺が好きだった女、誰だか当ててみ」
「か、香澄さんっ、――香澄さんですよね?」
 口走った後、しまったと思った。咄嗟にとはいえ、――迂闊に口してはいけない名前を出してしまった。
 が、おそるおそる見上げた三条は眉をあげ、少し呆けたように瞬きをしている。
「……普通、水南って言うとこじゃね?」
「………………」
 そうだった。そう言えばいいんだった。
 成美は誤魔化すのを諦めて嘆息した。
「……水南さんに対する三条さんの気持は……なんだか恋っていうより、肉親に対する愛情みたいで……」
 三条が、成美から離れて居住まいを正す。
「……で?」
 成美もまた居住まいを正し、ひとつだけ深呼吸をした。
「香澄さんのお墓に花……投げてましたよね。びっくりしました。お墓に花をなげつけるなんて、あんな非道い真似する人初めてみたから」 
「……………」
「その後、事件のことを、別の人から教えてもらったっていうのもありますけど、……花をわざわざ買ってぶつけるのは、……一種の愛情表現だったのかな、と思いました」
 三条が声もなく笑うのが分かった。
 当たり、だったのだろうか。それとも大ハズレだったのか。内心ひやひやしながら、そっとその横顔を窺い見ると、彼は思いの外、柔らかな表情を浮かべていた。
「今日はさ、俺、言い訳にきたんだよな」
「言い訳、……ですか?」
「そ。あんたさ、天から聞いてない? あいつ俺のことをとんでもない最低野郎だとか思ってるだろ。その理由、天から聞いた?」
「…………いえ」
 ただ、分かり合うことを頑なに拒絶しているのだけは感じられた。何かそこに、説明できない理由があるのでは――とは思ったのだが。
「本当のこと、言うとさ」
「……はい」
「俺、天のこと、それほど嫌いってわけじゃねぇんだ。年下のくせに生意気で、いちいち頭にくる野郎だけど、本気で憎んでたわけじゃねぇ。――むしろ生い立ち的には、気の毒な奴だとさえ思ってたよ」
「………………」
「とはいえ、天は本気で俺のことが嫌いだけどな。あれだよ。俺はガキの頃、水南の関心をもっていかれたことが悔しくて、天に随分ひでぇ真似をしたんだ。した方は忘れても、された方は忘れやしねぇ。しかも天はことさら――」
「執念深い人だった?」
「そう、そのとおり。あんたよく、あんな面倒な男とつきあってるね」
 三条を見上げ、少しだけ成美は笑った。
「……ちょっと、さすがに疲れたんだな。いい加減、本気で憎み合ってるふりすんのも」
 唇に笑いの余韻を残したまま、三条は呟いた。
「俺は悪い奴だけど、天が思ってるほどじゃあねぇ。でも、天の奴が言い訳しねぇから、俺も言い訳できなかった。――だから今日、俺は天に、みっともなく言い訳させようと思ってきたんだよ」
 どういうこと……?
「天が本当のことを言わなけりゃあ、俺も本当のことが言えないってことだ。でも、もう1人で抱えてんのが苦しくなった。……責められても、殴られてもいい、――いい加減楽になりたかった」
 少しだけ成美を見て、三条はその目を遠くに向けた。
「あのな、香澄があんな馬鹿な真似をしたのはな」
 
 
 
「――なんだか嘘みたいにいい天気になりましたね」
 安藤叶恵の別荘を辞去し、三条とも別れ、成美と氷室は再び山頂に入っていった。
 ――それにしても……。
 自分と氷室の衣服を交互に見て、少しだけ成美は笑った。むっと氷室が眉を寄せる。
「何がおかしいんですか」
「だって、結局こうなるんだと思ったら」
 叶恵のところで、冷えた身体だけは暖めさせてもらったが、服と靴の汚れだけはどうしようもない。
 雨でぬかるんだ地面に、折り重なるように転がった2人は、見るも無残な有り様である。
「着替え、もうないけど、どうしましょう」
 最初に着ていたものは、午前の大雨でびしょ濡れになったまま、ビニールに包んで氷室の車においてある。
 氷室は自分の衣服を見下ろし、少しだけ肩をすくめた。
「どこかで調達するしかないでしょうね。どのみち、正装を用意しないといけないと思っていましたから」
「……? 正装?」
 正装って――堺医師に会うために?
「そんなことより、お腹が空いたな」
 いきなり氷室がそう言って、のびをした。
 成美は、少し戸惑って瞬きをする。
 再会して初めて、彼がひどくリラックスしているように見えたからだ。
「もらってもいいですか」
「なにを、……ですか?」
「おにぎり。持ってきたんでしょう?」
 数秒、その意味を考えた成美は、大慌てで頷いた。
「はい、もってきてます。沢山じゃないし、――三角じゃないし――具も梅干しだけですけど!」
「いただきます」
 氷室は微笑して周囲を見回し、木々の影に隠れた大きな岩に視線を向けた。
 成美はどぎまぎしながら、氷室に続いて岩に腰を降ろした。
 なんだろう。氷室さんが少し――変だぞ?
 これはいい兆候だろうか。それとも消える前のろうそくが一瞬強くゆらめくような――最後の彼の、優しさだろうか。
「……美味しいですか?」
 おにぎりを口に運ぶ氷室を、そっと見上げ、おそるおそる成美は訊いた。
「そうですね。……僕の年には……塩分が少し」
 氷室が少しだけ眉を寄せる。
「お、多かったでしょうか? 痛んじゃいけないと思って、多めにしてはみたんですけど」
「じゃりじゃりします」
「……………………」
 成美は血が引く思いで、自分もひとつとりあげて口に運んだ。
「……うぐっ」
 とんでもなく塩辛い。
「氷室さん、あのっ、無理して食べなくてもいいですからっ」
「――いえ、いただきますよ。お茶があればもらえますか」
「………………それは」
 コーヒーを用意するので、いっぱいいっぱいだったといいますか。
「君は本当に、用意のいい人なんですね」
 午前と同じ皮肉なのに、その言葉には不思議と刺が感じられず、案の定見上げた氷室はおかしそうに喉を鳴らして笑っていた。
「――日高さん」
「は、はい」
「あと1日、1日でいい……。僕と一緒にいてくれますか」
「………………」
 あと、1日。
「この場所が君と僕の終わりになると、僕はずっと思っていた。君がそうできなくても、僕が終わらせるつもりだった。――つい、数時間前までは」
「………………」
「でも今は、この先にもまだ、君と行くべき場所があるんじゃないかと思っています。……ついてきてくれますか」
「………………」
「そこに、何が待っているのか、まだ僕には判りませんが」
 成美はこみあげる感情を堪え、小さく二三度、頷いた。
「……いきます」
「ありがとう」
 今、自分の胸に広がった感情を氷室と共有できたら、どんなにいいだろうと成美は思った。
 大丈夫です、氷室さん。
 そこに何が待っていたとしても。
 それがどんなに辛い結末でも。
 私たち2人なら、絶対に受け止められるはずですから――。













 
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Copyright2011- Rui Ishida all rights reserved.この物語はフィクションです。