「なにか……不謹慎ですが、まるで昔の任侠映画のようですね」
 しばらく黙っていた雪村が、戸惑ったように口を開いた。
「昔ならいざしらず、今でもヤクザとはそんなものですか。親のためなら自分の命も」
 雪村の疑問を遮るように、金森は苦笑して首を横に振った。
「烏堂みたいなヤクザは、いまや絶滅危惧種ですよ。最近は金が全て。義理人情なんてないに等しい。――実際、あの若さで死ぬには惜しい男だったと思いますよ」
 その口調の優しさが、金森の烏堂に対する感情を表しているようだった。
 少しためらうように黙ってから、雪村は続けた。
「……記事を読むと、蓮池会の構成員も複数殺されているようです。それは……、烏堂という人が1人で?」
「警察の発表では。とはいえ、現実には誰か第三者がいたんだと思いますね。線条痕――拳銃の指紋のようなものですが――烏堂にうちまれた弾丸は全部で三種類ありましたが、現場にあった拳銃と一致しないものが一つありました。蓮池組の死者は4名でしたが、内3名は現場では発見されなかった鋭利な刃物で頸動脈を切断されています。当夜、そこに一体誰がいたのか、――立証も特定も、いまとなっては不可能ですが」
「警察は、どうしてそのあたりを追求しなかったんでしょうか」
「そりゃあ、侠生会との間に、なんらかの取り引きがあったんでしょう。つまりアルカナがでてきて困るのは、宮田組だけじゃない。現政権も同じだということですよ」
 それはどういう意味だろう。
 なんだか涼しげに笑う金森の顔が、ひどく不気味に、恐ろしく思える。
 成美が感じた薄寒さは雪村も同じなのか、強張った口調で、雪村が話を継いだ。
「事件の背景はよくわかりました。……結局のところ、神崎香澄はどうして死んだんですか」
「方法をいえば自殺です。潜伏していた都内のホテルで首をつった。事件後、侠生会が香澄を執拗に狙っていましたからね。警察が厳重にガードしていた中での自殺ですから、事件性がないことだけは間違いないと思います」
「動機としては」
「……まぁ、まともな神経の持ち主なら、侠生会から名指しで狙われて、半年近くも生きていられるかどうか……。警察に保護を求めたところで、留置所にもやくざの放った刺客というのはひそんでいますからね。生き延びられるはずもない」
 少し考えるように眉を寄せた雪村が、首をかしげた。
「ちょっと不思議な気がします。ヤクザ2人を潰し合わせたほど肝の座った女が……、そもそも自殺するくらいなら、どうしてそんな危険な橋を渡ったんでしょうか」
 それには金森も、少し考えこむような目になった。
「自分1人がうまく切り抜けるつもりが、何かの手違いが生じて失敗したんでしょうかね……。確かに不自然な気もしますが、他殺が疑われるような状況ではなかったと思います。少なくとも、僕の取材した限りは、ないですね」
 
 

「あの、私のほうから質問しても、いいですか」
 香澄の死の説明が終わったばかりの、どこか重い沈黙の後、初めて成美は口を挟んだ。
「どうぞ?」
 と金森が、今はじめて成美に気がついたように微笑んで促す。
「三条守……、三光電工の現専務ですが、神崎香澄さんが自殺をする直前、彼女を拉致して暴力をふるっていたような記事をネットで見ました」
「なるほど、ネットで」
「三条さんご本人が、神崎さんの自殺の原因を作ったのは自分だと言っています。――そのあたりのことで、何かご存知の情報はないでしょうか」
 金森が面食らったように数度瞬きする。
「三条守といえば、神崎香澄の幼馴染ですね。ネット記事のことなら記憶にあります。僕もその情報は潰しましたから。――あなたは、三条氏と直接とお話を?」
「ええ、直接聞いた話です」
 首をひねった金森は、初めて横に置いていたセカンドバックから古びた黒革の手帳を取り出し、めくり始めた。
「――ああ、あった。あれはですね――あなたが見たというネットの記事なら、多分、社内の連中がやったネガティブキャンペーンですよ」
「社内」
「三光電工です。事件当時、社長がバカ息子を強引に専務に就任させたこともあって、社内が相当もめていたんですよ。それで社内の反対勢力が、三条守を貶めるデマをマスコミやネットを通じて垂れ流したってわけです」
「デマ?」
「じゃあ、全部デマなんですか!」
 雪村と成美、2人は同時に声をあげていた。
 金森が面食らったように顎をひく。
「……まぁ、三条守自身、神崎香澄の死後、何度か警察に呼び出されてますし、いかにも事件関係者のような報道がされたこともありましたから。全部が全部でまかせってわけじゃあないですけどね」
「……三条守は、どうしてそのような扱いを?」
「あの男はね、事件後、ヤクザに追われる香澄を自分の元に匿っていたんです」
「えっ?」
 匿う?
 拉致じゃなくて、匿う?
「幼なじみのよしみか、はたまた女の色香に迷ったか……三条守は侠生会と取り引きして、香澄を海外に逃がそうとしていた節さえあります。結局、それは失敗に終わり、香澄は三条の元を逃げ出してしまったわけですが」
 成美は言葉が出てこなかった。話が、まるでつながってこない。
「僕の憶測になりますが、三条という男はよほど香澄に惚れてたんじゃないのかな。香澄の葬儀を出したのも三条なら、墓をたててやったのも三条です。彼の立場で相当リスキーだったとは思いますがね」
 呆然とする成美の脳裏に、花束を神崎香澄の墓前に投げつけていた三条の姿が蘇る。
 そう言えば、その時も不思議に思った。わざわざ花なんて――それほど憎んでいるなら、どうして買ってきたんだろうと。
「わかりました。……最後にあとひとつだけ、確認したいことがあるのですが」
 ほらみたことか、と皮肉な目で成美を見た雪村は、再度金森に向き直った。
「神崎香澄が、生前、知人女性への暴行をヤクザに依頼したという情報はありませんか」
「知人女性」
 金森は少し首をかしげる。
「……まぁ、あの若さで銀座のナンバー1にのし上がったほどの女ですから、その程度の悪さはしても不思議ではないと思いますが」
「その知人女性もまた、三条守の幼馴染なんです。ホステス仲間じゃない」
 言葉を切った雪村は、意を決したように顔をあげた。
「あくまで噂にすぎないので、くれぐれもご内密にお願いします。氷室水南という女性です。昨年亡くなられていますが、後藤参議院議員の1人娘です」
「……………」
「ひとつ確かなのは、その女性が神崎香澄の死後、約半年たってから出産し、少なくとも当時夫となっていた人物は、それを自身の子ではないと認識していたことです」
「……出産」
 意外そうに呟いた金森の表情に、初めてかすめるような変化が生じた。 
 一瞬表面に出た驚きを、無理に飲み込んだように、成美には見えた。
 成美の視線を感じ取ったのか、金森は成美を見て、取り繕ったような微笑みを浮かべる。
「となるとその女性は、――あくまで雪村さんがお耳にした噂を前提にすれば、ですが。ヤクザに暴行された上に、その行為によって出来た子供を出産したと」
「ええ、まぁ……、つまり、その女性は熱心なクリスチャンで、堕胎という選択ができなかったというんです。――ありえないですね。実は僕も、端から信じていませんでした。これもまた性質の悪い中傷の類でしょうか」
「……いや……、ありうる話ですよ」
 何故か暗い表情で、金森はわずかに苦笑した。
「というのも、同じ理由で未婚の母になった人間を、僕は知っているからです。まぁ、それはさておいて、今のお話に関しては全くの初耳ですし――少なくとも烏堂と誠会が無関係であることだけは、断言してもいいと思います」
「それは、烏堂という人が性的に」
「不能だから。まぁ、いってしまえばその通りですけどね。それだけでなく誠会では女性への暴行はご法度なんです。僕が知る限り、烏堂がそんな依頼を受けるわけがない」
 少しだけ笑い、その笑いをすぐに消し、やや暗い表情になって、金森は続けた。
「……先ほど言いましたね。同じ理由で未婚の母になった人間を知っていると。実は、それは烏堂の母親のことなんです」
 成美は思わず眉をひそめ、雪村も表情を固くした。
「と、いうと……」
「つまり烏堂は、母親がヤクザ者にレイプされてできた子なんですよ。母親が熱心なクリスチャンで、家出してまで出産を断行したようでしてね」
 言葉を切り、金森はコーヒーで口を湿らせた。
「そこまでは美談ですが、現実にはその続きがある。母親は生活苦から水商売に流れ、酒と薬物に溺れるようになった。その挙句、幼い烏堂に壮絶な虐待を繰り返すようになったんです」
「それは、……辛い話ですね」
「辛いで済ませられる話じゃない。8歳の子供の性器をカミソリで切断するほどの虐待ですよ」
 成美は息を飲み、雪村も言葉が出てこないようだった。金森は続ける。
「そのせいか烏堂は、女性への性的暴行を極端に憎む傾向にあるんです。誠会でもレイプはご法度。やってしまえば即破門です。烏堂自身が童貞でセックスのよさを知らないってのもあると思いますが、仮に香澄が烏堂にそんな依頼をしたら――まぁ、頬の一発も張り飛ばされてたんじゃないですか」
 金森は笑ったが、成美は笑う気にはなれなかった。
 まだ先ほど金森が言った、衝撃的な言葉が耳に残っている。
 カミソリで子供の性器を切り取った。
 そんな残虐な真似を、母親が――どうして。
「すみません。つい、約束した時間を忘れてしまいまして」
 ふと気づくと、雪村がレシートを掴んで立ちあがっている。
 成美も慌てて立ちあがった。時計にすばやく目をやると、確かに約束した時間を10分もオーバーしている。
「今日は、貴重なお時間をいただき、本当にありがとうございました。お礼はまたあらためて、事務所の方に送らせていただいてもいいですか」
「お礼なんていいですよ」
 が、金原は何故か落ち着いた素振りで、すっかり冷めたコーヒーカップをとりあげた。
「それに、時間ならまだ大丈夫です。――ついでなので、少し、烏堂の話をしても?」
「……ええ、構いませんが」
 一瞬何故? と思ったが、成美と雪村は顔を見合わせて、戸惑いながらも席についた。


 
 




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Copyright2011- Rui Ishida all rights reserved.この物語はフィクションです。