コーヒーを一口すすった金森は、口元に微笑を浮かべたままで続けた。
「なんだか懐かしくなりましてね。烏堂は、僕が刑事になりたての頃、懸命に追いかけた男なんです。こうして奴の話をするのは随分久しぶりになる。……実は僕は組対4課時代、新宿で潜入捜査官をしていたんですよ」
「潜入捜査、ですか」
「ええ。暴力団の馴染みの店の常連になってね、摘発に使えそうな情報を客や店員から収集するんです。ゲイのネット小説家……。ま、警察広しといえど、こんなキャラになりきれるのは僕だけだったでしょうね」
 金森は心底懐かしそうに目を細めた。
「その僕がターゲットとして監視していたのが、当時誠会を立ち上げたばかりの烏堂でした。実は、その時の烏堂には複数の殺人容疑がかかっていたんですよ」
「殺人」
「ええ、殺人。しかも3件の連続殺人を教唆した容疑です。とはいえ、この事件では、所轄も捜一も動いていません。当然マスコミも報じていない。だから世間的な認知度はゼロ、そんな事件があったことさえ世に知られていないんです」
「……どういうことです。人が殺されたのに、報道されていないということですか」
「証拠がなかったんです。殺人が行われたという証拠が」
 金森はわずかに肩をすくめた。
「この事件は、僕ら組対が、侠生会のトップにたどり着く足がかりを探していた中で掴んだネタです。その昔、烏堂を酷い目にあわせた連中が3人、ほぼ同時期に行方をくらましているという情報がありましてね。調べてみると、業界の間では、3人は烏堂に報復されたという噂が専らだった」
「業界とは」
「ああ、AV業界です。行方不明の3人は、全員、その業界関係者だったんですよ」
 首をかしげる雪村に向かって、金森は続けた。
「むろん、できうる限りの捜査をしましたが、肝心の3人の遺体がどこからも出てこなかった。つまり、殺しの立証が不可能だったわけです。ヤクザ絡みの事件じゃよくあることで、侠生会ほどの巨大組織ともなると、遺体をなんの痕跡も残さず消すなんて朝飯前ですからね。結局、3人は今でも失踪人扱いのままです」
「その……3人が、烏堂というヤクザに一体何をしたんでしょう」
「ポルノ撮影です。烏堂がまだ小1か小2の頃の話ですけどね」
 雪村が眉をしかめ、成美もまた言葉を飲み込んでいた。
「……児童ポルノ、ですか」
「そうです。烏堂は幼いころ、ポルノ映画を何本も撮られているんです。もうそのフィルム制作会社は倒産していますし、当時の映像は残っていないはずだったんですが、それが近年、失踪した3人の手によって有料サイトにアップロードされたんですよ。3人は潰れた製作会社の元スタッフでね。――よくある話です。アダルト映画制作会社が潰れた後、無修正動画が裏売買で出回るなんてのは、ね」
「……それで」
「烏堂は3人を組事務所に連れ帰り、3日間監禁した上で死ぬほどの目にあわせました。まぁ、そこは触れません。自業自得ですからね。連中は即座に動画を削除して、ちりぢりに街を逃げ出した。――それから一ヶ月以内に、全員が行方不明になっています」
「つまり烏堂に殺された、と」
「4課ではそういう見立てでしたが、調べていく内に僕は違うと感じました。そもそも烏堂が連中を殺すなら、最初に拉致した時にすればいい。殺したのは――証拠は何一つあがりませんでしたが――まぁ、烏堂の舎弟の誰かでしょうね。兄貴の面子を守りたかったんでしょう。奴はとにかく、朋輩には好かれる男でしたから」
「…………」
「ただ、その3件の報復殺人は烏堂にはやや迷惑だったのではないかと思いますよ。おかげで烏堂は終始警察からマークされるハメになった。――まぁ、ヤクザとしての格というか箔みたいなものは、格段に上がりましたけどね」
 しばらく黙った雪村は困惑したように首を振り、心底呆れたように呟いた。
「それが殺人の動機だとしたら、ヤクザというのは愚かなものですね」
「兄貴の面子を守るため、ですか? 僕が言ったことではありますが、まぁ、実際はそれだけじゃないとは思いますよ。――随分ひどい代物だったという話ですから」 
「何が、ですか」
「ポルノ映画ですよ。烏堂が6歳の頃に撮られた」
「…………」
「観たという人間に話を聞きましたが、スナッフぎりぎりの、相当グロい代物だったそうでね。相手の男優役は、――男優といっていいのか微妙ですが、烏堂の継父にあたる男です」
 金森は煙草を取り出して火をつけ、それを深く吸い込んだ。
「烏堂の半生は、ただただ悲惨の一言です。生まれたその時からひたすら虐待されつづけてきた。実の母から、母がつれこんだ男から、または再婚相手から。――そうそう、少年期の烏堂には、常に行動を共にしていた同い年の友人がいたのですが」
 金森は手帳に『長瀬一哉』書いた。
「……再婚相手の連れ子でね。つまり、一時ですが義兄弟の関係だったわけです。2人とも綺麗な顔をしていたせいか、揃ってポルノ動画を撮られていた。そこにたまに、可愛らしい女の子が交じるんです。長瀬一哉の妹ですよ。まだ4歳で、名前は確か、ユキと言った」
 手帳に、由姫という名前が記される。
「一哉と由姫も、烏堂以上に気の毒な身の上でね。死んだ母親は韓国人だったそうですが、日本人の亭主に借金を背負わせられた上に逃げられて……あとはお決まりの転落コースですよ。その母親が首をくくって自殺した後、6歳の一哉と4歳の百姫が借金取りのヤクザ者――烏堂の継父ですが――に拾われたのは、ひとえに2人が美形だったからでしょう。妹は性的虐待を受けている最中に喉をつまらせて窒息死、烏堂と同い年だった一哉は、妹を殺したばかりの養父を背後から刺し殺して施設行きです。――まだ7歳ですよ」
「…………」
「その1年後、母親が児童虐待で逮捕されたために烏堂も施設に入ることになった。そこで一哉と再会したんです。以来、2人は離れることなく行動を共にしていたといいますよ。ちなみに一哉は、その施設で子どもを1人、大人を2人ほど殺しかけています。――人として殆ど壊れかけていた一哉を、烏堂が常時監視して、兄みたいに面倒みてたって話ですけどね」
 手帳を閉じ、金森は薄い笑いを浮かべた。
「一哉は幼少時から苛酷な性的虐待を受け続けてきたせいか、10の年まで言葉が上手くでてこず、知能にも運動能力にも著しい遅れがみられたといいます。烏堂がいなかったらとうに施設で死んでいたでしょう。――僕がいずれ天国に行く日がきたら、ぜひとも神様に聞いてみたいと思ってるんですよ。それも、あなたのご意思だったのでしょうかと」
 しばらく雪村は黙っていたし、成美も何も言えなかった。
 やがて、気を取り直したように、雪村が口を開いた。
「烏堂誠治を引き取って育てたのが、宮田始……と仰られましたね」
「ええ。宮田始は中学生の烏堂と一哉を施設から引き取り、以来自分の息子同然に育てたといいます」
「烏堂だけでなく、一哉も、ですか」
 雪村が、意外そうに言って瞬きをする。
「宮田始とは、その当時からヤクザだったわけですよね。それは一体どのような縁で」
「まぁ、一哉はおまけみたいなものでしょう。烏堂が離れたくないとだだでもこねたのかもしれない。宮田の目的はあくまで烏堂1人だったんですから……」
 金森はわずかに口元を緩めた。
「これは――未確認で、おそらく永遠に裏のとれない情報ですが、烏堂の母親をレイプしたのが、宮田始だったと言われているんです」
「つまり烏堂は、実際に宮田組長の子供だったと」
「そうです。確証はありませんが、そう考えると全ての辻褄があうことになる。宮田始が赤の他人の烏堂を公文書偽造までして引き取った理由――烏堂が若くして異例の出世をとげた理由――。けれど宮田も烏堂も、その件に関しては頑なに否定しています」
「何故否定を? 実際には血縁関係はなかったということなんでしょうか」
「……そうではなく……」
 言葉を切り、しばらく黙って煙草を吸っていた金森は、おもむろにそれを灰皿に押し付けた。
「烏堂はそれこそ、血の滲むような努力をして当時の地位を手に入れたんです。なにしろまともに学校すら行っていない男が、東大京大クラスの頭脳派が闊歩する経済ヤクザの仲間入りをするまでに至ったんですからね。なにもかも宮田始への恩返しのつもりだったんでしょう。――まだ10代の頃ですが、烏堂は鉄砲玉のまね事までしている。宮田始が敵対組織に銃撃されるという事件があって、その報復をしたんです―― 一哉と2人で」
「人殺しをした、ということですか」
「後日、組の下っ端が1人自首してきましたが、やったのは烏堂と一哉です。いや、実際に手を下したのは一哉でしょうね。というのも一哉はその夜から消息不明になり、現在でも行方が判らないままなんです」
「どういうことでしょう」
「さぁ……宮田始が高飛びさせたのか、はたまた制裁を受けて殺されたのか……本当のところは判りません。事件が起きたのは雪がひどい夜で、2人は山中に逃走したといいますからね。……もしかすると、そこで死んでしまったのかもしれない」
 そこで言葉を切って苦く笑うと、金森は雪村に向き直った。
「脱線が長くなりましたね。話を戻しましょう。烏堂と宮田始が、父子関係を頑なに否定した理由ですが」
「――ああ、はい」
「烏堂は義理人情に厚く、ヤクザには珍しくまっすぐなところのある男でしたが……、胸の奥底深くには、消そうにも消しきれない闇があったということなんじゃないでしょうか。つまり盃を交わした父としての宮田始のために命は捨てられても、母親をレイプした宮田始は受け入れられなかった。……そういうことですよ」



 
 




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