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「そこをなんとか――教えてもらえないですか」
「なんとかって、そう言われてもねぇ……」
 プラスチックの壁越しに対応に出た白髪の老駅員は、何度断られても引かない成美に、ほとほと困惑しているようだった。
「何度も同じことを言うようだけど、うちら駅員が、お客さんの情報を勝手に漏らしちゃいかんのですよ」
 個人情報なんたらとかいう法律があるらしくてねぇ。と、太い眉をハの字にした駅員はもごもごと続ける。多分、意味なんて解っていないのだろう。
 成美はがばっと頭を下げた。
「お願いします。後で問題になったら、私が全部責任をとりますから!」
「困ったねぇ。責任を取るって言われてもねぇ……」
 安治屋駅。
 成美がそこに着いた時、時刻は午後8時を回っていた。
 灰谷市で在来線に乗り換え、まっすぐにここまで来た。
 もう、今日の日付の間には灰谷市には戻れないことは判っている。それでも今日――今夜中に片をつけなければならないと思っていた。
 そうでなければ、ただ振り回してしまった雪村に申し訳なさすぎる。
「お願いします。なにもお客さんの情報を教えてくれといっているわけじゃないんです。あそこにかかっていた絵が今どこにあるのか、それを教えて欲しいだけなんです」
「だから、絵って言われてもねぇ……」
 駅員は白髪のまじったもみあげを指で掻きながら、成美の背後に視線を向ける。
 そこには白い角柱がある。今はテーマパークのポスターが貼られているが、今年の始め、成美と氷室が訪れた時、そこには別の絵がかかっていたのだ。 
 水南の書庫にあった、後藤家の鳥瞰図が。
「捨ててしまったのなら諦めます。別の駅に移されたのならその駅を教えて下さい。でも多分そうじゃないはずです。――今年に入って、絵を引き取っていった人がいるはずなんです」
 もしかすると、向井志都か三条守が引き取った可能性もあるが、そうではないだろうと成美は思った。
 あれは、水南が氷室にあてたメッセージだ。
 氷室がそれを見つけたのなら、きっとそのままにするはずがない。
 いや、しなかったからこそ、成美が5月に訪れた時、絵はもうこの駅舎からなくなっていたのだ。
「と、言われてもねぇ」
 くたびれた制服姿の老駅員は、困惑したように首を振った。
「なにしろ私が4月に来た時には、もうそんなものはなかったからねぇ。前任からも絵の話なんてひとことも聞いてないし、そもそもあそこは、本社から指定のあったポスターしか貼れないはずだと……」
「だったら前任に連絡をとってみてもらえませんか。きっと何かご存知のはずですから」
「そうねぇ……、まぁ、聞くだけなら聞いてもいいけれど」
 渋々といった風に、駅員がしわだらけの手をついて立ちあがった。
「ただこんな時間ですからねぇ。シフトにもよるけど、もう帰っていると思いますよ」
 とぼとぼと奥にひっこんだ駅員が、ほどなくして首を振りながら戻ってくる。
 その申し訳なさそうな表情だけで判った。いなかったのだ。多分。
「今夜は非番で、明日は休み。明後日でいいなら、もう一度連絡をとってみますがね」
「……わかりました。じゃあ私の連絡先を……」
 差し出されたメモに携帯の番号を記した成美は、肩を落としたままで、再度駅員に頭を下げた。
「こんな時間に、ご迷惑かけてすみません」
「せっかくここまで来たのに悪いねぇ」
 首をふりふりそう言った駅員は、少し不安そうな目で成美を見上げた。
「ところであんた、随分とひどい格好だけど、今夜はこれから泊まるとこでもあるの」
「大丈夫です。実家が近いので」
 電話をすれば、おそらく驚きながらも車で迎えにきてくれるだろう。
 最悪タクシーを拾えば、高くつくだろうが実家には帰れる。
 成美は再度礼を言ってから駅舎を出ると、羽虫の飛び回る街灯の下で携帯電話をとりあげた。
 絵の線から探すのは無理でも、もう1人、氷室さんの居場所につながる手がかりを知っているかもしれない人がいる。
 可能性としては薄いし、今夜中に連絡が取れるかどうかすらわからないが――
「………………」
 まさか、こんな風にひどく思いつめた気持ちで、この人に再び連絡をとることになるとは思ってもみなかった。
 樋口直人。
 つい数ヶ月前、この駅で再会した初恋の駅員。
 今なら判る。あの日、結局すれ違いになった氷室と樋口は、あの日が初対面ではなかったのだ。
 成美の全く知らないところで、2人はおそらく――
 また胃の奥に冷たいものが落ちてくる。
 だめだ。ここから先を考えるのは、まだ怖い。
 そしてまた、一度得た確信が揺らいでいく。
 この駅から続く足取りをたどれば、本当に彼の居場所に辿り着けるのだろうか。
 いや、そうではない。
 本当に氷室は、再びこの駅に現れるのだろうか……?
「お客さん」
 その時、背後から、先ほどの老駅員の心配そうな声がした。
 驚いて振り返ると、駅員室から出て来てくれたのか、すぐ背後にその人が立っている。
「あんた本当に大丈夫なの」
「あ、はい。今電話……親にかけようと思って」
 駅員は眉を寄せると、何かを勘ぐるような目になった。
「本当に電話しようと思ってたの? すごく暗い目で携帯を睨んでたけど……。なんで絵を探してるのか知らないけど、まさか思いつめて自殺なんか考えてるんじゃないだろうね」
「えっ」
 なに、私、そんな風に見えてるわけ。
 そういえばさっきも、ひどい格好だとか言われたっけ。そりゃ昨日から着替えてないし、しかも今朝は山登りをしたし、服は汚れているけれど。
「随分前だけど、この駅で夫婦ものの心中があったっていうからね。正直こっちも怖いんだよ。あんたみたいなおかしな客が来ると」
「………………」
 笑って否定しようとした成美は、自分の口元がぎこちなく強張るのを感じた。
 夫婦者の心中。
 胃の上のあたりが、痛いくらい収縮するのが判る。
 成美は急いで携帯をしまうと、逃げるように数歩後ずさった。
「そういう心配は――不要っていうか、おかど違いといいますか」
「いや、だからちょっとまってごらん」
「本当に結構です。本当に――大丈夫ですから」
 きびすを返した成美の視界の端で、慌てた様子の駅員が、ひらひらと白いものを振るのが見えた。 
「だからこれ。絵の搬送先の住所だって」
「本当にもういいんです。――――え?」
 足を停めた成美は、信じられないものでも見るような目で振り返った。
「さっき進藤――ああ、私の前任だけどね。進藤の残した日誌をめくって見たら、運送会社の控えが挟まってたから。品名が絵画になってるから、多分これのことじゃないかと思うよ」
「……いいんですか」
 あれほど個人情報がどうとか言っていたのに。
「いいよ。本当のことを言うと、進藤が個人的に預かった絵を勝手に飾ってたみたいでね。――それ自体問題だからあまり人に言っちゃあいけないって言われてたんだよ。だから私から聞いたなんて、間違っても言っちゃいけないよ」
 成美はぎこちなく、老人の手からノートをちぎったようなメモ用紙を受け取った。
 かきなぐった文字で住所が記されている。おそらく目の前の駅員が、伝票から書き写してくれたのだろう。
 予想どおりこの町の住所だ。受け取り人の名前は――
「……浦島土建株式会社……?」
「地元企業。このあたりじゃあ、わりかし知られた名前だけどね。となり町だから、こっからだと車で10分くらいかな」
 ドキリ、と心臓が高鳴った。
(あれは軍手して働いている人の焼け方ね)
 これでまたひとつ、彼への足がかりが繋がった。
「ありがとうございます。また改めてお礼にうかがいますね!」
「あ、ちょっとあんた。いくらなんでも、会社は閉まってる時間だよ!」
 その言葉を最後まで聞かず、成美は近くに停まっているタクシーに向かって駈け出した。
 
 
 
 
  
  
 
 
 




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Copyright2011- Rui Ishida all rights reserved.この物語はフィクションです。