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「……随分豪華な建物ばかりですね。――こちらのお宅もそうですが」
 窓から見える景色を眺めながら、雪村が言った。
 1時間後、成美と雪村は女――安藤叶恵と名乗った女が管理する別荘のリビングにいた。
 叶恵の説明によると、彼女の職業は雇われ管理人。いかにも富裕層が所有していると思しきこの別荘が、彼女の仕事場兼住居らしい。
 警備を任されている云々はどうやら作り話らしく、散歩中に雪村の怒鳴り声(おそらく勝手に建物に飛び込んだ成美を追いかける声)を聞いて、すわ、何事かと思ってバリケードを超えてきてくれたらしいのだ。
 持ち主は株相場で儲けている大金持ち――叶恵の言ったままの表現だが、相当な資産家であることが、内装の異様な豪華さからもうかがい知れる。
「いいんですか。僕ら、結構汚れてますが」
「いいのいいの。とにかく道楽者のおじいちゃんでね。今は山陰の方を飛び回ってるのかしら。年に一度戻って来るかこないかだから、まぁ、安心してくつろいでて」
 ソファに座る2人の前に、叶恵は香りのいい紅茶と生クリームを添えたスコーンを出してくれた。
「すみません……。足の手当までしていただいて」
「気にしないで。それより結構傷が広いから、病院で縫ってもらったほうがいいと思うわよ」
 今頃になってズキズキと痛み出した左足を見下ろして、成美は小さく頷いた。
「それにしても、病気の奥様が山奥で療養してたってだけのオチだったか。さんざんあたしが脅された話はなんだったんだろ」
 ソファに座ってカップをとりあげた叶恵は、唇を尖らせて天を仰いだ。
「どんな風に脅されていたんですか」
 そのオチを叶恵に話した雪村がカップを置いて身を乗り出した。
「ちなみに、後藤家側の地元でも、奥様が療養のために山荘にこもっていたという正確な情報は広まっていません。出産後に姿を消したとか、山で……その悪魔信仰をしていたとか。そんなよからぬ噂が伝承として残っているようです。それと似た類の話でしょうか」
 すると叶恵は、目を輝かせて相槌をうった。
「そうそう、悪魔。サタンよね。人喰いサタン」
「……人喰いサンタ?」
「馬鹿、サタンだ」
 思わず呟いた成美は、雪村に頭をはたかれる。
「人喰いサタンが降臨して、山に迷い込んだ旅人を食い殺したって話でしょ。実際昔は、何人も山で行方不明になってたんだってね。ほら、知ってる? 後藤家財宝伝説」
「……ああ」
「トレジャーハンターが山に迷い込んで、悪魔に食い殺されたんだって話は、このあたりじゃいかにも本当みたいに尾ひれがついて広まってるわよ。案外本気で信じてる人もいるみたいだし」 
 叶恵は面白そうに含み笑いをした。
「ただ、もちろんそんな馬鹿げた理由で、あんなバリケードは作らないでしょ。現実にはもっとヤバイもんがあると思ってた」
「ヤバイもの?」
「死体の隠し場所とかね。ま、わかりやすすぎるけど」
 どうリアクションしていいか判らないまま、成美も雪村もからからと豪快に笑う叶恵を見つめた。
 なんだか、山頂で会った時の威圧感といい、氷室の人となりを分析したことといい、ただの雇われ管理人には思えないのだが――
「まぁ、不法投棄された放射性物質があるとか、現実にはそんなものかなって思ってた。あと有毒ガスが発生してるとかさ。なにしろ所有者が政治家じゃない。隠し事なんていくらでもありそうな気がしてさ。でも種を明かせば、病気の奥さんがそこで療養してただけなんでしょ?」
 後藤家の女がそこで悪魔と交わって子どもを産んだ云々の伝承は、叶恵はまるで知らないようだ。
 ここは隣県だから、ご当地にしか伝わらない噂までは広がっていないのかもしれない。けれど似たような伝承は、この地でもまた語り継がれているのだ。
悪魔――しかも、人喰いの悪魔。
 成美は、今見てきたばかりの、鉄製のバリケードを思い出す。バリケードは舗装道をすっぽりと遮り、山奥に続く唯一の道を完全に封鎖していた。
 いくら病人を隠すためとはいえ、あれほど大仰な壁を作る必要があったのだろうか。
「それにしても、……ひどくものものしい壁でしたね」
 同じことを思い出したのか、雪村が呟いた。
「トレジャーハンターを阻止する目的もあったのかもしれませんが――あれじゃ、まるで本当に悪魔がいるとでもいっているようじゃないですか」
 んー、と考えるように、叶恵は唇を真一文字に結んだ。
「まぁ、ここの場所が場所だからじゃないかなぁ」
「場所が場所?」
「だってこの辺りの住人、ほぼ全員が反社会勢力だもん」
 今度こそ、成美と雪村は絶句していた。
「政治家一家が壁作って遮断する気持ちも分かるんだよね。もしかすると、悪魔だのサバトだの、そんな不気味な噂を流したのは政治家一家なのかもしれないよ」
 反社会勢力――つまり、暴力団。
 泣く子も黙る高級別荘地。やたら迫力と威圧感のある女管理人。
 小さな違和感が、今全部腑に落ちる。
「つ、つつつ、つ、つまり、その、ここ、この別荘は」
 どもりまくる成美を遮るように、叶恵はかかか、と豪快に笑った。
「なに、いきなりびびってんの。うちは大丈夫。昔は名のしれた親分さんだったけど、今は引退したただのおじいちゃんだし、私もれっきとしした堅気だから」
「そ、そうなんですか」
 ヤクザにも引退があって、で、引退したら堅気になるものなんだろうか。
 わからないけど、こんな豪邸に堂々とお住まいになっているというだけで、すでに堅気とはかけ離れているような気がする。
「ここは――その、この辺りは、何年も前からそういった方々がお住まいになっておられたんですか」
「ううん。持ち主がその筋に偏り始めたのは20年くらい前かな。それ以前はまっとうな金持ち連中の別荘地だったって話だよ」
「……それは、何かきっかけでも」
「あら、有名な話なのに知らないの? この山の麓にはね、侠生会会長の自宅があるのよ」
 侠生会会長。
 成美は思わず雪村を見たし、雪村も同様に驚いたのか、はっと眉を上げるのが判った。
「それは、まさか浅川桐吾のことですか」
 今度は叶恵が、少し意外そうに瞬きをした。
「……警察関係者でもないのに名前がすぐでてくるなんてすごいじゃない」
「あ、いや、つい先日、……それ系のノンフィクションを読んだので」
 歯切れ悪く雪村が答える。まさか書いた本人にインタビューしたとは、さすがにここでは言えないだろう。
 へー、と雪村を見据えたままソファに背を預けた叶恵が足を組んだ。
「どんな本だか知らないけど、この町で起きた銃撃事件のことは書いてなかった? 浅川桐吾が引っ越してきたのはその後のことで、それを機にこの別荘地はマフィアストリートになっちゃったのよ」
「……銃撃、事件って」
 叶恵は頷き、足を組み直した。
「私もおじいちゃんからかいつまんで聞かされただけだから、詳しいことまでは知らないけどね。今から20年くらい前、この山の麓には『関東信和会』っつー、ローカルヤクザの幹部が自宅を構えてたんだって。今はもう存在しない組織だけど、当時東京のシマを巡って侠生会と真っ向から対立してたのが『関東信和会』ってわけよ」
 関東信和会。
 確かにきかない名前である。今は存在しない――ということは、すでに侠生会との争いに敗れてしまったのだろうか。
「今から20年くらい前の大雪の朝――その『関東信和会』の幹部自宅に、侠生会系組員が乗り込んで、幹部を撃ち殺すって事件が起きたの。それだけならまだしも、そいつは銃を携帯したままこの山に逃げ込んだのね。当時はまだ政治家だの経済界の大物だのが別荘を構えていたこの山に――そりゃ蜂の巣をつついたような大騒ぎよ」
「この山って、もしかして、ここですか」
 雪村が、少し驚いたような声を出した。
「他にどの山があるってのよ。で、逃げ込んだ殺人犯は、山で忽然と姿を消したの――つまりものの見事に逃げ切ったってわけ。警察と関東親和会の懸命な捜索を振りきってね」
「…………」
 逃げ切った。
 一瞬黙った雪村も、多分今、成美と同じことを考えたはずだった。
 その雪村が口を開く。
「それはつまり――犯人は、例の壁を超えて、後藤家側に逃げてしまったということなんですか」
「その可能性は大いにあったんじゃないかしらね。もちろん警察も壁を超えて捜索したはずよ。さっきあんたたちが侵入した廃屋なんて絶好の隠れ場所だもの。いくら所有者が地元の有力者でも、銃をもったヤクザが潜んでいる可能性があるとなると、放ってはおけないでしょ」
 雪村は答えず、ただ眉根をきつく寄せたまま黙っている。
「その事件を機に侠生会と関東信和会の抗争は激化。結局関東きっての大物が仲裁に入って手打ちになったものの、関東信和会は解散よ。手打ちの条件だったのかは知らないけど、その時になって、ようやく犯人が出頭してきた。まぁ、替え玉だろうって噂がもっぱらだったけど」
 替え玉。
 成美は初めてはっと眉をあげて、雪村を見た。
 侠生会――つまり、烏堂誠治の育ての親である宮田始の上部組織。
 大雪の日に起きた銃撃事件。
 これと似たような話を、つい昨日聞かなかっただろうか。
(後日、下っ端が1人自首してきましたが、やったのは烏堂と長瀬です。いや、実際に手を下したのは長瀬でしょうね。というのも長瀬はその夜から消息不明になり、現在でも行方が判らないままなんです)
(さぁ……実行犯である長瀬を、宮田始が高飛びさせたんだとは思いますが、本当のところは判りません。事件が起きたのは雪がひどい夜で、2人は山中に逃走したといいますからね。……もしかすると、そこで死んでしまったのかもしれない)
「そんなこんなで、このあたりは悪い意味で有名になっちゃったの。多分だけど、その罪滅ぼしのつもりもあったのかしらね。浅川桐吾が殺された幹部の自宅を買い取り、この別荘地も――次々と売りに出されたものを侠生会の幹部が買い取ったの。そして今に至ってるってわけよ」
「……ちょっと待って下さい。もしかして、ですが」
 眉をきつく寄せたままの雪村が、顔をあげていった。
「その犯人は、――その、関東親和会幹部を撃ち殺したという犯人は、侠生会系宮田組に所属していたんじゃないですか」
 叶恵が目を丸くするのが判った。
「ちょっと君、なんでそんな細かいことまで知ってんの? それも本に書いてあったわけ?」
「ええ、書いてあったんです。それから、先ほど犯人は自首したと言いましたが、山に逃げ込んだ実行犯は、実は2人だったんじゃないですか?」
「………………」
 成美は息を詰めるようにして、叶恵が口を開くのを待っていた。
 当然雪村も気がついていただろう。恐ろしい偶然だが、これは昨日、金森から聞かされた話なのだ。
 その2人とは、宮田組長に引き取られた烏堂誠治と義兄弟の長瀬一哉ではなかったか。
「……驚いた。本当によく知ってるのね。その通りよ。で、その内1人は山で消息を断ったって話……、サタンに喰われたなんて、うちのオーナーは言ってたけど……」
 成美は、カップを持つ自分の指がかすかに震えるのを感じた。
 これで見えなかった何かの糸がひとつ、繋がった気がする。
 ジャーナリストの金森が、奇妙なほど長々と烏堂誠治の話をした理由。
 もし烏堂誠治と長瀬一哉が、後藤家に逃げ込んでいたならば。
 もしかすると、その際2人は、後藤水南と会っていたかもしれないのだ――

 
 

 
 




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Copyright2011- Rui Ishida all rights reserved.この物語はフィクションです。