成美が会計を済ませて店を出ると、先に出ていた雪村は携帯で誰かと電話しているようだった。
「向井さん。後藤家の管理人の」
 成美が傍に歩み寄ると、携帯を切った雪村は成美の方に向き直ってそう言った。
「今日は朝から屋敷に詰めてるから、今からすぐ来てくれってさ。なんだか余裕がない感じだった。屋敷の取り壊しが近いのかもしれない」
「えっ、本当ですか」
 てか、その前に、どうして向井さんが雪村さんの携帯の番号を……。
 その疑問を口に出す暇もない内に、雪村は携帯を鞄の中に投げ込んで歩き出した。
「今の話、どう思った?」
「え、どうって?」
 成美は戸惑って言葉に窮した。
「どうと言われても……取り壊しはまだ先だとばかり」
「そっちじゃなくて、金森さんの話。おかしいと思わなかったか」
 ――おかしい……?
「確かに……、三条さんに聞いた話と矛盾してるとは思いました。三条さん、あたかも自分が香澄さんに報復して、自殺させたようなことを言ってましたけど」
「……ああ、そっちな。まぁ、三条って奴がてんでデタラメで信じるに値しない男ってことだけははっきりした。それは確かに収穫だった」
「ちょ、てんでデタラメは、言い過ぎだと思いますけど」
 といいつつ、この件では成美の胸は随分軽くなっていた。
 少なくとも、三条が語ったことの一部は間違いなく嘘だった。彼は神崎香澄を拉致監禁して報復したのではなく、むしろ匿い、助けようとしていたのだ。
 氷室が水南を襲わせたという話も、結局は三条の作り話だったのかもしれない。
 でも、……だったら?
 成美は眉を寄せて、一瞬足を止めていた。
 三条守は、なんだってわざわざ、そんな嘘を私についたのだろう。
「やっぱりおかしい」
 雪村の呟きで、足を止めていた成美は慌ててその隣に並んだ。
「――ですよね? なんだって三条守みたいな立場のある人が、そんな嘘を」
「それも変だが、俺が言ってるのはさっきまでの話。なんだって金森さんは、ああも長々と余計な話をしてくれたんだろう」
 ああ、まぁ、確かに。
「烏堂って人のことですよね。――金森さんにとっては、それだけ思い入れがある人だったってことじゃないでしょうか」
「金森さんの人柄について、宮原さんから事前に聞いてたんだ。いい加減にみえて時間にはひどく正確、饒舌にみえて余計なことは一切喋らない人だって」
「……? なんだか理解するのが難しそうな人ですけど」
「そのどちらも、金森さんはあっさり破った。今何時だと思う? 予定を30分もオーバーしてるし、次の取材にも当然、遅れる」
 成美は黙って眉をひそめた。
 時間に正確な人が、自ら時間をオーバーしてまで話したのが、聞かれもしないやくざ者の過去。確かに少し、奇異な気がする。
「関係あるのかもしれないな」
「なにが、ですか」
「俺達の求めている情報と、烏堂って男が」
 成美は言葉を失ったまま、雪村を見上げた。
「……どういう意味ですか」
「意味は判らない。漠然とそんな気がするだけだ」
「は?」
 もちろん、神崎香澄の死には、烏堂というヤクザが関係している。だからって、それが何か――重要な意味でも持っているのだろうか。
 神崎香澄が自殺したのは間違いないと、金森さんは断言した。
 そこに何か含みがあるようには思えなかった。
 金森さんは終始淡々としていたし、神崎香澄の死因を知りたいというこちらの要望にも疑問を挟もうとはしなかったし……。
 待てよ。でも一度だけ、彼の表情に不思議を覚えた瞬間がなかったろうか。
あれは――あれは、確か。
「まぁ、いい。とにかくレンタカーに移動しよう。ぼやぼやしてると向井さんに叱られそうだ」
「あ、はい」
 雪村にうながされ、成美の思考は中断された。
 
 
 
「水南さんの病気のこと、氷室さんから何か聴いたことあるか」
 走りだした車の中で、それまで黙って運転していた雪村が不意にそう言った。
「……それは……」
(癌です。もう5年も患っていました)
 あの日の氷室の、悲しみと諦めを含んだ静かな目が蘇る。
「……癌だとしか」
「部位は?」
 成美は黙って首を横に振った。
「すみません。あまり水南さんの話は……。亡くなられた時に少し聞いただけなんです」
「そっか。まぁ、そうだよな」
 どういう意味の質問だろう。
 そう思ったが、どこか難しげな雪村の横顔に、それを訊くことははばかられた。
「向井さんに聞けば判るか。――どう考えても素直に教えてくれそうにないが」
「あの……水南さんの病気に、何か、引っかかることでもあるんですか」
「あるよ。ある。ていうか、引っかかることがありすぎて整理しきれないほどだ。かき集めた情報の、どれが氷室さんに関係していて、どれが関係してないのか、それすら俺には判らない」
 不意に苛立ったように髪に指を差し入れる雪村を、成美はやや引き気味に見た。
「……まぁ、確かに」
 父親の犯罪、上司の犯罪、神崎香澄とアルカナ、烏堂誠治というヤクザ。
 三条守のついた嘘、部屋に残された鍵、氷室がその屋敷で探していた何か。――
 調べていればいくほど、謎は深くなり、闇の底に落ちていくような不安を覚える。
「……俺たち、ゲームの駒みたいだな」
「え?」
 前を見たまま、雪村は少し苛立ったような息をついた。
「時々ふと思うんだ。俺たちはもしかして、氷室さんが作ったゲーム盤の上で、右往左往してる駒じゃないかって」
「…………」
「だって考えてもみろ。ここ数日の俺たちは、氷室さんがばら撒いたヒントを探していったりきたりだ。で、用意されたヒントを全部集めても全体像は決して見えない仕組みになっている。ずるいよな。――それを氷室さんは、神の視点から見下ろして楽しんでるんだから」
「ちょっと、……いくらなんでも氷室さんもそこまで人が悪くはないですよ」
 ややむっとして視線を前に戻しながら、ふと成美は以前――いつだったか、そう遠くない過去、自分も今の雪村と同じ感覚に見舞われたことを思い出した。
 パズル。
 パーツが欠けて完成しないパズル。
 神の、視点。
 あれは確か、最後に会った日の氷室を見ていて思ったことで――
「――前、言ったな。後藤家に買い手がつかない理由。ちょっとよくない噂があるって」
 雪村の声で我に返り、成美は急いで彼に向き直った。
「のろいとかたたりの類の話ですか」
「きちんと裏取ってから話そうと思ったけど、難しそうだから今話しとく。―― 笑うなよ。ぞっとするような話だから」
「……並び立ちます? それ」
「後藤の血を引く女性は、出産すると悪魔になるんだそうだ」
 数秒沈黙した成美は、「は?」とだけ言っていた。
 なんだ、それは。
「アクマ? 悪魔……って、言いました? もしかして」
「言っとくが、司書の爺さんが言ってた言葉の、そのまんまだからな」
 雪村はむっとしたように眉をあげた。
「何代か前の後藤家にな、後藤伝八っていうそれはそれは残虐な殿様かいたんだそうだ。いつも獰猛な土佐犬を連れ歩いて、気に入らない相手は噛み殺させていたというから、巷では狂犬領主と呼ばれていたんだとか」
 狂犬領主?
 はっと成美は目を見開いた。そういえば図書館で三条守を検索した時、そんなワードがでてきたはずだ。
「そ、その人って三条さんと関係ある人なんですか?」
 思わず身を乗り出して成美が訊くと、雪村は訝しげに眉を寄せる。
「あるかよ。百年以上も前に死んでるっつーの」
 それはそうだ。
 じゃあ、あの検索ワードの並びにはなんの意味があったんだろう。
「そんな折、村に怪しげなイギリス人宣教師が現れた。伝八には、トワという名のとても美しくて優しい妻がいて、トワは夫の残虐行為に常々心を痛めていたそうなんだが……、そこにつけこまれたのか、宣教師に説得されて、キリスト教に帰依するようになったんだ」
「……それが、後藤家がキリスト教徒になった始まりなんですか」
「そういうことになる。――まぁ、怪しげな外国人宣教師といい、得体のしれない宗教といい、当時の田舎の村落では、相当悪目立ちしていたんだろうな。で、やがてこんな噂が村中に広まるようになった。トワは後藤家の山頂に怪しげな館を建て、そこで悪魔と交わっているんだろうと」
「……なんですか、それ」
 さすがに呆れて言葉が出てこない。
「俺に意味が判るかよ。で――トワは悪魔との間に子どもを身ごもり、その子を産んで死んだんだそうだ。以来、後藤家の女は、妊娠すると必ずその館に閉じこもって、悪魔の血を引く子どもを産む。……その瞬間には誰も立ち会えないし、子を産んだ女は誰にも顔をみせることなく死んでしまうんだそうだ」
「………………」
「もちろん迷信かデマだろうが、そんな噂がたったのには理由がある。昭和の初期頃まで、後藤家の女主人は、出産後に必ず姿を消してしまっていたそうなんだ。そういう風習なのか、産後のひだちが悪かったのか」
「姿を消すって、……どこかに行くってことですか」
「文字通り身を隠すって意味なんだと思う。昔、女は生理中の時に人前に出ちゃいけなかったんだろ? それと似た発想じゃないか」
「はぁ……」
 てか、生理とか、乙女の前で平然と言わないで欲しいんですけど。
「後藤家の奥方様が死んでるのか生きてるのか、それすら村民には判らなかったんだそうだ。つまり一切表に出てこない――死んでた可能性だってあったわけだ。今なら間違いなく犯罪ものだが、後藤家だし、多分なんでもありだったんだろうな」
「よく判りませんけど、姿を消しただけで悪魔よばわりなんてひどくないですか」
「それに加えて奇怪な叫び声を聞いたって話があったり、後藤家の敷地に迷い込んだ人が行方不明になったり――まぁ、実際いわくつきの治外法権区だ。キリスト教を信奉してたってだけで異端者扱いだったのかもしれない。 村民の怒りや畏れがそんな中傷にも似た迷信を創りだしたんじゃないかって――司書のおっさんはそう言ってたな」
 まぁ、確かに、迷信とか民話なんて、そんな誤解から生まれるものだけど。
 成美はやや憤慨して眉を寄せた。
「でもそんな、すぐに嘘だって判るような噂、別に裏なんか取る必要ないですよ」
「確かに愚にもつかない迷信には違いないが、実際に戦前くらいまで、後藤家の女主人は必ず出産後に姿を消していた。つまりなにかしら、人前には出せない事情があったんだ。そうだろ?」
「まぁ、……そうかもしれませんけど、それにしたって昔の話ですよ」
「いや、近年、同じことが一度起きている」
「……え?」
「中村須磨さんの話、覚えてないのかよ。後藤水南の母親のことだよ」
「…………」
「後藤水南の母親は、出産後に病気で別宅にこもっていた。娘の水南とは一緒に暮らしていなかったし、一度も家に帰ることすらなかった。それって普通に考えて少しおかしいとは思わないか?」
 成美は黙って雪村を見つめた。でも、――でもそれは、重い病気だったら、どんな家庭にだってあり得る話だ。
「結核とか、……」
「昔と違って結核は不知の病じゃない。ちゃんとした病院で治療すれば治る病だ。山奥に閉じ込めたまま死なすなんて、かえって不自然だとは思わないか」
「…………」
 黙る成美を見ないままで雪村は続けた。
「水南さんもまた病で亡くなった。双方の死亡と出産時期を考えると、どちらも出産前後に発病したことは間違いないと思う。……もしかすると母娘2人は、同じ病で亡くなったのかもしれない」
「……あ」
 女性特有の癌には、遺伝的要素がある。それは成美も知っている。それは医学的にも証明されていて、予防的切除をする人もいるほどだ。
「……まぁ、そのあたりはもう推測でしかないが、後藤家の直系女子には、なんらかの遺伝病があったんじゃないかという気がしてな……。それこそ裏がとれないと、迂闊に口にすべきことじゃないが」
 


 
 




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Copyright2011- Rui Ishida all rights reserved.この物語はフィクションです。