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「去年の年末、理人に頼まれてしばらく車を貸してたのよ。さっきまで乗ってたやつね。まぁ、そういうことは再々。こいつ、いかにもリッチマン気取ってるくせに、借金まみれでローンが組めないから」
葉月の隣で、いかにも不平気に紀里谷が肩をすくめる。
「……で、大晦日の早朝だったかな。いきなり、氷室さんから携帯に電話があったのよね」
その刹那だけ、葉月の目がうっとりとなった。
「理人がどこにいるか知りませんかって。どうも携帯が繋がらないみたいでね。確かに私も何度か理人に連絡はしてたんだけど、なんでかずっと留守電だったのよね」
「ああ、……紀里谷さん、繋がりにくい場所にいたんですよ」
成美は紀里谷を振り返った。あの日、紀里谷がいた成美の実家の近辺では、ソ○トバンクが繋がりにくいといっていたはずだ。
「切ってたんだ」
観念したように、紀里谷が息を吐いた。
「本当はつながるよ。さすがは孫さんだ。プラチナバンド万歳。でもその日ばかりは、誰からも電話がかかってほしくなかったんで――圏外のメッセージが流れるように細工してたんだよ」
「はぁ?」
葉月の指が、今度は弟の喉にまきついた。
「あんた、一体何様のつもりよ。私だけじゃなく氷室さんまで騙す気だったってこと?」
「ね、姉ちゃんはともかく、そんな小細工で騙される天さんかよっ。まぁ、いいから、姉ちゃんの話の続きをしろって」
不満そうだったが、葉月はやむなくといった風に残りの茶を飲み干した。
「すぐにでも、私が理人を探しに行きたかったけど、生憎私もお得意様と温泉旅行中だったわけ。だから――教えてあげたのよ。理人に貸した車には盗難防止用のGPSがついていて、専用サイトにパスワードを入れたら居場所が追跡できるようになってますって」
「まぁ、つまりはそういう方法で、天さんはリアルタイムで俺の後を追っかけてきたんだよ」
ため息をつきながら、補足のように紀里谷が言った。
「多分だけど、姉貴に電話してきた朝の段階じゃ、大まかな場所しか解んなかったんじゃねぇかな。お前の実家の近辺、ド田舎すぎてGPSの地図に乗らないだろ。朝の時点でお前の実家にいることがバレてたら、昼に駅で偶然会う展開にはなってなかったと思うし」
「そう……ですね」
そもそも氷室さんは、私の実家の場所を知っていたのだろうか。
ふとそんなことを思ったが、あまり意味のない疑問だと思い直した。
免許証にも本籍は入っているし、家族のことを話すついでに住所もおおまかに説明していたのかもしれない。
「私の話はそれだけよ。てか、追跡方法なんてどうでもいいでしょ。問題は、そもそもどうして氷室さんが、あんたを追いかけたかってことじゃないの?」
葉月の苛立ったような言葉は、そのまま成美の心の声でもあるのだが、紀里谷は待て待て、とでもいうように片手を上げた。
「悪いけど、俺の話は最後にさせて。――なぁ、天さんの様子ってどうだったわけ」
いきなり振られ、成美は少し狼狽えた。
「様子って?」
「お前からみて、おかしいと思う点があったかってこと。結局その日が、お前と会った最後になったんだろ」
「…………」
「姉ちゃんの最初の質問に戻るけど、そもそもなんだって、あの日と同じ行程を辿ろうと思ったわけ? 天さんが俺追いかけてきたことだけじゃなくてさ。お前なりに、天さんの異変を感じたからじゃねぇの」
「…………」
どう言えば、いいんだろう。
強いて言えば、あまりに幸福すぎたのかもしれない。
彼と過ごした1日足らずの時間があまりにも幸福すぎて、――なのに、時折見せる彼の表情に、なんだか……彼1人が別の世界を見ているような不安を感じて――
しかしそんな、恋に狂ったのろけ丸出しの話を、まさか恋敵を称する女の前で出来るはずもない。
「ちぐはぐ、みたいな」
迷った挙句、出てきた言葉はそれだった。
案の定、紀里谷と葉月が同じ顔で「は?」と言う。
「う、上手く言えないんですけど、氷室さんって……思考も行動も、いつも筋が通っていて、ルールというか、様式美というか、とにかくパズルのピースが小気味良くはまっていくような気持ちよさがある人なんですけど」
あの日は、違った。
彼自身が最初から最後まで、どこかで迷い、何かを畏れ、――まるで。
「まるで……なんていうんでしょうか。……誰かがバラバラにしちゃったパズルのピースを、必死に探してる、……みたいな」
ああ、なんだってこんな抽象的な表現しかできないんだろう。
自分の語彙のなさが情けない。
が、絶対に突っ込まれると思ったものの、紀里谷も葉月も、妙な顔で押し黙ったままだった。
「あの……。私の言っている意味、分かります?」
「判るから、続けろよ」
「は、はい」
こうなったら最後までこの表現で押し切ろう。成美は腹をくくって顔をあげた。
「全くの勘なんですけど、その――誰かがバラバラにしちゃった何かを、氷室さん、その日頭のなかで組み立てて、完成させちゃったような気がするんです」
元旦のあの日、私と一緒にいる間に。
そしてその誰かとは――今は口にする気はないけど、おそらくは彼の亡くなられた奥様だ。
「……彼が、その何かを完成させるきっかけみたいなものが、一緒に回ったどこかにあるような気がして……上手く言えないんですけど、それが彼の気持ちを決定的に変えさせてしまったような気がして」
ひとつひとつ言葉を探して言う成美を、紀里谷がもどかしげに見た。
「変えさせたって、どういう意味だよ」
「……私の思い込みかもしれないけど、氷室さん、東京に戻る気はなかったような気がするんです。……少なくとも31日の夜までは」
「…………」
「……本当に……私の勝手な思い込みなんですけど」
そのきっかけになった何かが判れば、彼が消えてしまった理由を推し量ることができるかもしれない。
馬鹿みたいに抽象的な理由だとは、自分でもよく判っているのだが……。
「ゲーム……」
葉月が、眉をひそめたままで呟いた。その葉月に紀里谷が目をやると、葉月は、何故は狼狽えたように口に手をあてて押し黙る。
――え、何?
その反応を訝しく思った時、いきなり紀里谷が口を開いた。
「じゃあ、俺の話だけど」
はっと、成美は視線を紀里谷に戻した。
「最初から、依頼されて動いてたんだ。俺」
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