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「さっきまであんたがいた場所、どういう場所か知ってる?」
「え……」
ようやく口を開いた三条を、車の助手席に座る成美は恐る恐る見上げた。
「さっきの、場所って?」
(とりあえず車動かすから乗れよ。大丈夫、俺みたいな立場のある人間が、間違っても犯罪者みたいな真似はしないから)
そんなことを言われたから同乗したものの、成美はもう、この男の車に乗ったことを後悔していた。
車は高速に乗り、走ること1時間。ここがどこで、今からどこまで連れて行かれるのか成美にはさっぱり判らない。しかも三条は、車に乗ってからというものずっと無言で、話などしてくれそうな気配もない。
さらに最悪なことに、気づけば携帯電話がなくなっていた。
雪村の車に忘れたのだ――多分だけど、後部シートに投げ出したままになっている。雪村にも迷惑な話だろうが、それをもし、合流した彼女が見つけたらと思うと、背筋がぞっとせずにはいられない。
雪村の天災級の雷が落ちるのは当然のこととして、これでは万が一の場合、どこにも助けを求められないではないか。
「さっきの場所って、後藤のお屋敷のことですか」
なるべく窓際に寄りながら、成美はおずおずと訊いた。
「そう、後藤の家の勝手口」
運転しながら、横顔だけで三条は笑う。
「俺と水南が、天と初めて出会った場所」
「…………」
いきなり出てきた水南の名前に、成美は動揺を隠せずに三条を見上げた。
「水南のこと、知ってるだろ? 後藤水南。戸籍上は死ぬまで天の女房だったから氷室水南か。まぁ、そんな風に名乗ったことは一度もなかったけどな」
成美の返事を待たずに、三条は楽しそうに続けた。
「水南と俺は同級生でさ。幼稚園から高校までずっと一緒。今はもう無いけど、あの町にはうちの曾祖父さんと後藤家の何代か前の当主が作った、少しばかり有名な進学校があったんだ。俺、実家は成城だけど、高校出るまで町の外れにある爺ちゃん家で育ったから」
「……氷室さんも、同じ学校だったんですか」
「そう。ただ、奴は中途入学で、俺より2個下だったけどね」
「2個、下……」
成美は思わず呟いた。ということは、三条と同級生の水南さんは、氷室さんより2歳年上だったということになる。
「なんだ、あんた。天の恋人って割には、本当に何も知らないんだな」
三条の横顔が愉快そうに笑った。
「じゃあ、天のおふくろが後藤家の使用人だって話も知らないとか?」
「えっ」
――使用人?
「俺と水南が6年生だったから、天が小学4年の時かな。さっきの勝手口から、天と、天のおふくろさんの2人が、後藤の家に入っていくのを偶然見たんだ。そりゃ、抜けるような美人のおふくろさんだったよ。だから俺もそうだけど、水南にもすぐ判ったんじゃねぇかな。ああ、親父さんの新しい愛人だなって」
さすがに、成美は目を見開いていた。
「愛人……、愛人って言いました?」
「言ったよ。それが?」
平然と肩をすくめて三条は続けた。
「使用人が愛人になったのか、愛人が使用人としてやってきたのか、それは判んねぇけどな。天のおふくろは、一ヶ月もしない内に住み込みの身分になった。親父さんの隠し女は、そりゃ何人もいたけどさ。屋敷に住み込ませたのは、後にも先にも天のおふくろ1人だよ。しかもその息子の天の面倒までみたんだから、ハンパねぇ入れ込みようだったってことだ」
「……面倒を、みた」
「お前、そんなことも知らねぇでここまで来たの?」
三条は呆れたように眉をあげた。
「天を俺らの通う学校に転入させて、高校出るまで面倒みたのは、後藤の親父さんだよ。いってみれば今の天があるのは、後藤の親父さんのおかげなんだ。親父さん、いずれは天を後藤家の執事か自分の秘書にするつもりだったんじゃねぇのかな。――なのに天の奴、恩知らずにも自分の両親が死んでいくばくかの保険金が入ると、あっさりと後藤家を出て行きやがった」
「…………」
成美は黙って眉だけを寄せた。
氷室の両親は――彼の言葉を借りれば自殺したのだ。
彼の母親が後藤家の当主の愛人であったのなら、そこにはどんな葛藤があったのだろうか。
「とはいえ、むろん、そんな端金じゃあ大学を卒業するまではとてももたない。天はそこで、高校時代の先輩を頼ったんだ。天より2歳年上の、俺と水南の同級生。当時はキャバクラで働いていた。ついでにいえば、俺のお古だ。学生時代は俺の女だったからな」
――同級生……。学生時代は俺の女。
「天は女のヒモになって大学に通い、両親の保険金を投資や株で増やしていった。その2年後には都内にマンションを2部屋持つようになったんだから、いっぱしのリッチマンだ。金儲けは天の才能でもあり、女が天への投資を惜しまなかったせいでもある。――つまりその女が、天の第2の恩人だ」
三条の頬が皮肉に歪んだ。
「なのに天は、自分が国土交通省に入ると、女をあっさり切って捨てた。もう女の手を借りなくても金はいくらでも入ってくるし、裏社会と繋がりのある女と関係を持っていれば、いずれ昇進の邪魔になると考えたんだろう。――全く天らしい選択だよ」
同級生――裏社会。
成美の頭に、先ほど見たばかりのネット記事が瞬くようによみがえった。
元自殺したのは三条守のかつてのセフレ。
大人の玩具やエロ下着を輸入販売してるエロい会社。
三条守の同級生で中学時代からの性奴隷。
凄腕の仕手集団――つまり、株投資。
「……か、神崎……かす、み?」
思わず確かめるように呟いた成美を、三条は初めて少し驚いたような目で振り返った。
「知ってんの? まさか思うけど、天から聞いてたのか?」
「……ネット、で……」
「ネット」
呟いた三条は、皮肉な笑いを薄い唇に浮かべた。
「ああ、それで最初からびびってんのか。その記事、天じゃなくて俺のことだろ。――なるほどね。そう、たしかにその神崎香澄が、天の恋人だった女だよ」
胃のあたりがずしりと重くなったような気がして、成美は思わず下腹部のあたりを手で押さえていた。
「い、今の話は、本当なんですか」
「本当だよ? 4年間、天は香澄を食い物にして生きてきた。金とセックス。そして心。天が香澄から奪い尽くしたものだ」
「…………」
「なのに用済みになると、天はあっさりと香澄を捨て、より条件のいい結婚相手を探し始めた。あの頃の天は出世欲の塊だったからな。ハンデがあるから必死だったんだろう」
ハンデ?
「いっとくけど、そうやって天が使い捨てにした女は、なにも香澄1人じゃないぜ? 正直、どれだけいたのか見当もつかないほどだ。天にとって女は道具だ、利用できればそれでいい。当時のあいつは、正真正銘、心のない悪魔だったんだよ」
「……信じません」
呟いた成美は、自分に再度言い聞かせた。信じない。私はそんな話――信じない。
「でも香澄だけは相手が悪かった。なにしろ香澄のパックにはこわーい連中がついてたんだ。あんたもネット記事みたなら判るだろ。ヤクザだよ。モノホンのヤクザが、香澄にはパトロンとしてついてたんだ」
くくっと笑った三条の目は、しかし冷たく冷えていた。
「いっそそいつらに天を殺させりゃよかったんだ。なのに何故か女の恨みは、同じ女に向けられる」
「……どういう、意味ですか」
三条は馬鹿にしたように肩をすくめた。
「あんた、俺のこと調べたんだろ? そのあたりのこと、ネットには出てなかった?」
「か、神崎さんは、あなたに乱暴されて自殺したって」
「俺が香澄を拉致監禁したって話だろ? だからさ、なんでそうしたかってのが、出てなかった?」
なんで、そうしたか……?
冷めた笑いを浮かべ、三条は少しだけ肩をすくめた。
「ま、着いてから話すわ。そろそろ目的地だ。どうせ今日は、話すつもりであんた連れだしたんだから」
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