車に戻るとすぐにアイフォンを操作し始めた雪村を見て、成美は少し恐縮しながら腕時計で時間を確認した。
 これは絶対、彼女からの返信の催促ってやつだ。
 そうだよね。とても――とても心細い気はするけど、そろそろお別れしないとまずい時間だよね。
「あの」
「ん」
「すみません。色々ありがとうございました」
 自分がぐずぐずしていたとはいえ、まさか雪村主査が、ああも積極的に関わってくれるとは思ってもみなかった。
「あとは、私1人で大丈夫なんで……。1時までどこかで時間潰して、もう1回来てみますから、……雪村さんは、もう」
「お前に心配されなくても、約束の時間になったらとっととおさらばするに決まってんだろ」
 素っ気なく言い捨てる雪村の意識は、もう完全に端末画面に向けられているようだ。
 それにしても、氷室の前戸籍地は、想像していた以上に曰くありげな場所のようだった。
 迷信ってなんだろう。買い手がつかないってどうしてだろう。はっきり言われない分、もやもやした恐怖が増していく気がしてしょうがない。
「雪村さん」
「あ?」
「……その、さっきのお屋敷、買い手がつかないみたいな話がありましたけど、なにか、曰くでもあるんですかね」
「まぁ、普通に考えて一家惨殺じゃねぇの」
「…………」
 それ、全く普通の発想じゃないと思うんですけど。
「ああ、でた。こいつだ」
「え?」
 雪村が小さな液晶画面を成美の方に差し出したので、成美は思わずのぞきこんでいた。
 ――え、誰……?
 そこには、彫りの深い、色白の男の顔が映し出されていた。
 眦が釣り上がり、唇が赤くて薄い。髪が後ろに撫で付けられているせいか、頭蓋骨の形が薄気味悪いほどよく判る。
「誰ですか。この人」
「三条守。工事のおっさんの話が本当なら、さっきのお屋敷の現所有者」
 ――あ……。
「もしかして、LINEじゃなくて検索を……?」
「は? 当たり前だ、馬鹿。お前、これから誰に話を聞くつもりだよ。管理人の婆さんがあてにならなきゃ、相手はこの男しかいないだろうが」
 確かに、そうだ。
 成美は眉をひそめたまま、液晶画面に映る男の顔をまじまじと見つめた。
 できればこんな怖そうな人と、会いたくはないけれど。
「ざっとプロフィールを辿ってみたけど、三光重工の専務取締役で、創設者の直系親族。次期社長とも言われてる。何年か前に、元宝塚の娘役と結婚したとかで、少しばかりマスコミで騒がれたみたいだ」
 氷室さんと関係のある人だろうか。
 仮にあったとしても、巨大企業の取締役。こんな雲の上の人に、果たして会うことができるだろうか。
 他の記事を検索しようとした成美は、ふと目をとめていた。
 元宝塚の人と結婚したというせいか、検索ワードの名前の横には、えらくきらびやかな名前が並列されている。
「紫流雅麗……なんて読むんでしょう。これ」
「知るかよ。多分奥さんの芸名じゃねぇの。ゴシップなんてどうでもいいから、アポとれる連絡先でも探してみろよ」
「あ、はい」
 しかし成美の目は、ついこんな記事の見出しでとまってしまっていた。
【ファン衝撃、あの紫流雅麗の婚約者にDV常習疑惑】
「…………」
 なんだろう。なんだか、すごく嫌な予感がする。
「あの、連絡先もそうですけど、どんな人か、だいたいのところを掴むのも大切だと思うんで」
 言い訳するように断ってから、成美はその記事をタップした。


 先日、引退公演の千秋楽を迎えると共に婚約を発表した紫流だが、その婚約者にきな臭い噂が立ち込めている。
 報道された通り、お相手は日本三光重工取締役の三条守氏(28)。その若さにして重役なのは、三条氏が三光グループ創設者一族の直系だからだ。
 身長187センチのスリムなイケメンで、財閥の御曹司ときたら、もちろん世の女性たちが放っておかない。
 しかしその三条氏と、かつて交際していた女性たちに話を聞くと、三条氏の思いもよらない暴力的な素顔が浮き上がってきた。
 銀座高級クラブに務めるA子さんは言う。 

「気に入らないことがあると、殴る蹴るは日常茶飯事。反論した途端に鼻頭を殴られ、鼻骨が折れたこともあります。あの人は感情の抑制がきかない大きな子供なんです。どんな女だって、3日と持ちません」

 また、三光重工の元秘書ですでに退職しているB子さんはこうも言っている。

「女とみれば見境ないっていうか、はっきりいえば獣みたいな男ですよ。セックスはいつも強引で暴力的。相手が相手だけに泣き寝入りしてますけど、社内の子も、随分被害にあっているはずです」
 
 どうやら三条氏の暴君的な一面は、同氏の幼少時代から培われていたようだ。同氏が通っていた私立中高一貫校(現在は統合により廃校)でも、卑劣ないじめがあったという噂は後をたたなかったらしい。
 その上本誌記者が取材を進めたところ、さらにきな臭い噂が耳に入ってきた。
 昨年、都内ホテルで自死した元会社経営者のK子さん(仮名・当時27歳)だが、実は死の直前、三条氏に一ヶ月に渡って拉致監禁され、執拗な暴力を受けていたという関係者の証言がある。それが真実なら、日本警察はすでに一部富裕層に金で買われているといいのかもしれない。
 三条氏は、そういったスキャンダルの全てを金で解決しているそうだが、

 
 
 成美は顔をあげていた。
「ゆ、……雪村さん」
「おい、そんなもんゴシップだ。てか、死にかけた犬みたいな目でこっち見るな」
 とんでもなく迷惑そうに、雪村は成美の手から端末を取り上げた。
「誰がこんな記事検索しろっつったよ。検索すんのは企業のページ、連絡先を探せっつったんだよ」
 い、いやいや、でもでも。
「なんか、すごく怖い人みたいなんですけど」
「……だからゴシップだろ。本当はすごくいい人かもしれないじゃないか」
「こ、後半、明らかに棒読みじゃないですか。そんな、無責任なこと言わないでくださいよっ」
「無責任もなにも、俺には最初から関係ない話だろうが!」
 不意に強くなった口調に、成美は少しびっくりして顎を引いた。
 なんだろう、怒ってる?
「……お前、他力本願にもほどがあるぞ。そもそも誰の用事でここまで来てると思ってんだよ」
 一瞬傷ついた成美は、雪村の気まずそうな口調で我にかえり、彼を頼りすぎていた自分を恥ずかしく思った。
 怒られるのも当たり前だ。それだけでなく、気まずい思いまでさせてしまった。
「すみません……」
「いいよ、別に」
「確かに、主査のおっしゃる通りでした」
「だからいいって。……俺、これから約束あるし。お前につきあってる時間はもうないからな」
 まるで自分に言い聞かせているような口調に、ますます成美は申し訳なくなった。
 雪村の見かけを裏切る人の良さはわかっていたはずなのに――今だって本当は心配してくれているのだろうし、ついていけないことを逆に気にされていることが、心の底から申し訳ない。
「大丈夫です。とりあえず管理人に会って、三条さんって人のことも聞いてみます。本当に、いい人なのかもしれないですし」
 正直、怖くないといったら嘘になるが、これ以上くよくよして雪村を心配させる訳にはいかない。
 それにしても、ここにきて、思わぬ謎というか得体のしれない闇に出くわすとは思ってもみなかった。
 街全体を見下ろす山の中腹に建てられた堅牢な邸宅。
 灰色の高い壁と剣先のフェンス。消えた家族と残された不動産。それを買い取って破壊している謎めいた男……。
 そこに行方がわからなくなった氷室が、どう関係してくるというのだろうか。
 雪村はまだ手元で端末をいじっている。
「ああ、やっぱりネットじゃ限界があるな。時間まだあるし、図書館にでも行ってみるか」
「え――?」
 図書館?
「……あの、彼女さんはまだいいんですか」
 雪村が何も答えずに車を発進させたので、成美は慌てて後部シートに座り直した。




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Copyright2011- Rui Ishida all rights reserved.この物語はフィクションです。