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「え、雪村さんLINEとかやってるんですか」
 走りだした東京行きの新幹線。成美が思わずそう言ったのは、雪村のアイフォン画面に見慣れたイラスト――スタンプと呼ばれるLINEキャラクターが見えたからだ。
「何勝手に見てんだよ」
 しまったと思ったが、案の定地獄の住人みたいな不機嫌な声が返された。
 法規係では皆知っていることだが、雪村は極度な低血圧なのだ。役所の始まりである朝の8時半でさえ救いようがないほど機嫌が悪いのに、今の時刻は午前7時。もう、機嫌の悪さを表現する言葉すら思いつかない。 
「す、すみません。つい目に入って――あ、でもコメントの内容までは見てないですから」
「使い方すら知らねぇよ。相手が登録してくれて、それであれこれ送ってくるんだ」
 ですよね。
 雪村さんがLINEでスタンプ送ってるなんて、あまりにキャラと乖離しすぎてますから。
 ――相手って、見合いしたという例の彼女のことなんだろうな。
 雪村が、氷室のことでひどく懐疑的であったように、成美もまた、雪村に彼女ができたという話に対してかなり懐疑的だった。
 あの雪村さんに――我慢してつきあえる人って―― 一体どんな人格者なのだろうか。
「てか、お前もっとあっちに寄れよ」
「む、無理ですよ。そんなの見て判るでしょ」
 ゴールデンウイーク後半。上りの新幹線は満席で、自由席に座れたことだけでも奇跡だった。
 そして今、3人席の通路側と真ん中に2人は並んで座っているのだが、窓側にすごい巨漢な人が座っている。普通人と比較して、1.5倍くらいはありそうな外国人男性だ。
 おかげで成美は、通路側の雪村に身を寄せるしかない羽目になっていた。
「おいくつくらいの方なんですか」
 それで会話もないのも何なので、続けて成美は聞いていた。
「さぁな。外人ってのは見た目より案外若いからな」
「……そっち、どうでもよくて。今聞いたのは雪村主査の彼女さんの話なんですけど」
 不機嫌そうな横顔でアイフォンを置いた雪村は、通路側の肘掛けに肘をついて拳で顎を支えた。
「……二十歳」
「えっ」
「別に驚くことでもないだろ」
「そりゃそうですけど、……えっ、二十歳?」
 結婚相手には、いくらなんでも若すぎるのでは――。
 だいたい見合いだよね。知り合ったきっかけって。
「じゃあ、学生さんですか」
「そう。聞いたら吃驚するようないい大学」
「……お嬢様、的な」
「ま、そんな感じ。親も就職させる気なんてさらさらないから、卒業してすぐ結婚させるつもりで、見合いさせた的な」
「じゃあ、卒業したら即結婚する的な」
「まぁ、そうなる――てか、お前、どんどんこっちに寄ってきてねぇか?」
 成美は目だけで訴えた。だってお隣さんがもう五分の一くらいはこっちに侵出してきてるんですよ。そして雪村も目だけで答える。俺が知るかよ。
 どうやら窓側の外国人さんはお眠りになられているようだ。ふっかふかのお肉が、まるで雪崩のようにこちらにずるずると崩れ落ちつつあるのだ。
「す、すみません、もう普通に座るだけで肌と肌が濃厚接触状態ですっ」
「知るか。だったら通路にでも立ってろよ」
「そんなぁ」
 泣きべそをかいたところで、動じる雪村ではないことは判っている。
 成美は渋々荷物を持って立ち上がった。と、その途端、雪村が成美との間にあった手すりを上にあげた。
 ――あれ……。
「い、いいんですか」
「みっともないから、あんまりくっつくなよ」
「すみません」
 成美は恐縮しながら雪村の席の方に腰をずらした。
「暑い」
「ほ、ほんと、すみません」
 ああ、ますます不機嫌にさせてしまった。いまさらだけど、こんなことなら通路に立っていた方が何倍もマシだったかも。
「少し寝るから、脱線しても俺に話しかけんなよ」
「わかりました。決して」
 その時は1人で避難させていただきます。
 そして沈黙。成美は所在なくシートにそっと頭を預けた。
 ――今日の雪村さん、ちょっといい匂いがするな。
 整髪料だろうか、トワレだろうか。
 仕事の席では感じたことのない香りだ。
 スーツだって、いつもと違ってちょっとシックでお洒落な感じだし、全体的に決めているのが一目で判る。まぁ、デートにビジネスマン風のスーツもどうかと思うけど。
 ――彼女がまだ学生さんなら、もうちょっとカジュアルな恰好の方がいいんじゃないかな。
 その彼女からのLINEを、実は成美は、コメントの文面まで見てしまっていた。
 
 雪ちゃん、今日会えるの楽しみにしてるね。
 雪ちゃんの写メみせたら、みんな一度会ってみたいっていうんだ。
 今日のデートの時、ちょっとだけ、友だちと会ってもらってもいいですか。

 う……思い出しただけで、軽く赤面してしまう。
 付き合いはじめのドキドキ感みたいな、心地いい緊張感が伝わってくる文面だ――なんて言えば、まるで自分が恋愛熟練者みたいだけど。
 ――お嬢様っていってたけど、本当にいい子みたいだな。
 雪ちゃんと、成美からすれば血の気が引くような呼び方をしつつも、最後はきちんと敬語でしめるあたり、感じがいい。
 ――しかし、雪村さんに彼女って……聞いた時は、雪男なみの伝説かと思ったけど。
 本当に本当だった。なんの映画だっけ。随分前に宣伝だけ見た――本当に、本当にいる!――ああ、確か『トロール・ハンター』……あの煽り文句並の驚きだな。彼女さんには失礼だけど。
 このLINEに、雪村さんはなんて返事をしたんだろう。
 多分だけど、「いいよ」って返してあげたような気がする。
 女友達の前に連れ出されるとか、本当はそういうのすごく嫌なんだろうけど、それでもいいよって言っちゃうんだろうな。
 口は悪いけど案外お人好しで優しくて、どんな無茶ぶりも結局は受けちゃうような人だから――


「まだ、額がひりひりしてるんですけど」
「グースカ寝てるところを起こしてやったんだ、ありがたく思え」
 それにしたって……。
 後部シートに座った成美は、唇を尖らせて手鏡をとりだした。
 思った通り、額が少しばかり赤くなっている。
 なにしろ新幹線が終点の東京駅についた時、平手で思いっきり額を叩かれたのだ。もちろん、そんな真似をするような人は1人しかいない。
「そりゃ、うっかり寝ちゃったのは悪かったですよ。でも、普通、額を思いっきりバチンとかします?」
「ああ、悪かったな。ちょっとイライラしてたから」
「イライラしてたって」
 さすがに成美は絶句した。
 イライラしてたら、あなたは女性の額をバチンとかするんですか。
「隣の外国人さんもびっくりしてましたよ。Is he crazy? とか、それ私にも判る英語だったんですけど」
「うるせぇなぁ。だからお前の馬鹿ヅラみてたら、むしょうにイライラしたんだよ」
 その雪村は、今は運転席でハンドルを握っている。
 東京駅で待ち構えていたレンタカー。雪村の準備のよさに驚いた成美だったが、もともとデートのために予約していたのだろう。トヨタのレクサスは成美には不釣り合いな高級車だ。
 さすがに遠慮した成美が「私は後ろの席に……」と言い出すべきかどうか迷う前に、雪村の方から「お前、後ろな」と言ってくれた。とはいえ、それもなんだか重役待遇みたいで心地悪い。
 そして2人は今、氷室の元の戸籍地に向かっているのだった。
「お前さ」
 車が都会の町並みから抜けた頃、不意に雪村が口を開いた。
「氷室課長とは、いつからつきあってたわけ」
「……え」
 ドキンとした。なんだろう。なんだって今、その質問?
「いや。別にへんな意味で聞いてるんじゃないし、言いたくないなら言わなくてもいいけど」
「…………」
 そういえば目の前の人に、そういった話を殆んどしていなかったことに成美はようやく気がついた。
 氷室課長とつきあっています、と報告した時も、それ以上のことはつっこんで聞かれなかったから黙っていた。というより、雪村みたいな人は、他人の色恋事にはあまり関心がないのだろうと思っていたから……。
「いつからって言われたら、微妙ですけど」
 成美は言葉を切って言いよどんだ。
 氷室が昨年の夏まで妻帯していたこと。その妻が病でなくなったこと。それはもう、役所中の誰もが知っている。
 そしてその死から、まだ一年も経っていない。
 どう言い繕っても非常識のそしりを免れないこの関係を、上手く説明できるだろうか。
「微妙ですけど……つきあおうって、正式にそんな感じになったのは」
「わかった、もういい」
 はい?
「もういい。自分から聞いといて悪いけど、今の質問は忘れてくれ」
「いや、あの、別に私、話すことに抵抗な」
「いい。俺が聞きたくないんだ」
 遮るように言われ、成美は口ごもって運転席の雪村を見た。
 なんだろう、なにか……もしかして、怒ってる?
「しまった。ナビの道が途中で切れてる。おい、のんびり喋ってないで、そこの地図で確認してみろ」
「は、はい」
 とはいえ、雪村が怒る心当たりは、数えきれないくらいある。 
 やっぱり1人で来るべきだったのかもしれないな……。そう思いつつ、成美は急いでマップを広げた。



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Copyright2011- Rui Ishida all rights reserved.この物語はフィクションです。