「おい」
 声をかけられたのは、必死でマウスを動かしていた時だった。
「は、はい」
 背後に雪村が立つのを感じながら、成美は急いで画面を閉じようとしたが、遅かった。
 山城が帰ってから30分は経っただろうか。その間雪村は一言も口を聞かず、成美の顔を見ようともしなかった。成美は彼に謝罪と礼を言ったが、そんな成美もまた、雪村の顔をまともに見ることができないでいた。
「なに、グーグル?」
「え、はい、いや、その……」
 咄嗟に手で画面を隠そうとしている自分がいる。
 成美は諦めてパソコンから手を離した。
「そうです。……さっきの住所……どのへんなのかな、と思って」
「氷室さんの前の戸籍地?」
 もう、グーグルアース開いてる時点でバレバレだよな。そう思いながら成美は観念して頷いた。しかも職場のパソコンで――間違いなく呆れられたに違いない。
 が、予想に反して雪村は、落ち着いた感じで液晶画面をのぞきこんだ。
「で、どこらへんだった? 聞いたこともない地名だったけど」
「……なんか結構田舎、みたいな。まだ辿りつけてないんですけど」
「は? んなもん住所入れたら一発だろ」
 不思議なくらい口調は軽い。恐る恐る見上げた雪村の顔は、先程までのザ・能面ではなかった。
「貸してみろよ」
 雪村がマウスに手を伸ばしたので、成美は慌てて立ち上がり、席を譲った。
 な、なんだろう。この超協力的な態度は。
 とんでもなく怒っているとばかり思っていたけど、もしかして一周回ってご機嫌が元に戻った?
 そして待つことものの数秒――「ここじゃね?」えっ、はやっ、と、成美は画面を覗き込んだ。
 ――あれ……。
「県境にある山だな。半分が東京で、半分が隣の県。この住所は山のどまんなかだ。ぎり、東京側って感じだな」
 ――あれ、なんだろう。この感じ。
「航空写真じゃよくわかんねーけど、なんか、結構大きなお屋敷っぽいな。周りなんもないし、この辺りが全部敷地だとしたら、相当広いぞ」
「そ、……そうですね」
「ストリートビューは……無理だな。ここまでカメラが入って来られなかったんだろう」
 緑に囲まれた山間に、大きな切妻屋根だけが見えている画面。
 何故だろう。地名さえ知らない街の、初めて見る家の屋根のはずなのに、記憶の底にある何かが喚起されるのは。
 私は、この場所を知っている……?
 いや、もちろん知るはずがない。
 では、このお屋敷を知っている……? そんなこと、絶対にあるはずがないのに……。
「……日高?」
 はっと、成美は我に返った。
「す、すみません。ちょっとぼんやりして」
 なにか適当な言葉で自分の態度の不自然さを補おうとした成美は、しかし衝動的に顔をあげた。ここだ――理由は判らないけど、ここにきっと何かがある。
 私と氷室さんを繋ぐ何かが。
「行ってみます。私」
「――は?」
 とにかく、この屋敷に行ってみよう。
 姑息な手段で氷室さんの戸籍を調べるより、その方が何倍もいい。自分の足をつかって、自分の目で調べるほうが。
「行きます。明日からまた連休だし。ちょっと東京まで出かけてきます」
「え、ちょっと出かけるって。いや、……」
 言葉を切ったきり、唖然と成美を見ていた雪村は、やがて疲れたような息を吐いた。
「あのなぁ、日高」
「……はい」
 頷きながら、ふと、成美は思っている。今日、こんな雪村さんの顔を何度私は見ただろう。こんなに疲れて――呆れたような顔を。
「頼むから少しは落ち着け。だいたいその家、今あるかどうかさえわかんないだろ」
「だって今、リアルタイムに写真が」
 反論した成美を、限界切れたと言わんばかりに、がっと顔をあげた雪村が睨みつけた。
「馬鹿か、馬鹿だろ。リアルなわけねぇだろ。グーグルのカメラが24時間地球上をぶんぶん飛び回ってるとでも思ってんのか。お天気中継みたいにリアルタイム映像届けてるとでも思ってんのか。衛星中継を見てるわけじゃねぇんだぞ」
「す、すみません」
 さすがに反論する言葉もなく、成美は首をすくめている。
「だいたいなぁ」
 雪村は再度ため息をついて、成美の机に腰を預けた。
「見るからにものすげぇ豪邸から、マンションの一室に転籍してんだぞ。それが奥さんを亡くされた時と同時期だっていうなら、その豪邸、かなりの確率で奥さん側の家、だろ」
「…………」
 自分の表情が少しだけ険しくなるのを成美は感じた。
「しかもまだ奥さんが亡くなられて半年だ。そこにさ、お前がどの面さげて訪ねて行く気だよ。馬鹿正直に、氷室さんの恋人です、彼の行方を探していますとでも言うのかよ。ありえねぇだろ。非常識にもほどがあるだろ」
「…………」
 雪村の言った言葉――つまり自分が置かれた立場の残酷さに、成美はしばし打ちのめされた。
 そうだ。奥さん側の家族からみれば、私は――氷室さんの――不倫相手にも等しいんだ。
 現実的に、2人の仲は、奥さんの生前から始まっている。
 非常識にもほどがある。確かに、雪村の言うとおりだ。
「……お正月、休みにですけど」
 けれど成美は、衝かれたように言っていた。
「氷室さん、東京で用事があるからって……お休みの間はずっとあちらにいたんです。今の写真の……そのお屋敷が奥様のご実家なら、きっと、そこにいたんだと思います」
 雪村は黙っている。
「すみません。非常識であり得なくても、行きます。……私」
 たとえどんなに罵倒されても。
 そこに行けば、必ず氷室さんの行方を示す痕跡が残されているような気がするから。
「でも――その……そういう対応がいいのかどうか判りませんけど、ご家族に不快に思われないような、そういった言い訳は……しようと思います。う、上手く説明できるかどうかは判らないですけど」
 はぁっと雪村が息を吐き、隣の篠田の席に腰を下ろした。
 額に手をあてて首を横に振る。声はまるで聞こえないが、多分唇だけで「本当にお前は……」と呟いている。
「仕事上の知り合い、それとも年の離れた異性の友人、とでも説明する気かよ。嘘くせぇ。だいたいお前みたいに不器用な奴に適当な嘘なんてつけるもんか。――わかったよ。東京。はいはい、東京ね。ついてってやるよ。この俺が」
 え………。
「ただし午前中な。午後から用事があるから」
 え、だって。
 呆然とした後、成美は慌てて、立ち上がった雪村の後を追っていた。
「だって、主査。明日はデートとかなんとか」
「だからデート。言ってなかったか。見合いの相手、東京在住。明日は俺があっちに行く約束になってんだよ」
 あ、だったら……じゃない。そこで安心してる場合じゃない。
「ちょっ、それ、いくらなんでも悪いですよ。彼女と会う前に私となんて」
 背を向けていた雪村が、そこでピタリと足をとめて振り返った。
 ひっと成美は、後ずさっている。
 黒いオーラが、雪村の背後から沸き上がってくるようだ。
「お前と会ってたくらいで気にするような女なんてな、この世に1人としていねぇんだよ」
「は、はい………」
 目、目がマジで怖いんですけど。
「馬鹿かお前は。何を1人で自惚れてる。そんなくだらないことを気にする暇があったらな、向こうの家族に説明する言い訳でも考えとけ!」
「え、それは主査が考えてくれるんじゃ……」
「…………」
 再び成美は後ずさっていた。す、すみません。もちろん自分で考えます。考えますとも。
 てか、本当にいいのだろうか。
 正直、すごく心強くはあるけれど、本当にここで、雪村さんを頼ってしまってもいいのだろうか……。







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Copyright2011- Rui Ishida all rights reserved.この物語はフィクションです。