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「おい、本当に、柏原課長は来られるんだろうな」
 隣席の雪村に肘でつつかれ、ぼんやりしていた成美ははっとして顔をあげた。
 いけない。また、あのことを考えていた。
 もうとっくに、頭の中から消してしまったはずなのに。
「来ますよ。来るに決まってるじゃないですか」
 成美は拳を握りしめて断言した。
 3月下旬。
 道路管理課長である柏原明凛が、今年度をもって灰谷市役所勤務を終え、霞ヶ関の総務省に戻ることが判ったのが今週の頭のことである。
 役所は、あと一週間で新しい年度を迎える。庁内の人事異動が発表されるのはまだ少し先のことだが、成美は先んじて柏原課長を送る会を催すことにした。
 結局一度も成功しなかった、送別会のリベンジでもある。
 忙しい折だから、有志を募っての簡単なものにしようと思ったのだが、会には思いもよらないほど沢山の人たちが参加することになった。
 行政管理課がフルメンバーなのは当然として、道路管理課までもが課長補佐以下全員参加である。
 そもそも柏原課長は道路管理課所属なのだから、そっちはそっちでやればいいようなものだが、幹事が同期の三ツ浦だと聞いて納得した。
 おそらくだが、飲みの席が嫌いな柏原課長を説得しきれなかったに違いない。
 それだけでなく、柏原課長は個人的に誘われたどの飲みの席も固辞しているらしく、どうやら成美一人が了承をとりつけることに成功してしまったようなのだ。
 そんなわけで、会場は予定していた居酒屋から急遽ホテルのパーティールームに切り替わり、参加者には本庁の課長級はおろか区役所管理課の面々までもが次から次へと加わって、極めつけが藤家総務局長と墨田道路局長が顔を揃えるという――とんでもない異常事態になってしまった。
「ここまですごい面子揃えておいて、主役がこないんじゃ、話になんねぇぞ」
 そう言う雪村の表情も、こころなしか強張っている。
 むろんその恐怖は成美も同じで、予定時間を30分も過ぎても姿を現さない柏原課長に、もう三度は電話しているのだった。
「多分、空港からこっちが渋滞してんじゃないかと思うんですけど」
 反対隣に座る道路管理課の宮田主税が、そう声をかけてきた。
「そうですよね。丁度東京出張の帰りとかぶっちゃいましたからね」
 成美は泣きそうな顔で、その宮田を振り返る。
 宮田は頷いて、しかしすぐに難しそうな目で腕を組んだ。
「それにしても電話の一本もないっていうのはおかしいですよねぇ。そのあたり、課長は平均以上に几帳面な人なのに」
「そ、そうですよね……」
 宮田さん……。
 安心させたいのか、それとも不安にさせたいのか。
「どうすんの、成美」
「局長まで呼んどいて。これで失敗したら、もう本庁にはいられないわよ」
 さらに追い打ちをかけるように、丸テーブルの対面から、相次いで可南子と倉田真帆が皮肉な声をかけてくる。
 総務の可南子が参加するのはギリギリわかるが、何故全く無関係の倉田麻帆まで来ているのか。しかも二人とも、どう考えたって柏原課長の敵対キャラなのに。
 課長〜〜!
 お願いですから、電話の一本でもしてくださいよ。
 成美はますます泣きそうになって、沈黙している携帯を取り上げた。
 今も、藤家局長がじろりとこっちを睨みつけ、尾崎課長が、まだかね、まだかねと、催促の眼差しを送ってくる。
 そんなの、こっちが聞きたいのに。
 絶対来てくれるって言ったのに、一体何してるんですかああああ。柏原課長!
 その時だった。
「申し訳ありません。遅くなりました」
 背面の観音扉が開いて、珍しく少し焦った風な柏原の声がした。
 ――課長!
 救いの糸を振り仰ぐように、成美は目を潤ませて振り返る。
 そして目を見開いたまま、固まっていた。
 驚いたのは成美だけではない。場内は水をうったように静まり返り、その中を柏原明凛は少し不思議そうな顔で歩いて―― 一番前の、局長級が顔を並べるテーブルの前に立った。
「せっかく来ていただいたのに、遅くなって申し訳ございませんでした」
「い、いや、それはいいんだが、その」
 赤鬼と称される藤家が、怒り以外で赤くなり、傍目にも判るほど慌てている様を、成美は正真正銘初めて見た。
「ど、どど、どうしたんだね。その衣装は」
「やはり、似合いませんか」
 ひどく冷静に明凛は微笑した。
「予定より早い便の飛行機に乗れましたので、療養中の身内の見舞いに寄ったんです。そこで、――送別会にビジネススーツはないだろうと、無理矢理」
 白い膝までのふわりとしたワンピースに、薄いカナリア色が混じった格子柄のボレロ。
 初めてみせる形のいい長い足を包んでいるのは、宝石みたいに華奢なパンプスだ。
 肩までのミディアムヘアは、これも初めて硬くなな拘束から開放され、唇は淡い薔薇色に染まっている。
「それで、もしかして遅れたとでもいうのかね」
 これは、やや不機嫌そうな墨田局長である。
 明凛は居住まいを正して頭を下げた。
「申し訳ありません。どう言い訳していいものか、私にも判りませんでしたので」
「いや、これなら一時間でも待つかいがある」
 しかし一転して墨田は満面の笑みを浮かべて立ち上がった。
「素晴らしい。以前から分かっていたことだが貴女は本当に美しい人だ。最後に、ようやく本当の柏原君を見させてもらったよ!」
 それが合図のように、歓声と拍手が割れんばかりに場内を包み込んだ。
「なに、あれ」
「絶対計算よ。遅れてきたのも全部演出。これだから頭のいい女は嫌なのよ」
 圧倒的な差に、もはや悔し紛れに厭味を言うしかない可南子と麻帆。
 そして――
「ゆっ、雪村主査。シャンパン零れてます。思いっきり零れてますっ」
 再び叶わない恋に落ちてしまった男が、ここに一人。
 成美は無心に手を叩いていた。
 ひどく誇らしくて、ただただ嬉しかった。
 そして初めて強い寂しさと共に実感していた。補佐は――いや、柏原課長は、本当にもう、手の届かないほど遠い場所へ行ってしまうのだと……。
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「雪村さん」
 色んな席を回った明凛が、ようやく成美のいるテーブルに来てくれたのは、そろそろ宴もたけなわ――といった雰囲気になりかけていた頃だった。
 明凛はまず雪村にビールを注ぎ、隣席の篠田が「どうぞ、ここに」と、譲ってくれた席に腰を下ろした。
 その間、雪村は石像みたいに動かない。
「日高さん。よかったら俺、写真とろうか」
 宮田がそう言ってくれたので、成美は急いで自分の携帯を宮田に渡した。 
 まるでミッキーマウスみたい。と麻帆が厭味を言うくらい長く続いた柏原課長とのツーショットの写真撮影会。最初に誰かが一緒に写真を撮ってくださいと言い出し、結局男たちほぼ全員が我も我もと後に続いた。
 幹事でもある成美は、さすがにその列には加われず、正直がっかりしていたのだ。
「課長、すみません。じゃあ、雪村さんと三人で」
 私には雪村さんが邪魔だし雪村さんには私が邪魔だろうが、この際それは我慢しよう。
「雪村主査、もうちょっと笑顔で――いや、それじゃむしろ怖い……いや、もういいです」
 諦めたように宮田がカメラ撮影のキーを押してくれたので、さぞかし雪村は強張った顔をしていたに違いない。
 あとで雪村さんの映像だけ消せないかしら。
 そう思いながら、成美は宮田に礼を言って携帯を受け取った。
 明凛は、どうやら雪村に話があったらしく、二人はすこし声をひそめて会話を交わしている。
「雪村さん、その節はありがとう」
「いえ……かえって余計な真似をしたんじゃないかと、ずっと気になってました」
「宮原さんとは、あれから?」
「あれからもそれからも、ひたすら逃げまわってます。てか、あいつ、探偵じゃなかったんですね」
 ミヤハラ――どこかで聞いたぞ? 誰だったっけ。
 その時宮田が成美にビールを注いでくれたので、思考はそこで途切れてしまう。
「その方面では、優秀な方のようね。……少し調べてみたんだけど、ここ数年の記録がなくて――私の勘なんだけど」
「えっ、そうなんですか」
 声はますますひそまり、そこは全く聞こえなかった。
「そんな人が、灰谷市で一体何を調べているのかしらね」
「いや、もうあいつとは二度と関わりあいになりたくないんで」
「そうね。それが賢明だと思うわ」
 なんだろう。会話の意味はさっぱりだけど、何か深刻な匂いがする……。
「そういえばさぁ。この前行った合コンで、成美の昔の彼氏って男に会ったんだけどさぁ」
 いきなり酔っ払った麻帆の大声が、全員の会話を遮った。
 は、私?
 固まる成美を、酔眼で見据え、麻帆はやけっぱちみたいな感じで話しだした。
「まぁ、大した男じゃなかったんだけど? そいつがさぁ、言うわけよ。成美って大学時代はモテモテで、サークルのほぼ全員が成美狙いだったんだって。受けるよねー。嘘にしても言い過ぎっていうかさ、どんだけレベル低いサークルかっつーの」
「……………」
 どうでもいいけど、完全に素になってない?
 ふだんの猫かぶりの二枚舌はどこに行ったんだと思うくらい、性格の悪さがむき出しになっている。
 その麻帆を、隣の可南子が冷笑を浮かべて見下ろしている。内心、勝ったと思っているに違いない。
 普段モテモテの可南子と麻帆が、この席では脇役かピエロ以下なのである。麻帆にはそれが耐えられなくて、可南子には耐えるだけの自尊心があるということだろう。
「大学の時の彼氏って、何人かいたの?」
 静まり返った席上で、宮田がようやくつっこんでくれたので、成美は慌てて首を横に振った。
「い、いませんよ。一人だけで、それも半年くらいしか」
 えーっ。じゃあその人があることないこと喋ったわけ?
 軽い失望と怒りを覚えつつ、成美は少し唇を尖らせた。
「多分、厭味か皮肉ですよ。その人結局、私と別れてすぐに、私の後輩と付き合い始めたんですから」
 てか、ふられた私が、なんでそんな皮肉を言われないといけないわけ。
 当時のことは、なんとなく心の傷になっている。その人にふられたということではなく、初めて心も身体も許した相手と上手くいかなかったという――そういう意味での、ちょっとした傷だ。
「そいつは、自分がふられたみたいなこと言ってたけど?」
 嘘ばっかり、みたいな口調で麻帆が再び口を開いた。
「成美が自分を好きだったことなんて、一度もないみたいなこと言ってたけど? ぐちぐちぐちぐち、まぁ男らしくないったら」
 まぁ、確かに、ちょっとメンタルの弱い人だったけど。
 でもその言い方はひどすぎる。まるで自分が被害者みたいな。捨てられたのは、むしろ私の方なんですけど。
「それは、見解の相違だろうけど」
 憤慨した成美に代わり、静かな口調で反論してくれたのは、その話題に一番興味のなさそうな人だった。
 柏原課長である。
「でも、日高さんはもてると思う。それは皮肉でも厭味でもないのでは」
「――は?」
 と思わず同時に言ったのは成美と、そして麻帆である。可南子もまた意外そうに眉をあげる。
 逆にその反応が意外だったのか、明凛は数度瞬きをした。
「だって行政管理課の職員も、みんな日高さんのことが好きだから」
 雪村の手からグラスが落ち、ビール瓶を持ってうろうろしていた篠田が椅子にけつまづき、隣のテーブルの大地と織田が同時に噴いた。
 そして何故か宮田までもが、仰天したように立ち上がる。
「そ、それマジっすか、課長!」
 ああ、と初めて失言に気づいたように、明凛はビールのグラスに唇をつけた。
「それは今言う言葉ではなかったかもしれないけど、日高さんがもてるというのは本当の話だと思う。最も本人は無自覚なので、あまり責めてあげないように」
 もう、言っちゃってるんですが………。
 呆然とする全員を残し、とんでもない爆弾を投下した明凛は別のテーブルに行ってしまった。
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「――あの、課長」
 二次会の誘いを固辞し、一人夜の街を歩き出した明凛に、成美はようやく追いついた。
 黒のトレンチコートを羽織った明凛は、さほど意外さも見せずに振り返る。
「……すみません、あの、……飲みの席では、あまり話ができなかったので」
 成美は恐縮しながら頭を下げた。
 あまりどころか、全くできなかったといってもいい。
 ひっきりなしに祝辞を受けていた柏原課長にそんな暇がなかったのも分かるが、それが成美には、少しだけ不満であり、寂しくもあった。
 自分には、この人はとても特別な人だった。
 たとえこの先、生涯会うことはなかろうと、おそらく一生忘れられない存在になるだろう。
 でもこの人にとっての自分は、単なる部下の一人に過ぎなかったのか――。
「どこかで、コーヒーでも飲む?」
 しかし返ってきたのは、想像もしていない言葉だった。
「それとも歩きながら話そうか。私もあなたと、最後に話がしたかったから」
 え………。
 え………。
 えーーーっっ。
 コーヒー。課長と二人。向かい合わせ。二人きり。
「だっ、駄目です、む、無理……」
「はい?」
 成美は赤くなりながら、首を横に振った。
「そ、そういうシチュエーションだと、多分緊張して、な、何も喋れませんっっ。せめて歩きながらでお願いしますっっ」
 一瞬呆れたように黙った明凛は、すぐに目元に優しい微笑を滲ませた。
 その笑いの意味が判らず、成美は思わず元上司を見上げている。
「同じことを言うのね」
 同じこと……?
「沢村さんと、同じことを言うのねと思って。それが少しおかしかっただけ」
「……………」
 黙る成美を見下ろして再度微笑み、明凛は再び歩き出した。
 一時呆けていた成美は、急いでその後を追い、そして意を決して言った。
「あの、沢村さんとは、あれから会っていないんですか」
 先月、いきなり退職したきり姿をくらましてしまった沢村のことは、成美もずっと気になっていた。
 彼の想いは叶ったのだろうか。それとも、破れた故に去ってしまったのだろうか。
 そのどちらにしても、当の明凛にそれをストレートに聞くのは酷すぎる。
 だから、なんとも中途半端な質問になってしまったのだが、明凛は、あっさりと笑って肩をすくめた。
「会ってないわ。ずっと探しているけど、どこいるかも分からないままよ」
「……探している……?」
 聞き間違いかと思った成美に問いに、明凛は微笑して頷いた。
「灰谷市の彼の知り合いには全員会ったし、東京の親戚も訪ねてみたわ。一度尻尾を捕まえかけたけど、あと一息のところで逃げられちゃった。残念ながら、いまのところ手がかりは皆無ね」
「…………」
 それは――
 え、それはどういうこと?
 沢村さんが逃げて、課長がそれを追っている?
「あ、あの、沢村さんは一体」
「私から逃げてるの。それだけよ」
「…………」
 ――はい?
 成美は言葉をなくしたまま、歩き続ける明凛の後を追った。
 まったくもって意味がわからない。ずっと逆だと思ったけど、いつの間にそんなことになってしまったんだろう。
 つまり、課長は沢村さんが好きで、でも沢村さんはそうじゃないってこと?
 ますます判らない。
 だったらどうして課長みたいな人が、逃げられてもなお沢村さんを探しているのだろう。
「日高さん。私の妹と会ったでしょう」
 しかし明凛は、あっさりと話題を変えた。
 むろんそれも、成美が聞きたかったことのひとつである。そして同時に、自分から聞きづらいことのひとつでもあった。
「あ、会いました。父の入院先で偶然……」
「お父様が?」
 明凛が心配そうに振り返ったので、成美は慌てて、単なる骨折で今週末にも退院する旨を説明した。
「今日妹に会った時、日高さんにお礼を言って、と言われたから。面白い話を色々聞かせてもらってありがとうって」
 やはり、今夜の課長の見事なまでのコーディネートは、妹さんの仕業だった。
 グッジョブ、紫凛さん! と成美は内心親指を突き出している。
「妹さん、お元気になられたんですか」
「もう病院は退院して、明日、渡米する予定よ」
「……渡米?」
 つまり、アメリカに行くってこと?
「向こうにいい整形外科医がいてね。……妹の配偶者が探してくれたんだけど、しばらくは向こうで養生するんだそうよ。ついでに顔ごと全部変えるつもりだみたいなことを言ってたけど」
「そんな、もったいない」
「そうね……もったいないわね」
 少しだけ苦笑した明凛が、その表情のまま成美を振り返った。
「妹と、どんな話をしたの」
「えっ」
 いや、それは。
「妹に聞いても、日高さんに聞いてとしか言わなくて。ちょっと気になるんだけど、どういった話をしたの?」
「え、映画の話ですかね」
 成美はすっとぼけることにした。
「映画?」
「な、なんとかの怪物? あの、妹さんが昔好きだった恋愛映画の話です」
 一瞬眉を寄せた明凛の顔が、ああ、という風に弛緩する。
「あの、薄気味悪い映画のこと?」
「ロマンス映画じゃないんですか」
「ゴシックホラーだったと思うけど。確かに紫凛は、ちっちゃい頃からよくその映画を見てたわね。それで?」
 ホラー映画だったのか……。
 テーマ、恋愛ですらないじゃない。
「その映画に出てくる怪物と未亡人が、可哀想だって話だったと思います。妹さん、ロマンチックな方ですね。そこまで――」ホラー映画の怪物に「感情移入するなんて、なかなかないことだと思ったから」
「……………」
 明凛は黙り、しばらく何かを思い出しているようだった。
「多分、紫凛が感情移入しているのは、怪物でも未亡人でもないと思うわ」
「どういうことですか」
「思い出したの。――その映画には、もう一人ヒロインがいるのよ。未亡人の世話をする小間使いの娘でね。その娘は、屋敷にやってきた執事の正体が怪物だと、一番最初に気付くのよ」
 もう一人の、ヒロイン。
「娘は、執事が好きで好きでたまらないのに、決して自分を振り向かない執事を憎んで、真逆の行動ばかりとってしまうの。怪物である執事を追い詰め、傷つけ、そして最後は、村の官吏に通報して殺してしまうのよ。最後まで一言も好きとは言わずに」
「…………」
「子供の頃は――いえ、つい最近までだけど、私にはその行動は全く理解できなかった。好きなのに、そして結婚までしたのに、どうして相手を裏切って傷つける真似ばかりするんだろうって、ずっと、それが不思議だった」
 ――結婚?
 話の意味がわからなくなり、成美は眉を寄せて明凛を見上げる。
 なんの、話……?
「でも今なら判る……ううん、今、気がついた。きっと娘は、相手も自分もズタズタにしながら、心の中で叫んでいたのね。私に気づいて、私に気づいて、私を見つけてって」
「……………」
「この世で一番あなたを愛している私を、早く、早く見つけてって」
「……………」
 この世で一番あなたを愛している私を。
 ――早く、見つけて。
 何故だか息ができなくなり、成美は視線をそらしていた。
 ずっと胸の底で押さえつけていた感情が、不意に溢れ出しそうになる。
 私……私は―――
「そろそろタクシーを拾うわ。日高さん、家はどの方角だった?」
「――課長」
 何を言っていいか判らないまま、成美は衝動的に明凛を呼び止めていた。
「課長は、沢村さんが見つかると思ってるんですか」
「見つかるんじゃなくて、見つけるのよ」
 どうやって?
 どうやって?
 自分から逃げて、姿を消してしまった人をどうやって探すの。
 気づけば歯を食いしばったまま、成美は肩を震わせて泣いていた。
 もう涙なんてとっくに枯れたと思ったのに、一度せきを切った感情は後から後から頬を濡らして止まらなかった。
「……私ね、日高さん」
 明凛がそっと肩を抱いてくれる。
「沢村さんは、きっと私を待っていてくれると思っているのよ」
 成美は泣きじゃくりながら、それでも懸命に明凛を見上げた。
「今も一人で、私が見つけてくれるを待っているような気がするのよ。今まで私は、彼のことを何ひとつ知ろうとしなかった。だから今度は、私が彼を見つけてあげたいの」
「どこで、ですか」
 それにはどうしても、否定的な気持ちしか湧いてこない。
 手がかりも見せずに消えた人が、一体どこで、待っていてくれるというのか。
「私には、課長の自信の意味が、分かりません。一体沢村さんは、どこで課長を待っているんですか」
「彼にしか、判らない場所で」
「…………」
「彼を知れば、きっとたどり着ける場所で」
「…………」
 最後に肩をそっと叩かれ、明凛は成美から身を離した。
「じゃあね。日高さん。またいつか、四人で会える日が来るわ。――その時はお互い笑顔で会いましょう」




 
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Copyright2011- Rui Ishida all rights reserved.この物語はフィクションです。