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10
「じゃあ、乾杯」
直斗がグラスを持ち上げたので、明凛も少しためらってから、グラスに指をかけて持ちあげた。
「再会に――って、気障だな、なんか、今日の俺」
「うん。全然、らしくない」
ようやく微笑んだ明凛につられるように、直斗は日に焼けた端正な顔をほころばせた。
「まぁ、あれだ。お前が灰谷市の課長補佐になったことを祝して……」
「やめてよ。電話でも言ったじゃない。仕事でヘマして飛ばされただけだって」
「それでも部下持ちだろ。すごいよ。お前の若さで」
鋭く引き締まった顎の輪郭に、自衛隊員らしく短く刈り込まれた髪。
厳しい訓練のせいか、表情は険しさを増し、胸も肩も厚くなった。そこに、高校時代の面影を見いだせるとしたら黒目がちの目元くらいだ。
それがいつも、――5年ぶりに再会した今も、直斗を優しく見せている。
「結婚式、以来だよな」
「そうね。お互い仕事が忙しかったから」
口にしがたい現実をさらりと流してから、明凛はマティーニを飲み、直斗はグラスビールを飲み干した。
ちょっと物足りなさそうな横顔が、直斗らしくておかしくなる。
「この店って、紫凛のおすすめ?」
「ん、まぁな」
市内の雑居ビル内にあるカクテルバー。
最近できたお洒落な店だと、ここに来る前にネットの口コミで知ったが、2ヶ月前まで東京で暮らしていた自分同様、地方の航空自衛隊基地に籍を置く直斗が、出来たばかりの店を知っているとは思えなかった。
ちょっと窮屈そうなスーツと同じで、最初から居心地の悪そうな直斗は、自分から誘ってきたにも関わらず、店のムードに馴染んでいないようだ。
とはいえ明凛も、慣れているとはいいがたい。
東京時代、つきあっていた人に似たような店に連れて行かれたが、全く馴染めないし、面白くもなんともなかった。その時の、息苦しくて窮屈な記憶が蘇る。
「てか、ビール、少なくね?」
直斗が眉を寄せて囁いたので、明凛は思わず噴き出した。
「あまり、この手の店で飲まないでしょ」
「ヤローばっかの職場だから、飲みは大抵居酒屋でさ。今夜は明凛にあわせたんだ。だってお前、大学からずっと東京だろ」
そう言って2杯目のビールをウエイターに頼み、直斗は面映げに頬のあたりを指でかいた。
「正月がくるたんびに、お袋が言ってたよ。明凛ちゃんはすっかり街の娘さんになった。ここらへんの人とは空気が違うって」
なんなの、それ。
明凛は笑いを噛み殺しながら、カクテルで唇を湿らせた。
「たしかに東京に住んではいたけど、ひたすら地味に暮らしてたわよ。学生時代はバイトばかりで、仕事についてからは残業ばかり。てゆうか、それってどういう錯覚なの」
「さぁな。お袋にきいてくれ」
直斗の母親は、たまに柏原家に立ち寄っては折々の届け物などをしてくれるようで、明凛とも年に一度、正月休みに顔をあわせる。
(愚痴になるけど、今でも残念でならないのよ。どうして明凛ちゃんが直斗のところに来てくれなかったんだろうって)
(紫凛ちゃんがどうってわけじゃあないんだけど、なんだか直斗が可哀想でねぇ。だって、あの子、あれだけ激務なのに、もうずっと単身赴任で……)
5年前、双方20歳で結婚した直斗と紫凛が一緒に暮らしたのは半年くらいだったろうか。
公務員の舎宅にどうしても馴染めないという紫凛のために、直斗は灰谷市の郊外にマンションを購入した。
以来、紫凛は一人でそのマンションで暮らし、週末だけ直斗が帰ってくるようになったらしい。
しかしそれも最初のうちだけで、直斗が遠方に転勤になった今では、半年に一度帰るか帰らないかだという。
それでも、時折くる紫凛からのメールでは、夫婦円満ぶりが伺えるから、2人は上手くやっているのだろうけど……。
「紫凛は、どうしてるの」
自分の心に差した魔を追いやるように、少し早口で明凛は訊いた。
「せっかくだから、紫凛と3人で飲みたかったな。なかなか会えないから、紫凛とも」
「……今夜は同窓会っていってたかな」
ビールに口をつけながら、前を見たままで直斗は言った。
「心配しなくても、またそんな機会もあるよ。お前、当分灰谷市なんだろ」
「2年は、異動はないでしょうね。――紫凛、今夜のことは知ってるんでしょ?」
「当たり前だろ」
「だったらいいけど」
正直、そこに一抹の疑心はあったが、それでも明凛は来てしまった。
5年ぶりに直斗から電話があって、久しぶりに2人で会わないか、と誘われた。
灰谷市役所に派遣されることになって2ヶ月。市の仕事にも慣れ、ようやく身辺が落ち着いてきた矢先である。
特にためらいもなくその誘いを受けたのは、当時、7年ぶりに灰谷市にもどってきた明凛をそういって誘ってくれたのは、直斗一人ではなかったからだ。
高校時代の友人や恩師、この地方に赴任になった元同僚たちなど。
気の進まない飲みもあったが、明凛は義理堅く全ての飲み会に顔を出し、その延長のような形で、かつての幼馴染の誘いも受けてしまったのである。
もう、大丈夫だろう、という思いもあった。
自分も東京で、多少は恋を経験した。
正直、恋といっていいかどうか不明な点は多々あったが、それでも少しは大人になったと思う。
もう直斗とも、以前のように親しくつきあっても大丈夫だろうと。
「なぁ、藤島のこと、覚えてる」
「藤島君?」
「中学の時、お前にラブレター渡した奴」
それからひとしきり昔話に花が咲き、実際、明凛の時間は、一気に学生時代に引き戻された。
人生で一番楽しかった頃。
ここにいる人が、傍にいるのが当たり前だった頃――
けれどその思い出は、高校3年生の秋の半ばに差し掛かると、暗い闇に閉ざされる。
そこから、何一つ言葉として出てこなくなる。明凛にとってもだが、直斗にとってはなお辛い思い出だろうからだ。
「そろそろ……帰らなきゃ」
沈黙を切り上げるように、腕時計を見て明凛は言った。
「まだ8時前だぞ」
「既婚者と2人で会うには、ちょっと微妙な時間じゃない? いくら義理の弟っていっても」
そこはあえて冗談めかしていい、明凛は急いで立ち上がった。
店を出ると直斗が後からついてくる。
「送るよ。タクシーまで」
「本当にいいのに」
エレベーターホールに出ると、背後から強い視線を感じた。本当はその視線は、店にいた時から感じ続けていた。
急いでボタンを押しても、こういう時に限ってエレベーターはなかなか上がってこない。
「正直、今夜は、断られると思ったよ」
「なんで?」
前を見たまま答えながら、明凛は、自分が犯した過ちにようやく気づき始めていた。
恐ろしいことに、恋と言う名の魔法は9年経った今でも少しもとけてはいなかった。
会うべきではなかった――まだ私は、こんなにも、彼の顔を見て声を聞くだけで動揺しているのだから。
その直斗は、明凛の動揺を見透かしているかのように、逆に明凛から視線を外そうとしない。
「俺が何度か、連絡とろうとしてたのは、覚えてる?」
「……そんなこと、あったっけ」
本当は、覚えている。
2人が結婚する半年ほど前だ。
最後は、東京のアパートにまで訪ねてきた直斗を追い出し、逃げ出した。
よく――覚えている。
「メール送っても返信ないし、電話してもぶち切ってたろ」
「やめようよ。この話」
明凛は無意味にエレベーターのボタンを押しながら言った。
「なんの意味も――ないじゃない。いまさら」
「そうかな」
「そうだよ」
ようやくエレベーターが上がってくる。開いた扉に駆け込もうとした途端、背後から腕を掴まれた。
「お前、本当は知ってたんだろ。俺が何言いたくて電話したのか、何言いたくて会いに行ったのか。本当は全部知ってて、逃げたんだろ」
「……なんの話よ」
「お前のせいじゃない。――なぁ、明凛、紫凛があんなことになったのは、お前のせいじゃないんだ」
「…………」
「もう自分を責めないでくれ。……頼む……」
自分の唇が、微かに震えるのが判った。
私の、せいじゃない。
私が、――私が空気読めなくて、直斗の忠告全然無視して。
もっと気をつけていたら。もっと、注意していたら。
そしたら、紫凛はあんなことには――
唇を震わせる明凛を、直斗が背後から抱きしめた。
「やめて」
「いやだ」
「酔ってるの? ここをどこだと思ってるの」
抵抗は、殆ど意味をなさなかった。
壁に押し当てられ、明凛は怯えながら直斗を見上げた。でもなにより怖いのは、自分自身の心だったのかもしれない。
「役所の知り合いから聞いたよ。お前がなんで、霞ヶ関から灰谷市に飛ばされたのか」
「……直斗」
うつむいたまま、明凛は力なく首を横に振った。
離して。
お願いだから、これ以上私に触れないで――お願いだから。
「俺の悪口言われたんだって? 馬鹿だよ。お前、そんなことでエリートコースを棒に振るなんて」
お願いだから、私から離れて。
「嬉しかったって言ったら、怒るよな。でも、それきいて、会いたくてたまんなくなった」
「…………」
「離婚するんだよ。俺と紫凛」
はっと目を見開いていた。
そして、自分の醜さにぞっとした。今、私は、どう思った?
歓喜に目を輝かせた。
なんて身勝手で残酷な女だろう。紫凛をひどい目にあわせてしまったのは、何もかも私のせいだというのに……。
「俺たちもう、……とっくに夫婦としては、壊れてる。いや、最初から結婚すべきじゃなかったんだ。俺にも紫凛にも、本当の意味で愛情なんてなかったんだから」
「それは」
違うと言いたかったが、明凛を遮るように直斗は続けた。
「今夜だって紫凛は同窓会なんかじゃない。誰か、別の男と会ってるはずだ」
「――やめて」
そんな話、聞きたくない。
そんな話をするために、直斗と会いたかったわけじゃない。
明凛は逃げようとしたが、直斗の腕はびくともしなかった。
「聞けよ。昨日、帰宅してすぐに離婚届けを渡された。サインして紫凛に渡したよ。その時、紫凛に言ったんだ。明凛と、やり直してもいいかって」
「………」
思わず、動きをとめていた。
「お姉ちゃんには、幸せになって欲しいって、紫凛、そう言ってたよ」
――本当に……?
本当に?
心の中では、それが恐ろしいことだと判っていたのに、何故か拒むことも逃げることもできないまま、明凛は自分の唇に、直斗の唇が重なるのを感じていた。
「やっと、キスできた」
「…………」
「話そう、明凛。今までのこと、全部。お前にどうしても聞いてもらいたい話があるんだ」
幸福と不安が胸の内で激しくせめぎあっている。
――本当に……?
本当に、私を許してくれるの、紫凛……。
「お姉ちゃん、朝よ」
はっと明凛は目をあけた。思わず、眩しさに顔が歪む。
「今、何時……」
「7時。もう起きないとまずい時間じゃない?」
自分と同じ顔が、上からのぞきこんでいる。
素顔で髪をひとつに束ねている妹の紫凛は、怖いくらい鏡の中の自分に似ていた。
「かなり、まずい……」
ぼんやりと呟きながら、明凛は先程まで見ていた夢を思い出していた。
直斗と最後に会った夜。
ひどく生々しかったが、もう、あれから2年が経つ。
最近、折にふれて過去の夢ばかりを見るのは何故だろう。しかもそのどれもが、苦い後悔に満ちている……。
「ほら、顔洗ってよ。それから食事、もうできてるから」
「……ありがと……」
極度の低血圧には、朝はいつも地獄のようだ。
のろのろとベッドから起き上がると、紫凛が立ちふさがって、呆れたように掛け布団を奪い取った。
また、無意識に布団を抱えたまま起き上がっていたらしい。
「しっかりしてよ。今のお姉ちゃんの顔、役所の人たちがみたら仰天するんじゃないの?」
部屋を出てキッチンに入ると、テーブルには一人分の朝食が並べられている。
「紫凛、いつ来たの」
テーブルについた明凛は、ようやくそのことに気づいて、言った。
「今朝」
キッチンで、棚からグラスを取り出しながら紫凛は答える。
「お母さんから電話あって、しばらく仕事で海外だから、お姉ちゃんの面倒頼むって。お姉ちゃん、仕事以外はほぼ何もできない人だから」
「……それは、言い過ぎだと思うけど」
オムレツ程度なら作れる――まぁ、作るくらいなら、コンビニで済ませそうだけど。
元国家公務員だった母は、5年前に退職し、労務コンサルタント会社を起業した。海外に顧客も多く、今は年の三分の一をアジアを中心とした海外で過ごしている。
「まぁ、来てくれるのはありがたいけと、私なら一人で大丈夫だから……。一人暮らしも長かったし」
「その割には食生活が最悪だから、お母さんも私も心配してるんじゃない」
背を向けたまま、紫凛は呆れたように肩をすくめた。
「それに、私もたまには実家に帰ってきたいの。もう私が帰れる家なんて、ここくらいしかないじゃない?」
「……だったら、ありがたくお世話になるけど」
席についた明凛を、紫凛が少し心配そうな顔で見下ろした。
「仕事、最近忙しいの?」
二卵性双生児の2人の差異は、メイクを落とせば声だけだ。体重も身長もバストサイズもぴったり同じ。どうしてここまで似たのだろうと皮肉に思うほど、その容貌はよく似ている。
そのせいか、2人は意識的に衣服や髪型で差異をつけてきた。
紫凛は中学の頃から派手なメイクをして、明凛はその反動のように、この年まで化粧をしたことがない。服の好みも真反対で、原色を好む紫凛に対して、明凛は白と黒しか身につけない。
双子だから、姉妹といえども「お姉ちゃん」と呼ぶ必要もないだろうに、紫凛は絶対に「お姉ちゃん」と呼ぶ。そこにも、強い差異の意識を感じずにはいられない。
「お母さん、心配してたよ。1月に新しい部署に異動になってから、お姉ちゃん毎晩すごく疲れて帰ってくるって」
「まぁ、そのあたりはもう、落ち着いたんだけど」
ランチプレートの上には可愛らしいサイズのオムレツとサラダ。それから蜂蜜のかかったフレンチトーストに苺が添えられている。
まるで新婚家庭みたいだと明凛は思い、手を合わせてからフォークを取り上げた。
「じゃあ、ストレス満タンってわけでもないんだ」
「全然」
差し出されたコーヒーカップを、明凛は礼を言ってから受け取った。糖質をとったせいか、ようやく頭がすっきりしてくる。
「最近は外回りばかりだから、デスクワークがないの。そういう意味じゃ、以前よりずっと気が楽よ」
「外回りって? お役所の人が営業でもしてるの?」
「ううん。区役所を回ってるの。色々あって、現場視察みたいなものかな」
「へぇ……一人で?」
それには、何故か一時言葉に詰まる。明凛はフォークを置き、コーヒーを一口だけ飲んだ。
「2人よ。運転手兼案内人がいるから」
「そうなんだ。優雅。さすがは課長さんね」
「そう、ね」
別にやましいことではない。
区役所の視察に行くという明凛に、運転手として沢村を指名したのは阿古屋である。彼なら私以上に区役所の連中に顔がきくので――そんな理由だった。明凛が意図して、そうさせたわけではない。
それでも一抹の後ろめたさを覚えるのは、つい先週の金曜日、その沢村と二度目のキスを交わしてしまったからである。
むろんそのことには一言も触れないまま、ここ数日、2人は淡々と視察の道中を共にしている。
ありがたいことに、あの程度のキスは沢村には日常茶飯事なのか、彼は一切動じていないようだ。
「………」
正直に言えば、明凛は平静ではいられなかった。
それだけではない。もっと正直に打ち明ければ、沢村と2人で過ごせることを、単純に楽しいと――思っている。
特に意味深な会話を交わすわけでもなく、仕事の話ばかりなのに、それが楽しい。仕事でそんな感情を覚えたのは生まれて始めてで――だからひどく後ろめたいのだ。
それも今日が最後か……。
視察の日程は、今日の北区が最終日である。
寂しいようなほっとしたような気持を持て余したまま、明凛は再びコーヒーを口にした。
「直斗、帰ってきてるんだ」
「え?」
いきなり変えられた会話の意味が判らず、明凛は瞬きして妹を見つめた。
にこりと、いつものように、口元だけで妹は笑った。
「灰谷市に、昨日の夜戻ってきた」
「ああ、そうなんだ」
一瞬動揺してしまったのは、さきほど見た夢のせいかもしれない。
まるで皮肉な予知夢のようだ。まさか目が覚めると紫凛が来ていて、そして直斗の近況を知らされるとは思ってもみなかった。
「じゃあ、うちになんか来なくてよかったのに。直斗、今朝はマンションにいるんでしょ?」
「平気よ。彼、洗濯も掃除もやってくれるし。それにどうせ、疲れて寝てるから」
空いた皿を、紫凛は慣れた手つきで取り上げた。
「そのせいで私も、今朝はちょっと腰がだるいのよね。今度こそ、子供が出来たらいいんだけど」
一瞬の間の後、ごく自然に、明凛は苦笑を作れていた。
「コメントに困るんだけど」
「あ、独身には耳の毒だった?」
「そうね――まぁ、そんなとこね」
「ごめんね。つい、身内だと気が緩んじゃって」
そう言うと、やはり唇だけで妹は笑った。
18歳の誕生日から9年がすぎても、紫凛はいまだそんな笑い方しか、明凛の前では見せてくれない。
明凛もまた、心からこの会話と時間を楽しんでいるわけではなかった。
いつものように――拷問のようだ、と思っている。
そういう意味では、この9年、2人は一見仲のいい姉妹を演じ続けているだけなのだ。
「2年前、一度流産してるでしょ」
自分の腹部にそっと手をあてながら、いかにも幸福そうに紫凛は続けた。
「そういうのって癖になるっていうからすごく心配。私も直斗も、子供大好きなのにね。チャレンジしてるけど、あれから一度も授からないの」
「……お医者さんは、問題ないって言ってるんでしょ」
「うん。それはそうなんだけど」
「だったら、きっと大丈夫よ」
コーヒーを飲み干し、明凛は立ち上がった。紫凛が、その後からついてくる。
「実はね、お姉ちゃんにちょっと、頼みがあって」
「なぁに」
「まだ詳しい話は聞いてないんだけど、直斗、近々異動になるみたいなの」
「異動って、基地?」
「うん。それで来週いっぱいまで準備休暇なんだって」
「それは、……随分長いのね」
戦闘機パイロットに、異動はちょくちょくあるが、それほど長く休めるものなのか。
「それでね。その前に、一度うちに遊びに来てくれないかなと思って。直斗も、久しぶりにお姉ちゃんと会いたいだろうし」
「……仕事の都合がついたらね」
明凛はさりげなくやり過ごした。
もう、直斗には二度と会わない。
それは2年前、心に誓ったことでもある。
今朝、過去の夢を見たのは、ある意味幸運だったのかもしれない。あの日の、たった一度きりの過ちの過去は、まだ明凛の胸に重苦しくやきついている。
もう二度と、あんな過ちは犯したくない。
もう二度と、あんな思いはしたくない――
数分後、自宅近くのバス停でバスを待ちながら、明凛はようやく気がついていた。
最近、やたら昔の夢ばかりを見るようになった理由を……。
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