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「成美? 成美でしょ、ちょっと待ってよ」
 行政管理課の執務室に入る直前だった。
 背後から明るい声に呼び止められ、成美は足を止めていた。
「よかったぁ。人違いだったらどうしようかと思ってた。後ろ姿みて、もしかしたらって思ったから」
 倉田真帆    。 
 鼻がやや低いのが欠点といえば欠点だが、綺麗なアーモンド型の目や、形良い富士額は、典型的な美人の部類である。
 小さな唇は口角がきゅっと上に上がっていて、顔の上部だけみればむしろ近づきがたい美人風なのに、その口元の愛らしさが、彼女をより魅力的に見せている。
 フレアスカートをひらひらさせて、真帆は成美の傍に駆け寄って来た。
「びっくりしたぁ。さっき道路管理課にいたよね? もしかして、本庁に何か用事だった?」
「えっ?」
 用事もなにも、成美はこのフロアの人間である。
 しかも、階は違えど、倉田真帆と同じ局に所属しているというのに   
「あ、私、隣の課で……」
「成美って本庁だったっけ? 絶対区役所だと思ってた。同じ庁内なのに、全然会わないねー」
「あ、うん……」
 そのくせ、下の名前で呼ぶ図々しさ。
 成美が、初対面の時から倉田真帆が苦手なのは、この、どう解釈しても上っ面だけとしか言いようのない彼女の馴れ馴れしさにあった。
「今度一緒にランチしようよ。本庁に同期の女子って少ないじゃん。寂しかったんだー、私」
「う、うん……」
 結構いるよ。とは言えなかった。多分、倉田さんの目に入っていないだけで。
「そっかー、成美、この階で仕事してたんだ」
 真帆は感慨深そうに周辺を見廻した。
 この、いかにも好感度が高そうな女性を成美が苦手に思っているのは、様々な理由がある。
 一言で言えば、彼女の上っ面だけの慣れ慣れしさと無神経さ    。結局、私に関心ないなら話しかけてこなければいいのにな、思ってしまうところ。
 もうひとつは、飲みの席などでの態度である。
 これは    成美のみならず、たいていの女子が不快に思うだろうが、とにかく自分、自分をアピールすることが全てで、気づけば、周囲の女子はその他大勢のレベルまで落とされているのである。
 あまり飲み会が好きでない成美が、新人研修後の同期会に参加したのはその時一度きりだが、その夜の経験が、倉田真帆への苦手意識を決定づけてしまったのかもしれない。
 そもそも容姿だけでも真帆は一番人気だったのだが、女子の一人がカラオケで、死んだ恋人への追憶の歌を歌った時のことだった。
 その歌い方はプロ並みに上手く、やんやと拍手かっさいが巻き起こった。まさにその時。   
 いきなり顔をそむけ、静かに双眸を潤ませ始めた真帆に、その場の全員が釘づけになってしまった。
(ごめんなさい……私、高校の時、好きだった先輩をバイク事故で亡くしたの。それを、思い出しちゃって)
 真帆はすぐに健気な笑顔で笑って見せたが、彼女の両隣りの男子2人は、以降、まるで騎士のごとく真帆につきっきりであった。
 成美は、可哀想と思いつつ、なんとはなしに消化不良のものを感じた。
 ここで泣くかな、という疑問を感じると同時に、なんともいやらしいあざとさを感じてしまったのだ。
(えー、成美って、身長155しかないの? うらやましいなぁ、私、小さい頃からノッポって言われて、すごく辛い思いをしたから……)
(何食べても太れないのが悩みなの。ウエストなんて、ほら、ガリガリでしょ、夏は水着になるのが嫌で……)
 その飲み会に最後まで参加して、成美は自分が抱く不快感の理由を理解した。
 とにかくこの倉田真帆は、自分を卑下するふりをして、他人のコンプレックスをぐいぐい刺激してくるのだ。のみならず、それを衆人の前でアピールてくるからたまらない。
 天然にしろ、故意にしろ、あまり近づきたくないな、と思ったのをよく覚えている。
 同期でも女王様キャラ全開で、男子にも女子にももてる倉田真帆と、ひたすら地味な成美は、幸いなことに以降関わる機会は全くなく、成美にしても、階が違う同局の同期のことなど、今まで思い出すこともなかったのだが   
「ね、成美、この階で仕事してるのなら知ってるかな。道路管理の氷室課長」
 成美はドキッとして、思わず視線を下げてしまっていた。
「……なんで?」
 真帆は、目をきらきらさせながら、囁くような声で続けた。
「素敵な人だけど、悪い噂も聞くじゃない? あれってホントの話かな?」
「さぁ……、私、あまり知らないから」
 なんでそんなこと聞くの?
 漠然とした嫌な予感が、心臓をドキドキ言わせている。
「そっかぁ。あ、私、仕事でご一緒することになってね。それもあるんだけど、ちょっと彼の素性にも興味があって   
 そこで真帆は、いかにも困った風に双眸を曇らせた。
「成美、また、相談に乗ってもらってもいいかな。今度時間がある時にでも」
「……氷室課長のこと?」
「うん。でもそれ、人には言わないでね。今はまだオフレコだから」
 なんだろう。
 普通に推測すれば、まるで真帆と課長の間に何かがあって、それを相談したいと言っているようにしか思えない。
「じゃあね、また電話するから」
 ひらひらっと手を振って、追いかけてきた時と同じ一方的さで、真帆はエレベーターホールの方に消えて行った。
 
 
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「ああ、あの狆みたいな子?」
 予想していたが、長瀬可南子の口調は辛辣を極めていた。
 狆とは、日本の愛玩犬の一種で……確かに、倉田真帆と、額と目の感じが似ていなくもない。
 が、スタイリッシュな美人である倉田真帆に、そのたとえはあまりに毒毒しく、成美は冒頭から引いてしまっていた。
「中級あがりで、広報課に行った子でしょ」
 その中級あがり、という言い方にも、可南子の皮肉と厭味が存分に含まれている。
 役所の試験は、上級、中級に二部されており、どの試験に通って入庁したかで、その後の昇進や給与に大きく関わってくる。
 ちなみに、可南子と成美は上級試験を通っていた。
「それ、前にも可南子に聞いたよ」
「そうだっけ」
 ランチタイム。
 食堂でサラダをつつきながら、可南子は鼻に皺をよせるようにして続けた。
「絶対誰にも言わないでね。私は大したことないって思ってるんだけど、周りはそうは思わないから。そんな風に特別視されるのが、私、もう嫌で嫌でしょうがないの」
「……なんの話?」
「ブス犬の真似」
 今に始まった話ではないが、嫌いな同性を語る時の可南子の表現ほど、凄まじいものはない。
 すでに成美は凍りつき、この話題を振った自分を後悔していた。
「そして、必ずちんちくりんのワン公はこう続けるのよ。絶対に誰にも言わないでね。私のお父さん、市議会議員の倉田誠一で、お爺ちゃんは元建設局長なの」
「そうなの?」
「有名な話よ。本人があれだけ隠したがってるってのにね」
 皮肉たっぷりに言い棄てて、可南子は形のよい肩をすくめた。
「ちなみに私は、あの子、あまり好きじゃないけどね」
 それはもう、今さら改めて言ってもらう必要さえないっていうか……。
 とはいえ、倉田真帆の血縁が、役所ではいっそサラブレッドといっていいほど優れているとは知らなかった。
 改めて、同期との繋がりが薄いことを実感している成美である。
 可南子は続けた。
「中級あがりが広報課みたいな花形に行ったのは、間違いなく縁故でしょ。本人、仕事続けるつもりはないみたいよ。ま、続けたっていずれボロが出るだけだろうから、その意味では自分が判っているのかもしれないけど?」
 何故、女性は、同性の悪口を言っている時ほど生き生きと輝いて見えるのか……。
 成美もまた、「言いすぎ……」とは思いつつ、なんとはなしに可南子の言い方に痛快なものを覚えている。
「仕事続けるつもりはないって……じゃあ、いずれはやめる気なの?」
「そ、役所で誰か出世しそうな結婚相手を見つけてね。もちろん局長クラスまで行って、できれば市政か国政に打ってでそうな器じゃなきゃダメだろうけど」
 そんな人、おいそれといるのかしら。
 苦笑しようとした成美は、次の瞬間凍りついていた。
 いた    しかも、とんでもないほど近い所に。
「あ、あのさ、……もしもの話だけどさ」
「ん?」
「もしも、の話よ? 本省から派遣で来た人が、そのまま何年も市に残ることってありえるの?」
「あるわよ。忘れたの? 今の助役がそうじゃない」
 そうだった   
「……ははぁ、なるほどね」
 勘に優れた友人は、それだけで成美が言いたいことを察したのか、冷たい笑いを唇に浮かべた。
 成美にとって、可南子とは、ある意味味方とも言え、敵とも言える。
 たまたま所属された局が同じだから、四月から共にランチを取っているが、おそらく双方本当の意味で互いを友人だとは思っていない。
 暇な昼時間を、とりあえず共に役所にいる間だけ過ごす仲。
 だから、可南子の性格の悪さも残酷なまでの冷淡さも、成美はさほど気にせずにつきあっているし、可南子もまた    おそらく、相当苛々しているはずの成美の野暮ったさや頭の回転の鈍さなどを、さほど気にもとめずにつきあってくれている。
 成美もそうだが、可南子も自身のプライベートを決して本音で明かしたりはしない。おそらく役所内に彼氏がいるのだろうが、それが誰だか、成美には想像もつかない……。
 彼女の癖で、苛ついたようにテーブルを指で叩きながら、可南子は続けた。
「そりゃ、可能性としては随分大きいんじゃないの? 氷室課長は道路局の課長だし、狆のお爺さんは、その局の元局長    ある意味、おっそろしいほど強力なパイプだもんね」
「…………」
「問題は、氷室課長の野心がどの程度か、ってところかしらね。あと、彼の本省での処遇……戻って出世コースに乗れるのかどうか。もし、コースを外れた人だとしたら、このまま政令市の助役クラスになって市議会議員の地盤を継ぐというのは、とんでもなく魅力的な話だと思うけど」
 呆然とする成美の顔をのぞき見るようにして、可南子は面白そうに笑った。
「だから、あんな男信じるなって言ったじゃない」
「…………」
「あんな人が、本当に成美なんかを好きになると思う? 誓ってもいいけど彼がキープしている女なんていくらでもいるわよ。前も言ったけど、ステーキを食べ飽きた人が野菜に手を出すようなものなのよ……すぐに物足りなくなるわ。    だって他に、彼が成美を好きになる理由なんて考えられないじゃない」

 
 
 
 
 
 
 
 
                             
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Copyright2011- Rui Ishida all rights reserved.この物語はフィクションです。