4

 どこか遠くで、サイレンが鳴っている。
 ――夢……?
 まどろみから引き上げられるように現実に戻り、凛世は、はっとして目を開けた。
 天井――光、明け方の蒼白い日差し。
 身体が重い、熱を帯びただるさが、全身によどんでいる。
「……凛世」
 香澄が、眉をしかめて見下ろしている。隣には、伯父遼太郎の青ざめた顔もある。
 まるで父の葬儀の日のようだった。ひどく陰鬱な二人の表情に、遠ざかっていくサイレンの音。
「……朋哉は……?」
 額を抑えながら、嫌な予感を感じて凛世は訊いた。
 自室。
 そしてベッドの上。
 ――私……どうしたの?
 また判らなくなっている。
 昨夜、朋哉と一緒に屋敷に戻ったまでは覚えているのに。
 眠いというより、ただ、だるくて――今思えば、発熱していたのだろう。抱きかかえられるように、寝室まで運ばれて。
 けれど、そこから先の記憶がない。
「……ひどい熱だったのよ、凛世」
 布団を掛け直し、立ち上がった香澄が囁いた。ひんやりとした手のひらが、そっと凛世の額に触れる。
 部屋着ではなく、黒のパンツスーツ。化粧気がないのはいつものことだが、唇はことさら蒼白に見える。
 ひどく充血した目は、凛世を見ているようで、何も見ていないようだった。
「まだ、熱があるわ、もう少し休んでいなさい」
「……朋哉は?」
 不安にかられ、凛世は再度呟いた。
 香澄と遼太郎が、無言で暗い目を見合わせる。
「凛世、……落ち着いて聞いて」
 嫌な予感が、心臓をわしづかみにする。凛世は半身を起こそうとして、身体の痛みにうめき声を上げた。
「日野原さんが……死んだの」
「………………」
 暗い帳が、目の前を覆ったような気がした。
「嘘……」
「本当よ」
「いつ」
「昨日の夜、発見されたのは、明け方になってからだけど」
「どこで」
「……頂の……、下り途中にある袋小路で」
 それきり、眉を寄せる姉の表情で、凛世はそれが、ただの死に方ではないと理解した。
 朋哉は。
 じゃあ、朋哉は。
 凛世の無言の問いに、香澄は疲れたように立ち上がった。
「朋哉は逮捕されたわ、ほんの十分くらい前のことよ」
「………………」
「今、まさ代が下で警察の方に事情を……凛世も、いずれ訊かれると思うけれど」
 嘘だ。
 朋哉が、どうして。
「朋哉と……私、一緒にいたのよ」
 凛世は、震える声で言った。
「ずっとでは、なかったろう」
 諦めを滲ませた口調で、伯父。
「朋哉が、半ば意識をなくしたお前を山から連れ帰ってきた。……その時にまさ代が、日野原さんが戻らないと、朋哉に相談したらしい」
「朋哉は、その場で罪を認めたのですって、……すぐに警察を呼んで、現場にも……朋哉が案内して……警察が言うには、証拠も残っていたそうよ……」
 姉の泣きはらした目から、涙が前触れもなく糸を引いた。
「覚悟はできていたのかもしれないわね」
 遠ざかるサイレンが、しだいに途切れて聞こえなくなる。
 凛世は、悪夢でも見ているような気持ちで、呆然と姉の顔を見つめ続けていた。

         5

 朋哉―――
 このことは、お前が死ぬまで、いえ、死んでも、誰にも明かしてはなりませんよ。


「……ずっと黙秘を続けるつもりか」
「正直に申し上げております」
 悠木朋哉は、机の一点を見つめたまま、呟いた。
「死んだ櫻井厚志氏と私は、二人で御堂家の財産をのっとることを計画していました。彼が暴漢になって香澄様を襲い、私が怪我を負う。最初から筋書きどおりです」
「陳腐だよ、悠木」
 嘆息する男を、朋哉はよく記憶している。
 少年時代に補導された時、しつこく御堂山の伝承を訊いてきた男だ。
「下手な小説じゃないんだ。香澄嬢は、もともと、お前に好意を持っていたそうじゃないか」
「そのようなことはなかったと思います」
「香澄とお前が、父親の反対を押し切るために仕組んだというならまだ話は判る。そうじゃないのか」
「いえ、決して」
「……櫻井さんを、殺したのは何故だ」
「大金の無心をされまして、今は難しいと断ると、香澄様に全て話すと脅されました」
「……山の頂で、毒草を栽培していたんだな」
「……ええ」
「現場には、もう何も残ってはいなかった。根を引き抜いた跡があったが、あれはお前がやったことか」
 それには、わずかに考えてから、朋哉は目を伏せた。
 ――逃げて……私と、一緒に。
 白い、壊れ物のような華奢な指に、いくつも残っていた細かな擦傷。
「……証拠が残ってはいけないので、私が全部始末しました」
「日野原氏は、どうして殺した」
「私が屋敷を出て行かなければ、全てを暴露すると言われましたので……、昨夜、あの場所で出会ったのは偶然でしたが」
「…………」
「口論になって、ああいうことになってしまいました」
「判っているのか、悠木」
 刑事は再度嘆息する。
「営利目的で二人も殺せば、死刑だぞ、いくら日本のなまぬるい法律でも」
「………………」
「お前は一体、誰をかばおうとしているんだ」
「………………」
 朋哉。
 秘密を知っているのは、この世界で母とお前だけ、そして知ってしまった以上、お前は、その生涯を、お嬢様をお守りすることだけに捧げるのです。
 しょせん、悠木家は人の生の半分も生きながらえない血筋。
 よいですね。
 お前が生まれた意味は、ただひとつです。

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