第四章「死者からの伝言」




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 君がこの手紙を読むとき、僕はもう、この世にはいないだろう。


 やぁ、日野原君。
 いきなり陳腐な書き出しから始まったが、この手紙は遺書ではない。
 約束どおり、君は、僕の最後の願いを聞き入れてくれたんだね。
 手紙を開封してくれて礼を言うよ。さもなければ、真相は永遠に灰の中というやつだったから。
 今更、人生になんの悔いもないが、それだけが、僕の唯一の心残りだったからね。

 さて、何から話そうか――。
 こうやって、自身の人生の断片を、ミステリーのパーツとして考えるのは、なんとも奇妙な気持ちだね。
 君は、常に僕の勝利者であったわけだが、どうだろう、果たして最後まで、勝ち続けていると言えるだろうか。
 まぁ、前置きはこのくらいにして、そろそろ本題に入るとしよう。
 私の妻は、ご承知の通り、十八年前に失踪した。
 妻の探索を、僕は酒席で、たわむれに君に依頼したね。
 冗談でしょう、と、君は笑っていたが、あれは半分が戯れで、半分は本気だったのだ。
 最近になって、私は、古い知り合いから、不思議な絵本の存在を知らされた。
 内容を聞くに、絵本の存在は、妻の失踪について、長年私が思い描いていた疑惑を裏付けるものだった。
 詳しい経緯は省略するが、絵本は「怪物とお姫さま」という童話で、現在は、スコットランドに在住している次女が所有している。
 そう、君との婚約話を進めている娘だよ。
 私がどんな死に方をしようと、我が家にどのようなスキャンダルがあろうと、君のお父上が、決して婚約を破棄なさらないことは承知している。
 ふふ、むしろ喜んで、御堂グループをのっとりにかかるだろうね。
 とすれば、遠からぬ将来、君は妹娘と結婚し、くだんの本の所有者となるわけだ。
 妻の居所は、いずれ、本を手にした者が暴くことになるのだろう。それが君であればいいと……僕は祈っているのだがね。
 さて、以上のことを前提に、そろそろ十八年前の真実を告白してみようじゃないか。
 日野原君、これが僕と君の、最後の勝負になるだろう。

 妻が失踪したのは、忘れもしない、昭和が平成に変わる直前のクリスマスイブの夜だった。
 朝から曇っていた空は、夕方には白いものが降り始め、夜半には大雪になった。私の人生を一変させた日とは、そんな憂鬱な気候だったように記憶している。
 我が家では、イブの夜、親族や取引先を招いてのクリスマスパーティを催す予定になっていた。
 折りしも、都から受注した大規模開発工事の利権をめぐり、地元暴力団ともめていた最中であった。来賓の中には、建設省の役人も含まれ、数年前、窃盗に入られてから厳重になった屋敷の警備は、その夜、さらに厳重にする必要に迫られた。
 正門に警備会社の仮小屋を置き、山裾には警察のパトロールをお願いした。
 麓の国道からわが家までは、山中を通る一本道しかないから、道の随処に、監視カメラなども置かせりした。
 問題は山の北側であった。
 我が屋敷は不便なことに、険しい山の中腹にある。あたかも外敵の侵入を遮るような構えで――例えれば、戦国の城のようでもある。
 遡ること十年前、妻と結婚し、御堂屋敷の主になった時、私はひどく驚いたものだった。いったい何故、豊かな昭和の時代に、このような不便極まりない山城に住まなければならないのかと。
 しかし、何があっても屋敷を手放さないこと。
 当主として護り、次世代に引き継ぐこと。
 長兄遼太郎の面倒を見ること。
 それが御堂の娘である妻と結婚し、婿養子の私が御堂財閥を継ぐ絶対条件でもあったのだから否やは言えない。
 蛇足で説明させてもらえれば、本来、当主たるべき妻の兄、御堂遼太郎は、当時、結核治療の後遺症だとかで、歩くこともままならないほど衰弱していた。
 病床にあってもなお、貴族然としていた美貌の青年は、金銭や地位にまるで頓着しない、いわゆる「世間知らずのお人よし」という部類だったのだろう。
 おそらく一人で下界に下りれば、ものの数年で財産を騙し取られてしまう口だろうと、私は密かに嘲笑ったものだった。
 妻の枝理世は、顔立ちは兄とよく似ている。
 華奢なガラス細工のような……お伽噺のお姫様のような、繊細で美しい女だった。
 誰もが私の幸運を羨む中、私一人が、妻となった女に憂鬱な感情を抱いていた。
 日陰の花のような陰気さと、変化を嫌う内気さは、当時はまだ社交的で、アウトドアを好んでいた私には、とうてい受け入れ難かったのだ。
 結婚後、私は何度「都内のマンションで暮らさないか」と持ちかけたか知れない。が、妻は頑なに首を横に振るばかりで、しまいには泣き出す始末であった。
 驚いたことに、妻はこれまで、一度も山を降りて生活した経験がないという。
 家を出るなど、想像もしていないし、仮に私の熱意にほだされて頷いてくれたとしても、彼女を頑なに守る悠木家――いまいましい執事一族が、絶対に許さなかったろう。
 むろん、妻との結婚で手に入るものを考えると、そのような不満は微細なものである。しかも、永遠に続く不遇ではない。
 義父母の死を待って、私は、仕事を理由に別宅を持った。
 都内の一等地に居を構え、自然、御堂山からは足が遠のき、妻の元に戻るのは月に一度か二度程度になっていた。いわば、事件当時、この山城は、私にとっては別荘のようなものだったのだ。

 事件の夜に、話を戻そう。
 警備にあたって、一番の問題となったのは、屋敷から見た山の裏面、御堂山北側からの進入路であった。
 進入路――といっていいのか。
 少なくとも、人が通るための道ではない。
 北側の麓には流れが急な渓流が走り、崖状にきりたった岩壁が、侵入者を威圧するが如くそびえている。
 一見、ロッククライマーでなければ、登りきることなどできないほど、急傾斜の崖には、しかし一筋だけ、知らなければ判らない抜け道がある。突き出した岩を順路よく登っていけば、数メートルで、山頂近くの獣道にたどり着くのである。
 岩を登りきれば、頂上までは、後わずかだ。足元さえ気をつければ、なんなく頂にたどり着くことが出来るだろう。
 が、頂まではかろうじて登れても、真の難関はそこからなのだ。頂から、南面にある屋敷に降りていくのが難しい。
 そう、御堂山は、本当の意味で、戦国の砦だったのだ。
 侵入者を惑わすトラップが、山のいたる箇所に備えられている。
特に南面、中腹にある屋敷から山頂までの道が複雑で、登りも、下りも、同じ道からは絶対に進めない。迷路のように道が別れ、最悪、迷いこんだら出られない造作になっている。
 義兄に聞けば、かつてこの山には本当に城があり、頂には天守閣があったという。
 御堂家は歴史の中には出てこないが、あるいは名もなく滅亡した領主の末裔だったのかもしれない。
 兄の話では、天守の名残が頂に残っているそうだが、頂には、あの厭わしい悠木家の墓などあって、私は、足を踏み入れる気にもならなかった。
 その――自然の要塞に守られた北側からの進入路をどうするか、が、当夜のささやかな問題であった。
 とうてい人など入って来れない、というのが、妻と、義兄の言い分であった。彼らは山の守りに鉄壁の信頼を置いているのだ。
 が、これは別の話になるが、数年前、どう考えても山の北側から入ったとしか思えない賊の手により、我が家は一度、窃盗の被害を受けているのである。
 私がそう説明しても、彼らは、頑なに首を縦に振らなかった。事件以降、北側の獣道には鉄柵を設けているから、侵入されるはずはないと――殊更、妻は強く言い募った。
 今思えば、不審に思うべきだったのだろう。しかし、当日の天気予報が大雪だったこともあり、私も北側の警備は必要ないと判断した。
 思えばその手抜かりが、以降、十数年続く私の苦悩の始まりだったのである。
                     
 事件当夜の出来事を話す前に、私と妻の関係を正直に書いておくべきだろう。
 妻との夫婦関係は、すでに破綻したも同然だった。
 遡ること三年前に、妻が第二子を妊娠した時から、夫婦の営みは一切立たれた。今風に言えばセックスレスとでもいうのだろう。そういった行為の一切を、妻が強烈に拒否するようになったのだ。
 お決まりのように私の別宅には、公認の愛人が住み着くようになり(そのことが、後日、私が妻殺しの疑いをかけられた理由となった)、妻はしめやかに黙認し、決して表立っては批難しないくせに、陰では、鬱々とした嫌悪を私に向けるような有様だった。
 では、妻にも愛人がいたとかいうと、私は、想像さえしていなかった。
 うぬぼれといえば、それまでであろう。下衆な言い方をすれば、私は、彼女の初めての男であり、彼女は、私以外に下界の男を一切知らない、囲われの天女のようなものだったのだ。
 しかし、現実には、妻には愛人がいたのである。
 私はその事実を、今思えば、彼女と最後に会話した時に、最悪の形で知らされることになるのだから。




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