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「だからこの企画は、吉野さんを中心にやってみたらいいと思っているんですよ」
 ぼんやりしていた香佑は、その声にえ? と顔をあげていた。
 なになに、一体なんの話?
 下宇佐田祭実行委員会会合。
 例によって二丁目集会所で行われている会合で、口を開いたのは水本志乃(みずもと しの)という四十半ばの女性だった。
 役所で保健師をしているという志乃は、町内会の下部組織である子供会の役員で、祭り実行委員会には、子供会代表として参加している。
 祭りまであと半月。当初は町内会役員ばかりで占められていた実行委員だったが、この時期になると様々な人たちが顔を出すようになっていた。
 少年野球団、サッカークラブ、消防音楽隊、小学校PTA、子供会、消防団等々の役員たち――彼らは総じて若く、おかげで実行委員会の平均年齢はぐっと香佑に近づいてきた。
 とはいえ、相変わらず老人たちが何もかもしきっているから、若い人たちは、ただ「はいはい」と大人しく頷いているだけなのだが。
 が、その羊たちの中にあって水元志乃だけは、何か物言いたげな――どこか不遜な匂いが漂う女性だった。
 一言でいえば、自分が仕切りたくてたまらない、みたいな。
 その水元志乃が、席から立ち上がり、香佑を見下ろすようにして言った。
「以前吉野さんが提案されたという、町民を対象にした人気コンテスですか? 結局実現しなかったそうですが、コンテスト形式を祭りに盛り込むのは、すごくいいアイデアだと思うんです」
 はきはきとした耳障りのいい声。
 ママさんバレーチームのキャプテンをしているという水元は、長身の上に体格もがっちりしている。長い髪はきりっと後ろにひっつめて、いかにもしっかりもののママさんという感じだ。
「だからステージをコンテスト形式にしてはどうかと思いました。出演者の中から優勝者を決めて賞品をお渡しするみたいな。そんな風にステージの企画を変更して、私たち若手でやってみたいと思うんです」
 うわ、すごいこと言うな、この人。
 隣に座っていた香佑は、思わず志乃の顔を見上げていた。
 この年寄り連中が全権を握る祭り実行委員会で――革命的というより、空気が全く読めていない発言だ。
「ちょっ――ちょっとちょっと。何を言っているのよ、水元さん」
 案の定、下宇佐田講中婦人会の会長にして祭実行委員の副会長でもある新古原夫人が、理解できないとばかりに口を挟んだ。
「コンテストって……、冗談でしょ。ステージに出てくださる人たちに優劣をつけるなんて――そんなの失礼極まりないじゃない!」
「そうよ、びっくりしたわ。何を言い出すのかと思ったら」
 おののくようにして言葉を継いだのは、下宇佐田講中婦人会副会長の磯野美土里である。
 新古原夫人の腰巾着みたいな人で、常に場の空気を読んで上手く立ちまわるという――少しばかり狡いところのある人だ。
「そんなの、参加者の皆さんだって不愉快に思うに決まってるじゃない。だいたい祭りの企画をするのは私たち実行委員の仕事でしょ。水元さんはお手伝いの立場じゃないの」
「あら、だから最初に、委員の吉野さんを中心にやりたいって言ったじゃないですか」
 ――え?
 湯のみに口をつけていた香佑は、含んだ緑茶を噴き出すところだった。
 なに、そこでなんで私?
 新古原と吉永が揃って香佑を睨みつける。
 香佑は大慌てて首を横に振った。違います違います、私は何も絡んでないですって。 
「だいたい、いったい誰が不愉快になるっていうんですか」
 しかしその空気が全く読めないのか、からっと明るい口調で水元志乃は続けた。
「怒る人なんて一人もいませんよ。なにも全員に優劣をつけようっていうんじゃないんです。上位三位くらいを表彰する程度ですよ。それだけでも、出演される方はすごく張り切ると思いますよ。――ねぇ、吉野さん」
 いきなり振られ、香佑は強張ったまま、そうですね、と頷いた。
 ど、どうすればいいのよ、私。
 新古原夫人と吉永美登里。その他、彼女たちの取り巻き面々の視線が痛い。
 ようやく「ババアと心の中で叫んで飛び出した事件」も忘れられつつある昨今、正直、余計な揉め事だけは起こしたくない。
 皆の嫌がる仕事をあれこれ引受け、精力的に下働きに勤めているせいか、ようやく新古原夫人や富士山ます江の攻撃もなくなってきたぱかりなのに――
「僕は賛成ですよ」
 が、そこであり得ない賛同者が現れた。
 町内会の役員で、体育部長の相模原(さがみはら)だ。
 下宇佐田唯一の文具店の二代目店長で、年は若く三十代後半。町内会のスポーツ大会や子供会のスポーツ行事などは、全てが彼のしきりである。
子供番組でいえば、体操のお兄さん的ポジションに立つ男。
「僕はいいと思いますよ。雰囲気もがらっと変わって面白そうじゃないですか」
「私もいいと思いますねぇ」
 と、そこでもう一人。今度は消防団副団長の大道寺(だいどうじ)である。
 上宇佐田と合同でやっている宇佐田神楽団の団長でもある大道寺は、おばさん連中にとてつもない人気を誇る苦みばしったチョイ悪親父で、香佑は密かに「ヒュー・ジャックマン」と呼んでいた。
 そのジャックマン――大道寺が続けた。
「祭りもそろそろマンネリですし、そのせいか寄付も減って、参加者も年寄りだけですよ。祭りは町内会にとってもいい収入源ですから、今みたいな方法でもう少し集客の工夫をすべきなのでは?」
「若い人たちに企画から任せた方が、面白いものになりますよ」
「そうしましょうよ。いいじゃないですか、岩崎会長」
 体操のお兄さんにヒュー・ジャックマン。言ってみれば有望若手が揃いも揃って、まさかの反乱だったのか、新古原夫人も岩崎会長も、唖然というより呆然としている。
「いや、……急に決めろと言われても、しかし」
 困惑しきりでもごもごという岩崎会長を、水元志乃は勝利者の目で見てにっこりと笑った。
「あまり日もないので、決断はお早目にお願いしますね。会長」
 しーん……。
 恐ろしく冷えた空気の中、いきなり矢面に立たされた香佑は顔もあげられなかった。
 どうしよう。後で新古原さんに言い訳しなきゃ――そう思った時、いきなりとんでもない声がかけられる。
「ねぇ、吉野さん。ステージをやるなら、またご主人と詩吟を詠んだら?」
「あ、テレビね。見た見た」
「夫婦で連唱なんてイキねぇ。二人でステージにたっちゃえばいいのに!」
 水元志乃同様、祭りの手伝いに来ている若いお母さんたちである。
 なんで今、よりによってその話題?
「い、いえ、それだけはないですから」
 香佑は、引きつった笑いを返して首を横に振った。
 まさか、あの極めてマニアックな会合(石の会)に、ローカル番組とはいえテレビ局の取材がきて、しかもワンカットとはいえ、よりにもよって匠己と詩吟を詠んだ場面が放映されてしまうとは――
 おかげで、未入籍のダメージは多少なりともリカバリーできたものの、思わぬ赤っ恥を下宇佐田中に広めてしまうことになったのである。
 香佑が話題の中心になったことで、新古原夫人たちはますます面白くなさそうな顔になった。しかし気まずい話題ほど、なかなか終わらないのは何故だろう。
「匠己君に限らず、吉野石材店はイケメン揃いなんだから、全員でステージにたてばいいのに」
「そうよぉ、優勝間違いなしよ!」
「うちのお義母さんなんて、いい年して竜さんの大ファンなんだから」
「え、うちの姑もよ?」
「そ、そうなんですか……」 
 控え目に頷きを返しながら、香佑は内心、軽いドヤ顔になっていた。
 さすがは下宇佐田のフラワー4。
 しかも神がかり的な美貌を誇る高木慎ではなく、アラフォーの竜さんを選ぶとはお目が高い。
 ふふっ、私だって、今は竜さんが一番の押しメンだもんね。優しいし、紳士だし、何より人の目をじっと見て話を聞いてくれるし――
「おたくの竜さん、お墓掃除のついでに水詰まりや軒の修繕なんかもしてくれてね。一人暮らしのおじいちゃんおばあちゃんには大人気なのよ」
「そうよ。このあたりの寡婦は、皆竜さん狙いなんだから、むしろ用心した方がいいわよ」
「は、はぁ」
 そこまで??
 石業界での吉野石材店の評判は散々だが、少なくともこの界隈では絶大な人気を誇っているようだ。
「で、どう? ステージ」
「本気であの四人を引っ張り出せない? 超盛り上がると思うんだけど」
 話題が再びそこに戻り、香佑は困惑して後ずさった。
「いえ、それは……」
 間違ってもというより、天地がひっくり返ってもないだろう。
 あの面子で、何か策を弄したとして――それでもかろうじてステージに出てくる可能性があるのは単純な宮間くらいだ。
 匠己の腰は石以上に重いし、ステージで歌う竜さんなんて想像つかないし、頑固な高木慎に至っては――絶対無理。
 そんな感じでぐだくだになって、とりあえず会議は終わったものの、香佑が台所で湯のみなどを洗っていると、水元志乃が背後からいきなり声をかけてきた。
「ねぇ、お願いだから、ああいう時に逃げ腰にならないでよ」
 ――は?
 香佑と背丈が変わらない志乃は、隣に立つと、きさくに微笑みかけてきた。
「私たち、みんな吉野さんには期待してるのよ。この膠着した町内会の救世主だって」
「は、はい?」
 固まる香佑の手から湯のみを奪い、志乃は慣れた手つきで洗い物をし始めた。
「ここって本当にひどいとこでしょ。よそから嫁いできた人間はまるで悪役扱い。だから子供会とかスポ小の役員さんたちも、町内会だけには関わらないようにしてるのよ」
「そ、……そうなんですか」
「私は神戸あたりから嫁いできたんだけど、最初はそりゃあひどい目にあったわ。もう十数年前の話だけどね」
「お察しします……」
 小さく相槌を打ちながら、香佑はこの声が廊下に聞こえやしないかと気が気ではない。
「なのにびっくりしちゃった。気づけば、えらい目立つ新人が入ってるじゃない。いつ嫁いできたんだっけ? 二ヶ月前? その割には、もうこの辺りで名前を知らない人がいないくらい有名人なのね、あなた」
 そんな馬鹿な――
 いくらテレビで顔が出たからって、その程度でそんな。
「私ね、こう見えても人を見る目だけは自信があるの。ここの町内会には改革が必要だし、新しい風が必要なの。私がみるところ、その風が吉野さん、あなたなのよ」
「……………」
 香佑は絶句したまま、志乃がてきぱきと湯のみを洗うのを見つめていた。
 なに、その誤解。
 もしかして、また見た目で誤解されてる?
「私と同じように思っている人って、案外いるのよ。四十代以下の若い人たちはみんなそう。相模原さんも大道寺さんも言ってるわ。これからは吉野さんみたいな人に、うちの町内会を引っ張っていって欲しいって」
「は、はぁ……」
 てか、どうしてそこまで飛躍する??
 ほんと、勘弁してください。
 絶対に無理だし、心の底からそんな気はありません。
「だからこの祭りで、ちょっとした反抗の意思表示――レボリューション的な? そんなものを年寄り連中に見せつけてやろうと思ってね。吉野さんにはその筆頭に立ってもらわなきゃいけないんだから、今日みたいな場ではもっとしっかりしてもらわないと」
「そ、そんな、またまた冗談ばっかり」
「とにかく若手のリーダーとして、あなたには大いに期待してるから」
 固まる香佑をおいて、水元志乃はさっさと出ていった。
 そんな――
 そんな期待いらないし、むしろとんでもなく迷惑だ。
 私なんて、今は皆に嫌われないように大人しくしているだけで精一杯なのに。
 げんなりしながら台所から出ると、案の定廊下では、新古原夫人がとんでもない剣幕でまくしたてていた。
「ホント、水元さんには呆れたわ。なんの相談もなしに勝手に話を進めるなんて、冗談じゃない」
「あの人、昔から私たちに反抗的だったもの。やってくれるわね。よりにもよって相模原さんと大道寺さんを味方につけるなんて」
「吉野さんもあれよ、間違いなく水元派よ」
「だから都会から嫁に来た連中は信用ならないのよ!」
 気、気づけば派閥とかできてるし。
 ああ――よく判らないけど、また無意味な嵐の予感。
 これ以上人間化関係のゴタゴタに巻き込まれるのだけは、勘弁して欲しいのに。


 
 
 
 
 
 
 
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Copyright2011- Rui Ishida all rights reserved.この物語はフィクションです。