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香佑が片付けを済ませて、再び外に出た時だった。おそらく、良庵を追い払って戻ってきた慎と鉢合わせになった。
「お前、昼からもどっか行くの」
やや不機嫌そうな口調である。
「まぁ、……悪いと思ってるけど、これも町内の仕事だから」
視線を逸らしながら、少し気まずく香佑は答えた。
一応、畑仕事は一人でしているし、加納の手伝いもこなしている。慎には迷惑をかけていないつもりである。
とはいえ、一昨日から、慎の物言いたげな視線を感じないと言えば嘘になった。
絶対に腹立たしく思われているし、いつか嫌味のひとつでも言われるだろうとは覚悟はしていた。多分、今、その時が来たのだろう。
案の定、ひどく辛らつな口調で慎は言った。
「呑気なもんだな。家事一切を他人におしつけて、町内の仕事もないだろうに」
なによ、その言い方。
判っていても、性格的に――いや、相手が高木慎ゆえにカチンとくる。
もともとこの家の家事は美桜ちゃんがやってるし、私が涼子さんに任せてるのは、ほぼ匠己の世話だけなんですけど。
「なんで涼子、家に呼んだよ」
「はっ? それがそんなに責められなきゃいけないこと?」
多分匠己に何か聞いたな――そう思った香佑は、無意味にムキになっていた。
「言っとくけど、涼子さんは私にとっても同級生で友達です。いいじゃない、忙しい時は勝手知ったる人に手伝ってもらったって」
慎もまた、香佑の態度にますますカチンときたようだった。
「お前な――自分がどれだけ馬鹿な真似してるのか、本気でわかってないのかよ。お前と匠己は結婚してんだ。そこに元カノを連れ込んでどうするよ。少しは世間体ってものを考えてみろ」
「それは」
「それはじゃない。お前がどう思おうとな、そういう悪い評判は全部、匠己が背負うことになるんだぞ」
「…………」
香佑はうつむいて唇を噛んだ。それは――確かにその通りだけど。
「まぁ……なんていうの」
どこまで事情を知っているのか判らない相手に、一体どこまで話したらいいんだろう。言葉を探し、香佑は気まずく言いよどんだ。
「つまり男と女って」
「は? そこまで掘り下げる問題か?」
「も、問題なのよ。いいから聞いてよ。男と女って、一度付き合っちゃうと、もう別れるか結婚するしか道はないわけ?」
「? 友達もありだろ」
「ありでしょ? でも慎さんの言い方だと、友達でいることもダメみたいじゃない」
しばし眉を寄せた慎は、はぁっと溜息をついた。
「まさかと思うけど友達って、涼子と匠己のこと言ってんのかよ」
「そうよ。その二人のことよ。元々一番仲の良かった二人が、――どっちかが結婚した途端に離れちゃうなんて、なんだかそれも寂しいじゃない」
「…………」
それには、初めて慎が眉を曇らせ、言葉に詰まるのが判った。
「二人は元恋人だ。ただの友達じゃないだろ」
「でもその前は友達でしょ。別れた後も友達じゃない」
香佑は言葉を探しながら続けた。
「そういう関係……上手く言えないけど、なんとか三人で両立できないかなと思って。だから、とりあえず私と涼子さんが仲良くすることから始めてみようと思ったのよ」
「馬鹿じゃねぇの、お前」
あまり説得力のない説明だというのは判っていたが、案の定、吐き捨てるような口調で慎は言った。
「小学生か。それとも少女漫画好きの乙女か。何ふざけたこと言ってんだ。三十前にもなって、考えなしにもほどがあるな。いいか、お前は知らないだろうが匠己と涼子はな」
言いかけた慎が、あ、しまった、みたいな表情で口をつぐんだ。
それが、何か耳に痛い話だと察した香佑は、ますますムキになって慎に詰め寄っている。
「なんなのよ。言いかけたら最後まで言いなさいよ」
「……あー」
一瞬、いらっとしたように髪を指でかき回した慎は、噛み付くように香佑を睨んだ。
「んじゃ、言うけどな。いっとくけど全部過去の話だ。一時、涼子がうちに泊まり込んでることが、ここいらで噂になって――まぁ、涼子だけじゃなく、あの当時は、他の女も何人か、匠己おっかけてきたんだけど」
「は、はぁ?」
「あいつが、ただの唐変木だと思うなよ」
慎は、香佑を、人差し指で指した。
「黙っててももてるんだ。いや、黙っていたからもてるともいう。口開いたら、ただのバカだからな。あの男は」
「そ、そんなの言われなくてもよく知ってるわよ」
「しかも、若くして仏師になって、その世界じゃちょっとした有名人になったんだ。狭い世界ではあるがな。そりゃ、仏像好きの女子や美大の後輩たちが放ってはおかない」
「で……?」
それが、最初にここに来た日に漏れ聞いた話の真相だ。つい、香佑はごくりと唾を飲んでいる。
「匠己は、あの調子だから」
「う、うん」
「くるものは拒まずで、いくらでもこの家に泊めた」
「………」
あいつ……。
「と言っても放置状態なので、女は順次出ていったがな。とはいえ、それで悪い噂がばーっとご町内に広まったんだ。吉野さんとこの息子は女にだらしのないろくでなし――」
慎は軽く溜息をついた。
「で、ミヤコさんが火消しに回った。匠己には決まった相手がいると、それとなく町内に吹聴して回ったんだ。その時、匠己がつきあってて、――まぁ、結婚するもんだと本人たちも思ってた相手がいたからな。それが涼子だ」
聞くんじゃなかった。
香佑は、うつむいて、軽く唇を噛んでいる。
やっぱりあの男は、とんでもない阿呆だった。涼子さんという彼女がいながら、追いかけてきた女たちを、ウエルカムで家に泊めるなんて――果てしなくバカじゃない?
「そんな訳で、このご町内じゃ、涼子の存在は知る人ぞ知るってやつなんだ。そんな女が、まだ匠己の傍に――別の女と結婚してもなお、入り浸っていると知れてみろ。今度こそ、どんな噂が広がるかわかんないぞ」
「でも――だからって」
全ては慎の言うとおりで、反論は何もでてこない。それでも意地が、香佑に言葉をつながせていた。
「元々、涼子さんは吉野石材店の一員みたいなものだったんでしょ? だったら町の噂もなんとかなるわよ。それに、別れた人と友達になろうとしている涼子さんを追いだすとか、そっちの方がひどいじゃない」
「友達? それ、涼子がマジで言ったのかよ」
慎が、呆れたように眉を上げる。
「お前、匠己以上の大馬鹿者だな。何、涼子に安々と丸め込まれてんだ。マジで涼子の真意が見えてないのか」
「な、なによ、まるで涼子さんが悪人みたいな」
「どこからどう見ても悪人だろうが」
それにはさすがにカチンときて、怯みながらも、香佑は言った。
「あのね。最初も言ったけど、私と涼子さんも同級生で友達なの。そういう関係のなにもかを、慎さんは私に壊せっていうわけ?」
「――何が友達だ、ふざけんな」
我慢も限界、といった風に、吐き捨てるように慎は言った。
「今のは涼子に言ったんじゃないぞ、そこに突っ立ってるお人よしの偽善者に言ったんだ。涼子を信じて痛い目にあうのは勝手だよ。でもな、間違っても涼子と友達になりたいとか、ふざけたことは考えるな。そんなことこれっぽっちも思ってないあたり、お前より涼子の方が何倍も大人だよ」
なによ、それ――
「もういい、ほっといて。だいたい私のことは慎さんには関係ないじゃない」
香佑は手をかざし、やや強い口調で慎を遮っていた。
私の気持ちなんて、割り切りのいい慎さんに判るはずもない。だいたい私の立場にしたって、正確には知らないくせに――
「色々教えてくれてありがとう。でも、涼子さんのことは、もう何も言わないで。今は私も、それどころじゃなく忙しいし」
「あのな。今は町内より家のことだろうが」
「判ってるけど、忙しいのも、祭りが終わるまでだから」
香佑は話を切り上げて、慎の傍を通り抜けようとした。
「ああ、ああ、とんでもない石頭だな。お前も匠己も!」
「はぁ? あんな奴と一緒にしないでよ!」
結局足を止めた香佑と慎は睨み合っている。
「知るか。お前なんかに礼しようとした俺が馬鹿だった。もう、勝手にしろ。どんな噂がたっても、俺は知らないからな」
「いいわよ。放っておいてよ。誰があんたに――」
礼?
顔をあげた時には、慎の背中はもう店の方に消えていた。
香佑は溜息をついて、額を軽く拳で叩いた。
どうやら、真面目に怒らせてしまったみたいだ。
偽善者のお人よし、か……。相変わらず辛辣だけど、言われていることは当たっている。
自分と涼子さんが仲良くなれば、匠己と涼子さんがあえて関係を断つ必要もないと思った。
本当の夫婦なら、確かに元カノが遊びに来るなんて異常事態だけど、匠己とはそんなんじゃない。それは最初に、双方が確認しあっている。
自分が原因で匠己の人間関係が壊れてしまうなんて、絶対に嫌だ。たとえそれが、自分の一番苦手な相手であっても。
が、その理由とは他にもうひとつ――慎にも匠己にも言うつもりはないが、もうひとつ――後になって自身の行動の動機として、香佑が気がついたことがあった。
そういう意味では、自分のしていることは最初から欺瞞なのだ。
「…………」
香佑は溜息をついて天を仰いだ。
こんなしょうもないことで、慎さんを敵に回してしまった。なんだかますます判らなくなる。やっぱり自分のしていることは間違いだったのだろうか……
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