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「ちょいと、お邪魔しますよ」
 そんな声がしたのは、香佑が玄関を開けて外に出ようとした時だった。
 慎が帰ってきた翌々日の午後の昼下がり。涼子と美桜が揃って買い物に出かけたので、香佑は車が戻るまで畑の草引きに出るつもりだった。
「はい、どちらさまで」
 と、言いかけた香佑は、そのまま言葉を呑んでいた。墨染の衣に青く剃り上げた丸い頭。お坊さんだ。本物だ。墓屋に、なんてレアな客だろうか。
 身の丈は、香佑より少し高いくらいだ。体つきは、いっては悪いが少しばかりぽっちゃりしている。頬は丸く、唇はぼってりとしたたらこ形。耳はふっくらと垂れていて、見るからに人徳のある雰囲気だが――
「あ、あのぅ」
 香佑はたじろいで、後ずさっていた。
 その男の目つきは妙に鋭く、いや、不思議なほどの嫌悪をこめて、香佑をじっと睨んでいる。
「あんた」
「は、はい」
 え、いきなりのあんたよばわり?
「まさかと思うけど、匠己の嫁?」
「そ、そうですけど」
 形だけというなら、間違いなく嫁ですが。
 頷いた香佑がおそるおそる顔を上げると、坊主の顔がくしゃくしゃに崩れた。
「あ、ああああ、なんてことなのっ」
 は、――はい?
「絶望よ、こんなのってないわっ。たっくんが、私のたっくんが、よりにもよって女なんかと!」
 なに……この人。
 香佑はただ、玄関にへばりつくようにして固まっている。
 見かけは徳の高い坊主みたいだけど、もしかして――俗に言う……おネェってやつ?
「ノブ、塩持ってこい!」
 その時、背後で鋭い声がした。
「い、いや、いくらなんでも、お和尚さんに塩とかあり得ないでしょ」
 いつの間にこの騒ぎに気がついたのか、慎と宮間である。
「いや、この強欲和尚には、塩を一袋まいてもまだ足りないくらいだ。毎回毎回、性懲りもなくろくでもない話を持ってきやがって」
 慎の額には、すでに青筋が立っているようである。
「なによう、慎ちゃん」
 和尚が、着物の袖を噛みながら泣くような声をあげた。
「ひどいじゃないの。アタシは、慎ちゃんもタッくんも好きなのに。いつもいつもつれなくしちゃってぇ」
 ごめん。この人生理的に無理かも、私。
 慄く香佑を、目に涙をにじませた和尚がきっと睨んだ。
「しかもこんなブスと結婚するなんて、なんなのよ、一体。何年も思い続けた私の気持ちはどうなるのよっ」
「心の底から知るかよ、そんなの」
 慎の全身から、怒りのオーラが立ち上っている。
 そうか、判った。
 この人が多分、祐福寺の和尚さんだ。
 高木慎の営業能力をもってしても歯が立たない相手――そりゃ立たないわけだ。慎さん、すでにマジ切れ寸前だし。
「ま、お茶でもいただこうかしら」
 しかし、和尚は不意にすました顔になって、ずかずかと玄関の中に踏み込んできた。
「あんた、奥さんなら、来客にはお茶くらい出しなさいよ」
「は、はい」
 その迫力に気圧されたようになって、香佑は思わず頷いている。
「おい、勝手に上がるな。何が客だ。匠己なら今、仕事中だから出られないぞ」
 慎が、むっとした顔で押しとどめに入る。
「ん?……」
 が、和尚は足をとめ、くんくんと丸い鼻をうごめかした。
「臭い――あの女の匂いがする」
 そしていかにも嫌悪丸出しの目で慎を見上げた。「涼子がいるのね」
「いるよ」
 慎が諦めたように肩をすくめる。「だからとっとと帰ってくれ」
「ほんと、タッくんも趣味が悪いったら。まだあの性悪女につきまとわれてんのね。趣味というより、前から言ってるんだけど、あの子の恋愛運、底抜けに悪いのよ。あれは何か、悪い神様にとりつかれているとしか思えないわぁ」
「あんたに付きまとわれるよりマシだろうが」
「いい話があるのよ」
 慎を遮るように、和尚は赤い唇でにっと笑った。
「今度こそ、本当のいい話。あんた、匠己にいい仕事させたいって前々から言ってたでしょ。まぁ、騙されたと思って、話だけでも聞いてちょうだいよ」
 
 
「良庵和尚……ですか」
「良庵さんでいいわよ、まだそんな隠居臭い年でもないんだけど。ホホホ」
 はぁ、と頷き、香佑は用意した茶を出した。そういえば、年はいくつなんだろう。見た感じ、まだ三十代くらいには見えるけど。
「祐福寺の……」
「あら、知ってんの。ご近所だものね」
 香佑は愛想笑いで返そうとしたが、それを遮るように良庵は言った。
「その割には挨拶に来なかったってどういうこと? 墓屋のくせに、なんでお寺に挨拶にこないのよっ」
「す、すみませんっ」
 丸っこい手でだんっとテーブルを叩かれて、香佑は慄きながら頭を下げた。
 しかし、こんな田舎とはいえ、オネェの和尚とかってあり得るのだろうか? 都会ならいざしらず、保守的な田舎ゆえに、決して受け入れられないような気がするのだが。
「あんた、年は」
 その良庵に、いきなり香佑が尋ねられた。
「二十八ですけど」
「じゃ、タッくんと同い年?」
「まぁ、そういうことになりますけど」
 ここに来て色んな人と知り合いになったが、ここまで警戒心をとけない相手も初めてだ。なにしろ、これっぽっちも得体が知れない。
「ふぅん。アタシは三十八」
「はぁ」
 年を聞いた所で、別に驚きも感想もない。そんな香佑を良庵はきっと睨みつけた。
「あんた、若いからって、なめんじゃないわよ。三十八歳、まだまだこれからなんだから!」
「すっ、すみません」
 てか、何をいちいち謝ってんだろ、私も。
 よく判らないけど、互いの第一印象は最悪以下みたいだ。というより、匠己のことで無意味にライバル視されるのだけは、勘弁してほしいっていうか――
「おい、話ならとっとと済ませろ」
 その時、慎が不機嫌も顕わな顔で入ってきた。
「匠己なら、仕事が手一杯で出てこれないとさ。仕事の話なら俺が聞くから」
「えええーっ、いつもそうじゃないっ、一体どうやったらタッくんに会えるのよ」
 たちまち、良庵の顔が泣きそうに歪む。
「……裏手の寺院墓地の管理費、少しばかり払ってくれるんなら」
「さ、仕事の話をしましょうか」
 あっさりと、良庵は香佑が出した湯のみを取り上げた。
「まずっ、……相変わらず安いの飲んでんのねぇ」
 慎が、香佑をちらっと見た。こういう奴だ、と冷めた目が言っている。
 香佑はなるほど、と得心した。金に関してはとんでもないケチ。つまりはそういうことなのだろう。
 そりゃ、慎さんが相手にもしないどころか、端から交渉を諦めているはずだ。
「鬼塚の寿美子さん、知ってる?」
 かりんとうをつまみあげながら、良庵はそう切り出した。
「ああ、あの鬼塚御殿の?」
 その皿をさっと取り上げて、慎が言った。「出さなくていいから」
 かりんとうを載せた大皿が香佑に押し付けられる。
「ケチッ」
「てめぇにだけは言われたくねぇよ。――で?」
「こないだ、ご主人が亡くなったって話は知ってる?」
「知ってるけど、あそこの家は、代々、上宇佐の富士山石材店を利用してるだろ」
 鬼塚の寿美子さん――。
 最初、聞き流していた香佑は、それが、合同婦人会の会長、鬼塚寿美子のことだとようやく気がついていた。
 ご主人が亡くなった――まさか。そんな話、婦人会の席では一度も出てこなかったはずだけど。
「それがね」
 良庵はいたずらを打ち明ける子供みたいに声をひそめた。
「どうやら奥さん、お墓は作らないみたいなのよ」
「どういう意味だよ」
「なにしろ、散々浮気して放蕩した挙句、――死んだ場所、浮気相手の女の家だったみたいでサ」
「ああ……」
 心当たりがあるのか、慎は眉を寄せたままで頷く。
「鬼塚家の財産は全部、奥さんが不動産経営で設けたもの。無職の旦那はヒモ同然で、しかも長年愛人宅暮らしだったってわけ。かなり激しくやりあったみたいよ。ダンナのお骨を愛人が取るか、鬼塚の奥さんが取るかで」
「じゃあ、お骨は愛人が? 確か御崎町の方にマンションがあるって聞いたけど」
 慎がやたら詳しいので、香佑は少しばかりぎょっとしている。
 さ、さすがは切れ者の営業マン。町の人たちの噂なら、ひと通り耳にしているということか。
「残念。その逆。鬼塚さんが取って、墓も作らずに埋葬しちゃおうってわけ。いってみれば愛人とダンナへの復讐よ」
 それにはさしもの慎も、しばらく言葉が出てこないようだった。
「じゃあ……合祀(ごうし)にするってことか」
「そう。あそこは旦那の親族がいないから、奥さんがそう言ったら、もうそうするしかないのよね」
 合祀とは、寺院などが管理する合同墓に、他人の骨と一緒に埋葬してしまうことである。
 それには、香佑もしばらく言葉が出てこなかった。
「ま、はっきり言えば、そうしてくれって、うちがご遺骨を受け取っちゃったんだけどね。ホホホ」
 悪びれずにリークの出所を打ち明け、高笑いする良庵に、香佑はおそるおそる聞いた。
「合祀って、普通は身寄りのない方や、身元不明の方がされるものだと聞いてますけど、……あの、本当に鬼塚さんが?」
「まぁ、最近は、そういう話もよく聞くよ」
 慎が、少し憂鬱そうに口を挟んだ。
「子どもが遠方だったり、資産がなかったり、理由は様々だけど、永代供養って形で合祀を希望する人は増えてるんだ。何も身元不明者だけが合祀されるわけじゃない」
 それは、以前読んだ墓の本にも書いてあった。
 でも鬼塚さんは、多分そのどちらでもない。確か近所に息子夫婦が住んでいると、そんな話を耳にしたことがある。
「まぁ、夫婦仲が悪いってだけで合同墓ってのも、ちょっと極端な話だけどな」
「そうよぉ、それなのよ」
 勢いこんで鼻を鳴らした良庵が、意味ありげに含み笑いをした。
「もちろん世間体も悪いし、――なんていうのかしら? いくら最低の亭主でも、相手はすでに仏様よ。三ヶ月も経てば怒りも覚めるし、怒りさえ覚めれば、そりゃ、墓のひとつやふたつ作ろうって気にはなるだわさ。なにしろ、女は生来の見栄っ張りだから」
 そこで、慎が香佑をちらっと見たので、思わず香佑は睨み返している。
「鬼塚の奥さんは、今じゃ上宇佐田一の金持ちよ? 贅を凝らした墓を作るとなれば――そりゃ、名前の売れたタッくんしかいないじゃない。どう、まだ合祀までは間があるらさ。今からさりげなーく奥さんにアピールしてみれば」
「無理だな」
 慎は両手を上げるようにして立ち上がった。
「うちのお得意ならともかく、墓の営業は死んでからやってもダメなんだ。生きてる時から、なにげない感じでやっておかないと」
 その言い方もどうかと思い、香佑は唖然として慎を見上げている。
「そりゃそうだけど、上手く行けば、吟さんクラスの発注があるかもしれないのよ」
「無理なものは無理だ。だいたい匠己の名前が売れてるのは仏師としてであって、墓の世界の話じゃない。それもあのうるさい富士山社長が絡んだ相手に――冗談じゃない」
 慎はうるさげに片手を振った。
「じゃあな。話がそれだけなら、二度とくるな」
「ちょっとお、慎ちゃんっ」
 さっさと出ていく慎を、良庵が慌てて追いかけていく。
 まぁ、ああみえて実はいいコンビなんじゃ……。
 強欲オネェ和尚と、計算高い毒舌墓屋。
 香佑はそんな二人を、半ば唖然と見送ってから、机の上のものを片付け始めた。
 ――合祀、か……。
 永代供養といえば聞こえはいいが、いってみれば無縁仏だ。
 この世で、供養してくれる人が誰もいないから、合同墓に入るのだ。
 もちろん悪いことではないけれど、鬼塚のご主人の場合、奥さんも生きていれば子供もいる。それなのに――そういう選択をするなんて。
 なんだか寂しいっていうか、漠然とやるせない。
 因果応報といえばそれまでだけど、すごく寂しい気持ちになる。
 なまじ、鬼塚さんの顔を知っているだけになおさらそう思えるのかもしれないけど――

 
 
 
 
 
 
 
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Copyright2011- Rui Ishida all rights reserved.この物語はフィクションです。