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俺は――
お前が好きなんだ。
そうなっちゃまずいって、ずっと否定してきたけど、実家に戻られた夜に認めたよ。
なんで俺が、あんな壊れかけのロフトで毎晩寝てるのか、マジで意味が判ってないのか。
嶋木の家に泊まった夜から、さすがに薄々勘付かれてるかな、と思ったけど、全くの圏外だったってわけだ。
気づかれてること前提で、あれこれ悩んでた俺って一体……。
いっそ、何も言わずにこのまま抱きしめてしまおうか。
慎さんとフェアな立場でなんて、悠長なことは考えずに。
自分の気持ちの何もかもを、ここでぶちまけてしまおうか。
「……私、どうすればいいのかな」
はっ、とはじかれたように、匠己は顔をあげていた。
「どうするって?」
うつむいた香佑の横顔が、頼りなげな瞬きを繰り返している。
その横顔に、ふと再会した日の光景が蘇った。
見合いの席で――いかにも不安そうに、頼りなさそうに、「嶋木」という名前さえ、まるで借り物のように名乗っていた。
まるで、違う誰かを見ているようだと、その時に思った。
目の前の、現実の香佑が続ける。
「なんかもう、自分のしてること全部に自信なくなってきてさ。――あんたにもそうだけど、慎さんにも会わせる顔ないよ、私」
「……………」
「町内会のことも、お店のことも、涼子さんのことも――やってることの何もかもが、中途半端の空回りでさ。なにひとつ上手くいってないんだもん」
言葉を切った香佑は、指で涙を払って顔をあげた。
その卑屈さにもにた臆病な目色に、匠己は再び見合いの席のことを思い出していた。
「正直言えば、いろんなところで上手く立ちまわってるあんたが羨ましいし、少しだけ妬ましいんだ。………悪い意味じゃないけど、そばにいるだけで、なんだかすごく惨めな感じ」
「…………」
今手を伸ばせば。
きっと簡単に手に入るだろう。
でも、違う。
俺の気持ちがどうあろうと、嶋木が俺をどう思っていようと。
今は、まだそうすべきじゃないんだ――
いきなり匠己が立ち上がったので、香佑は驚いて顔をあげた。
「な、なによ。びっくりしたじゃない」
「いや、くだんねぇこと言ってんなと思って」
「は?」
言葉の意味が解らない香佑は眉を寄せる。
しかし匠己はうつむいたまま、独り言のように呟いた。
「俺のやってることなんて、言ってしまえば全部昔のお前のまねごとだよ」
――え………。
どういう、こと?
ぼんやりとする香佑の手を、いきなり匠己が掴んでひっぱりあげた。
「ちょっ、なにするのよ」
「こんな辛気臭い部屋でじめじめ話してても埒があかねぇからさ。外に出ようぜ」
「そ、外? 今何時だと思ってんのよ、それに今は、そんな気分じゃ――」
けれど匠己は、そんな香佑の抵抗には意も介さず、腕を引いたまま歩き出す。
――なんなのよ、一体。
諦めた香佑は、仕方なくその後について歩き出した。
37
「ちょっと……」
匠己の行先を察した香佑は、青ざめて口を開いていた。
「部屋よりもっと辛気臭いじめじめしたところに行ってどうすんのよ。な、なんでこんな時間から墓場なのよっ」
「まぁ、いいから、いいから」
「いいも悪いも、やだったらやだっ。夜の、電気のついてない墓場なんて絶対にやだっ」
「大丈夫だよ、懐中電灯持ってきたから」
「…………」
一瞬その様を考えた香佑は、咄嗟に方向変換して逃げようとした。
「ますますいやーーーっっっ、それじゃ本物の肝試しじゃないのよっ。ほんっと、マジ勘弁して。私を家に帰してえええっ」
じたばたする香佑の腕をがっちり掴んだまま、匠己は呆れたような顔になる。
「何を怖がる必要があるんだよ。墓場なんて、お前、この世で一番安全な場所だぞ」
あんたにはそうでも、普通一般の人には耐えられないものなんですよ。
壁みたいに動かない匠己の胸を、香佑は片手でばしばし叩いた。
「馬鹿っ、離してよっ、私を墓場に連れてかないで。やだああああっ」
「お前だって、家にいるより楽しそうじゃん」
は? ちっとも楽しくなんか――
見上げた匠己の顔は、微かに笑っているように見えた。
「久しぶりに、威勢のいい嶋木を見たよ。多少口悪くても、嶋木はやっぱりそうでないとな」
「……………」
威勢のいい私。
そういえば、こんなに思いっきり匠己に文句言ったのも久しぶり――なのかもしれない。
「さて、どのあたりだったかなー」
匠己が手にした懐中電灯の灯りを墓場全体に巡らせる。
たちまち周囲の情景が、ほの暗く浮かび上がった。
「ひっ……っ」
条件反射で、香佑は匠己の腕にしがみついている。
毎日掃除をしている朝ですら、背後で物音がすると本気でびびってしまうほどの、陰気臭い墓場である。それを、照明ひとつない深夜に懐中電灯の灯りだけで見回すって――
「本気で怖い……」
「大丈夫だよ。なにか出るとしても死人だし、害はないだろ」
その発想――絶対根本が間違ってると思うんだけど。
それでも、匠己の腕が温かくて力強かったから、香佑は少しだけ平静を取り戻していた。
――まぁ、そうかもな。
死んでる人よりは、生きてる人の方が何倍も危険かもしれない。匠己の言ってることは、ある意味正解だ。
「足元、気をつけろよ」
「う、うん」
墓地の隅の方に懐中電灯をめぐらせて、匠己は何かを探しているようだ。そして独り言のように呟く。
「おっかしいな、確かこの辺りだったんだけど」
「何、誰かのお墓でも探してるの」
「うん、竜さんの――ああ、あった」
――竜さん……?
香佑がはっとした時には、懐中電灯の灯りは、墓地の一角を照らし出していた。
「お、よかった。まだ枯れてない」
意味不明なことを言った匠己が、懐中電灯を傍らに置いて、その場にしゃがみこんだ。
彼の前には、周囲の墓より少しだけ大きな墓石があった。
墓地の隅、大きな桜の木が、覆いかぶさるようにその傍らにそびえている。
相当な年季が入った代物だが、表面は綺麗に磨きぬかれている。暗くてよく判らないが、記憶間違いでなければ――合同墓だ。
しゃがみこんだ匠己が手を合わせたから、香佑も急いでその真似をした。
「ここには、永代供養で祐福寺に預けられたご遺骨と、無縁仏になったご遺骨が埋められてるんだ」
静かな声で匠己が言った。
「竜さんの家族もここに、埋まってる」
香佑は小さく頷いて、淡い灯りに照らされた墓石を見上げた。
「……昨日、良庵さんに聞いたから」
無縁仏になっているというなら、ここに埋められているのだろうと思っていた。
やっぱり――そうだったのだ。
共同墓で、誰も掃除する人がいないからだと思っていたが、加納は毎朝この墓を洗い、周辺を綺麗に掃き清めていた。
毎朝必ず手をあわせ、季節の花を備えていた。店が休みの日でも、絶えることなく――
「……どうして、奥さんとお子さんは?」
「さぁな、俺も詳しいことは知らない。親父は何も言い残さずに死んだし、お袋が知ってたのは、竜さんが前科持ちのヤーさんってことくらいだ。奥さんと子供さんのことは、竜さん……言いたくない感じだったしな。俺もあえて聞かなかった」
静かだった虫の声が、不意に煩く聞こえ始める。
「ただ、俺が店継いだ初っ端に、はっきり竜さんに言われたよ。自分のことで、もし店にご迷惑をかけるようなことがあれば、その時は、自分の判断で出ていきます。それだけは承知しておいてくださいって」
「…………」
「その時が来たのかな。でも竜さん――もしかするとまだ、この町のどこかに残ってるのかもしれない」
「えっ」
再びしゃがみこんだ匠己が、懐中電灯の灯りで、墓石の台部分を照らした。
そこには、儚い――レースのような薄い花びらをもつ花が一輪、台座に置かれた紙コップの中に差し込んである。
花はすでに半ばしおれかけ、重たく花弁を垂れている。指で触れれば、散ってしまいそうなほど繊細な花びらだ。
暗いのと懐中電灯の灯りの色で、花自体の色合いはよく解らないが……。
「ケシだよ」
「………」
三秒ほど黙った香佑は、眉をあげて匠己を見上げていた。
「はい? ケシ?」
まさかと思うけど、麻薬の原料になるとかいう、例のあれ?
「ちょっ、それ、マジでヤバイんじゃない? 前住んでたアパートの前の空き地にも野生のケシが生えてて、あれ、保健所の人が血相変えて駆除にきたけど」
「……いや、そういうケシじゃねぇし。てかこの空気で何無駄な想像してんだよ。竜さんいたら怒るぞ、マジで」
「ご、ごめん」
まぁ、不謹慎だけど、連想してしまうじゃない。それは――ちょっとは。
「青いケシでさ。ブルー……なんつったかな。なんでも日本の気候じゃ育たないから、ものすごい希少価値があるんだってさ。家庭栽培とかまず無理で、設備の整った植物園でしか花が咲かないんだとか」
「……へぇ」
「竜さんの奥さんが好きだった花なのかな。同じ花が、去年も同じ場所にあったから」
そんな珍しい花を、竜さんはいつ手に入れたんだろう。え、てゆっかー―
「朝掃除した時は、こんな花なかったけど」
驚く香佑の前で、懐中電灯の光が逸れた。
「月命日なんだ、今日が。多分夕方になってから置かれたんじゃねぇかな」
静かな声で、匠己は言った。
「それで来月が命日だ。もしこの花を置いたのが竜さんなら……、竜さん、もしかすると命日まではこの町にいる気なのかもしれない」
「…………」
来月だけじゃない。
きっとこの先何年も何年も、竜さんはこの町にいたかったに違いない。
毎日でも、家族が眠るこの墓地を掃除したかったのだ。きっと。
「また私のせいでとか思ってるだろ」
しゃがみこんだ香佑が動けないままでいると、頭上から匠己の呆れた声がした。
「思うわよ。だって私のせいじゃない」
半ばふてくされたように、唇を噛み締めながら香佑は言った。
「私さえ、この町に来なかったらなって……思うじゃない。どうしても」
「確かに、トラブルを呼び込むタイプなのは間違いないよな」
別に慰めを期待していたわけではないが、あっさり返され、香佑は再び気持ちが深みに沈んでいくのを感じていた。
「………どうせ私は疫病神よ」
「ほんと、落ち込むの大好きだな。お前」
「放っといてよ。何もかも上手くやってるあんたに、私の気持ちなんて判るはずがないじゃない!」
少し強く言って、香佑はふいっと顔を背けた。
ここに嫁いできてからというもの、何もなかった日を数える方が簡単なくらいだ。
東京でも――上宇佐田の実家でも――どこにいたって、私は……。
「……お前さ」
しばらく黙っていた匠己が、ため息まじりに口を開いた。
「お前、一体何がしたくて上宇佐田に戻ってきたわけ」
――え……?
言われている言葉の意味が分からず、香佑は匠己を見上げている。
「さっき言ってたよな。上手く立ちまわる俺が羨ましいし妬ましいって」
それは、部屋の中で交わした会話だ。
香佑は、しゃがみこんだまま、懐中電灯に頼りなく照らされる匠己を見つめた。
「もう一度言うけど、俺のやってることなんて、全部昔のお前の真似事だよ。さすがにお前みたいな、ノーガードの直球勝負はできないけどな」
なんの話?
「どんな面倒な揉め事にも首つっこんで、わけの解らないパワーでなんとかしてた。本人無自覚だったろうけど、人を引っぱってくオーラみたいなものを、お前は確かに持ってたよ。おせっかいだし――ある意味空気読めないし、正直、苦手な奴だと思ったけど――そういうところは素直にかっこいいと思ってた」
――あの……
「それ、誰の話?」
「だから、お前の話だって」
頭上から、軽く頭をはたかれる。
「…………えっ」
私?
本当にそれが、私の話?
香佑は、今度こそ本当にびっくりして匠己を見上げた。
「本人目の前にして言うのも悪いけど、反面、嫌ってる奴もいたと思うよ。人の心の中に平気でずかずか踏み込んでくるような、そういう図々しいとこ、確かに昔の嶋木にはあったからな」
「―――」
「だから逆に、強いな、こいつって思ってたんだ。俺なんて、結局、自分が傷つかない所で、他人を見下していただけだから」
「…………」
私――
上宇佐田に住んでいた頃の、昔の私。
確かに怖いもの知らずだった。自分が傷つくことなんてちっとも怖くなかった。誰かが何かに巻き込まれていたら、なんの根拠もないのに「私がなんとかする!」とか言っちゃって――
「なぁ、嶋木。お前、そういうパワーまで東京に吸い取られちゃったのかよ」
「…………」
「お前は一体なんのためにここに戻ってきたんだ? 嫌なことから逃げるためか? 俺の買いかぶりすぎかもしれないけど、それだけじゃないんだろ」
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