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「社長なら富士山さんのとこに呼ばれたきり、まだ戻ってきてません。てか女将さん、一体どこに行ってたんですか」
 珍しく怒った宮間を筆頭に、閉店後の吉野石材店は、ばたばたとして殺気だっていた。
 香佑は、自分が今までいた場所を、逆に宮間が知らないことに驚いた。
 つまり加納一人が、今夜、香佑の居場所を認知していたことになる。
「はい、申し訳ありません。ええ、うちの者が――それは間違いありませんが」
 慎は事務所で電話対応中で、宮間も自宅の電話から、色んな所に断りめいた連絡を入れているようだった。
 それが発注した石をキャンセルしている内容だと察した香佑は、驚いて眉を寄せていた。
 鬼塚寿美子経由で、富士山石材店からクレームが入ることは予想していたが、この電話は、それとは趣が違っているようだ。
「ほんと奥さん、一体何やってくれたんですか」
 磨りガラスの引き戸を開けると、台所に立っていた美桜が引きつった顔で振り返った。
 涼子と仲良くやっていたせいか、最近では香佑に笑顔を見せてくれるようになっていた美桜だったが、今は怒りで、眉までつり上がって見える。
「富士山社長はカンカンだし、石の会からも苦情の電話が入りましたよ。しかも、涼子さんの取ってきた仕事までダメになったんですよ? 本当に――冗談じゃないわ」
 ――え……?
 どういうこと、それ?
 香佑は、さすがに顔色をなくしていた。
「美桜、お前は余計なこと言うな」
 事務所の方から、慎の怒鳴り声がした。
「まだはっきり決まったわけじゃないだろうが」
「決まったも同然じゃない、あれだけはっきり断りの電話があったのに」
 独り言のように美桜はいい、きつい眼差しで香佑を睨んだ。
「涼子さんが取ってきてくれた仕事の依頼人は、今日奥さんが怒らせた鬼塚さんの、取引先だったんですよ」
「本当の話なの、それ」
「そんなことで嘘言ってどうなるんですか。せっかく匠己君、張り切って墓のデザイン考えてたのに――奥さんのせいで、何かもかも台無しじゃないですか!」
 ――それは……。
「いいから放っておけ。営業のド素人に、一人で行かせた俺が悪かったんだ」
 どこか投げやりな声がして、慎が台所に入ってきた。
「別に――この人が勝手にやったことでしょ」
 美桜が珍しく食い下がる。
「おかしいよ、慎さん。慎さんが悪いわけでもないのに、なんだっていちいちこの人のこと庇うのよ!」
「俺のどこが庇ってるよ」
 うんざりした風に答える、慎はさすがに疲れているようだった。
「もう、何も考えたくないだけだよ。信じられないことの連続で頭がおかしくなりそうだ。ノブ、もういいから、電話は留守電に切り替えとけ」
 香佑は何も言えなかった。木偶みたいに突っ立ったまま、動くことさえできなかった。
 目をそらすなという加納の言葉の意味は判る。でも現実には、この事態に、自分がどう対処していいかさえ判らない。
 香佑を家まで送ると、加納はすぐに車をUターンさせた。心のどこかで加納だけを頼りにしていた香佑は、それだけでも、もう心が折れそうになっている。
「匠己の奴、今夜は無事に帰って来られるかな」
 ダイニングテーブルについた慎が、独り言のように呟いた。
「まぁ、気の毒っちゃあ、師匠が一番気の毒っすけどね。仕事はなくなるわ、石の会には叱られるわ、富士山社長に呼び出されるわで」
「なんだかんだいって、矢面で叱られるのはあいつだからな」
 ――匠己……。
 所在なくそこに立ったまま、香佑は動揺で胸がいっぱいになっていた。
 どうしよう。まさか、こんなことにまでなるなんて。
 匠己がどれくらい落胆して、どれくらい不機嫌になっているか――想像するまでもなく判るほどだ。
「そこに立たれてても、あんたにやってもらうことは、何もないから」
 前を向いたままで、素っ気なく慎が言った。
「さっさと風呂にでも入って、寝ろよ。疲れてるんだろ」
 宮間も美桜も、あえて香佑から目をそむけているようだ。
 想像以上の疎外感に、香佑は言葉も出てこなかった。
 これが自分のしでかしたことに対する結末とはいえ、慎を始めとする全員の冷たさに、再び心が――逃げ出したい気持ちでいっぱいになっている。
「おう、ただいま」
 その時、いきなり台所の窓が開いて、匠己の声がした。
 
 
「――匠己」
「匠己君っ」
「師匠、大丈夫でしたか」
 三人に口々に呼ばれた匠己が、どこか呆気に取られたように瞬きをした。
「え、まぁ、とりあえず無事には帰れたけど……」
 窓から台所の中に入ってきた匠己は、初めて隅で所在なく立つ香佑に気がついたようだった。
「彼女も、今、帰ってきたんだ」
 視線を逸らしたまま、他人事のように慎が言った。
「だから、あんま事情は解ってないと思うけど」
 ぎこちなく視線を下げた香佑を見て、立ったままの匠己が大きな溜息を吐くのが判った。
「お前なぁ……」
 呆れたようにそう言った匠己が、大股で香佑の傍に歩み寄ってくる。
 香佑は、無意識に胸のあたりを手で押さえた。匠己に顔を見られたくなくて、視線をさらに下に下げる。
 分かっている、どうせ匠己も怒っているのだ。
 何考えてるんだとか、こんな馬鹿なことをして、とか、言われる言葉は想像するまでもないほどだ。
 が――
「……っ」
 いきなり、頭に鈍い衝撃が走り、香佑は無様にうろたえて顔をあげた。
 ――え?
 何が起きたのかはすぐに判った。うつむいたままの頭を、大きな手ではたかれたのだ。
 うろたえる香佑を、まじまじと見つめてから、呆れた口調で匠己は言った。
「お前……、マジで営業、ド下手だな」
 はい?
「慎さんに教えてもらって、今度からちゃんとしろよ」
「……え……」
 それだけ言うと、匠己はあっさりと背を向けた。
「いやぁ、疲れたよ。富士山のおっちゃん、無駄に話が長くてさ。それで最終的には自分の武勇伝ばっかなんだから」
 そして再び、突っ立ったままの香佑を振り返った。
「悪いけど、お茶淹れて。言い訳しすぎて喉カラカラ。それからなんか簡単に食えるもん作ってくれ」
「匠己君、夕食なら私が用意してるから」
 美桜がすかさず食器棚の方に駆けていく。
「いいよ」
 匠己はそれを、片手を上げて遮った。
「こいつに作ってもらうから。それから、片付けがすんだらもう帰れよ。電話あるなら、後は俺とこいつで対応するし」
 そして匠己は、三人に向かって頭を下げた。
「今日は色々すまなかったな。――ありがとう」
 どこか呆気に取られたような沈黙の後、気の抜けたような声で口を開いたのは慎だった。
「……全く当てにならない二人に対応させてどうするよ」
 そして慎は、ため息をつきながら立ち上がった。
「いいよ、事務所には俺が少しの間詰めてるから。ノブ、お前は美桜送ってもう帰れ。後は俺らで大丈夫だ」
「……匠己君、涼子さんが取ってきてくれた仕事がダメになったんだよ」
 どうしてもそこが引っかかるのか、未練のように美桜が訴えた。
「なのに、どうして平然としてるの? せっかく涼子さんが、匠己君のために仕事探してきてくれたのに」
「ああ、まぁ、誰が取ったにしろ、そういうこともあるんじゃね?」
 匠己は、首をかしげながら耳の方を掻いた。
「向こうが頼みたくねーっつーなら、仕方ねぇじゃん。墓作りは施主さんとの信頼関係が全てなんだ。自分の気にいったとこに頼むんならそれでいいさ」
 それがあまりにも軽い口調だったので、香佑だけでなく、多分全員が唖然としていた。
 特に憤りにかられていた美桜などは、開いた口が塞がらないといった表情である。
「……金のこと、全く気にしてないだろ、お前」
 ため息まじりに慎が呟く。
「盆以来、かなりまずい状況なんだぞ。うちみたいな零細じゃ、金貸してくれる銀行も限られてるし」
「やー、なんとかなるって」
 うるさげに匠己は遮った。
「いざとなったら仏像の仕事でも何でもいれるよ。そんなに金のことで神経質になんなくても、大丈夫だよ」
「お前なぁ。そういう感覚じゃ、いつかマジでこの店潰れるぞ」
「大丈夫だろ。慎さんがいるし」
 それには、慎がわずかに苦笑するのが判った。
「バーカ、俺だって万能じゃないんだ」
「なるようになるよ」
 肘をつき、涼しげな口調で匠己は言った。
「流れが悪い時は、それに逆らったって仕方ないさ。いい仕事さえしとけば、いつかいい流れが絶対に来る。慎さんには、その時頑張ってもらわなきゃな」
「馬鹿店主。いくら流れが悪くても、俺の立場上ただ静観しとくってわけにはいかねぇんだよ」
 あれだけギスギスしていた二人の間の空気が、いつの間にか元に戻っている。
 香佑は少し驚いていたし、宮間もそれは同じだったのか、陰っていた表情がみるみる明るくなった。
「よく分かんねぇけど、雨降って地固まる、みたいな? もう大丈夫みたいだから、俺らは帰ろうぜ、美桜ちゃん」
「うん……」
 美桜だけが、まだ何か言いたげだったが、諦めたようにエプロンを外すと、台所を出ていった。
 香佑はようやく――我に返ったように、エプロンをつけてシンクの前に立った。
「慎さん、明日、こいつ連れて鬼塚さんとこに謝りに行ってくるよ」
「ああ、俺もそれがいいと思ってた。俺は永井ゴムさんとこに行ってくる。事情を説明したら、考え直してもらえるかもしれないからな」
 二人の会話を背後で聞きながら、香佑は何度も潤みかけた目もとを拭った。
 大迷惑をかけたことは間違いないけど、私のしでかしたことは、つきつめて考えれは、営業で一回失敗した程度のものだった。
 それは――それは、こうして機会をもらえる限り、いくらでもやり直しがきくものだったのだ。
 それなのに、責められるのが怖くて逃げようとしていた自分って――
 馬鹿みたいだ。恥ずかしくて二人の顔が見られない。二十八にもなって、なんて子供だったんだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 

 

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Copyright2011- Rui Ishida all rights reserved.この物語はフィクションです。