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「なんなんですかね、これ」
「うーん……、ここまでいくと、相手のしつこさに、むしろ敬意を評したくなりますね」
 加納竜は、どこか呆れたようにそう言うと、軍手をはめた手をワンニャンカァの中に差し入れた。
「保冷剤ですね」
「はぁ」
 と、香佑は気の抜けた人みたいに頷いた。
 二人の頭上にある電線では、のどかに鳥がさえずっている。早朝の国道沿い。今日は朝から快晴で、日中は暑くなりそうだった。
「今日は燃やせないゴミの日だから、そのまま出せばいいのでは?」
「あ、いえ、保冷剤は燃やせるゴミなんですよ」
 香佑はポケットから、マイゴミの分類表を取り出した。
 インターネットで調べたり、地元の役場に問い合わせたりして作ったもので、大抵のブツなら、この表で押さえている。
「へぇ、燃やせるんですか」
 加納が驚いたように眉をあげる。
「そうなんです。燃やせるんです。この手の中身がゼリーっぽいやつは、うちの自治体じゃ燃やせるゴミでオッケーなんです」
 ちょっと得意げに、香佑は顎をそらしていた。
 ストッキングに始まり、ステテコ、そして布団綿。
 あまりに分別に迷うものばかり捨ててあるので、あらかじめ迷いやすいゴミについて、自分なりに調べたのだ。
 とはいえ、そのちょっとしたトリビア――知識自慢の気持ちも一瞬だった。
 ――てか、一体全体、なんなのよ、これ。
 毎回毎回パラエティに富んだワンニャンカァの中身である。つい先日は枕と毛布がぎゅうぎゅうに詰めてあった。今朝は――どこから湧いたのかわからないくらいの大量の保冷剤が投げ込まれている。
 持参したゴミ袋を広げながら、溜息をついて香佑は言った。
「私、試されてるような気がします」
 忍耐という名の神様に。
「はは、そうかもしれないですね」
 加納は、毎度のことだが、淡々として楽しそうだ。
 ゴミの分別が終わったら、二人して墓掃除をするのが今は日課になっているが、その時も加納は楽しそうだ。
 どんな腹立たしいゴミが撒き散らされていたとしても、淡々とそれを拾い、綺麗に墓石を清め、砂地を掃き清めている。
 ――ほんと、不思議な人だなぁ、竜さんって。
 香佑は、あれから加納について仕事に回ることが多くなった。だからこそ判るようになったことだが、この人には多分、面倒だとか腹が立つとかの感覚がないのだ。
 いや、あるのかもしれないが、そういうことも全部ひっくるめて楽しんでいる。
 色んな意味で、自分もそうなりたい――と思うものの、まだまだの域には程遠いなぁと思う香佑なのだった。
「で?」
 保冷剤を掴み出しながら、低い、しびれるような美声で、加納が言った。
「社長とは、まだ仲直りをされておられないので?」
 香佑は一瞬眉をあげ、そしてきっぱりと答えていた。
「してません」
 てか、今度こそする気もないし。
 あんな奴、もう知らない。存在自体が、もう削除だ。
「原因は聞いていませんが……」
「聞かないで下さい。きっかけはくだらないことですから」
 勢いこんで言った香佑は、そこでふと言葉を切らせていた。
 というより、今の私たちの状況を、竜さんはどこまで知ってるのかしら。
 形だけの結婚という前提を、少なくとも店の人たちは知らないはずだ。
 まぁ、一緒の部屋で寝たことがないくらいは、薄々勘づいているのかもしれないけど。
「まぁ、今は、私のしていることが気に入らないだけだと思いますけど」
「なるほど」
 加納が優しい口調で、どうとでもとれる言い方をしたので、ちょっと気になった香佑は加納の方を振り返っている。
「竜さんも、私が間違ってると思いますか」
「はは、私は判断を下す立場じゃありませんよ」
 まぁ、それはそうなんですけど。
 なんとなく竜さんは、私の味方というより私の形だけの配偶者の味方のような気がしたものですから。
「いいんじゃないですか」
 しかし、箒を動かしながらあっさりと加納は言った。
「私は奥さんの思うようにされたらいいと思います。ただそれで社長と仲違いというのは、――少し本末転倒な気がしますがね」
「そ、それとこれとは別なんですよ。全くの別問題」
 そうよ。
 根本の原因は、あの男が私の気持ちに全く無関心なことなんだから。
「……あの人が、あそこまで鈍いというか、無神経だとは思わなかった」
 忘れていた憤慨がこみ上げてきて、香佑は独り言のように言っていた。
「今回のことでよーく判りました。あの人は私をまるで信用してないんです。私の立場とか気持ちとか――ああ、もう、思い出しただけで腹が立つ!」
「そうですか」
 加納の口調は、それでもどこか楽しそうだった。
 香佑は、少しむっとして言っている。
「いや、竜さん、笑い事じゃないですよ」
「私は笑っていませんが?」
「言ってる端から笑ってるじゃないですか!」
「それは失礼」
 くすくすと笑いながら、加納は眩しそうな目を朝日に向けた。
「ま、犬も食わないといいますからね。私も口は出しません。そのあたりはどうぞ、存分におやりになってください」
 
 
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「慎さああん、お帰りなさいっ」
 飛び出してきた宮間信由の顔を見た途端、慎は嫌な予感を覚えていた。
 このすがりつく犬みたいに甘えた目。
 これは、吉野石材店に、残存メンバーでは処理不可能な難題が起きていることを意味している。
「……ちなみに聞くけど、竜さんは」
 溜息をこらえながら慎は訊いた。きょとんと、宮間は瞬きをする。
「墓掃除に出てますけど」
「美桜は?」
「いますよ。慎さん帰ってくるから、今夜は盛大に宴会やるって――いや、そんなことじゃなくてですね」
「いい、言うな」
 慎は片手を上げて遮った。
 となると、残るはあの同級生夫婦しかいないじゃないか。
「まさかと思うけど、ミヤコさんが帰ってきた?」
「ミヤコさんなら今月はずっと九州で温泉ですよ。それ、慎さんから聞いた話じゃないっすか。そんなことよりですね」
「あら、慎さんじゃない」
 眉根に深い溝を刻んだまま、慎は声の方に振り返った。
「なぁんだ。本当に帰ってきたんだ。三年ぶりの実家だって聞いたから、もっとゆっくりしてくると思ったのに」
 ――涼子………。
 慎はしばし絶句して、そして隣の宮間を振り返った。知らない知らない、とでもう言うように、宮間はぶんぶんと首を横に振る。
「……知らなかったよ。来てたんだ」
「来てるっていうか、住んでるけど?」
「住んでる?!」
 平然と腰に手を当てる涼子を、慎はしばし口を開けたまま、唖然と見つめていた。
 普段着っぽいブランド物のシャツに、ぴったりと脚にフィットした細身のジーンズ。脚の細さと長さをこれでもかとばかりに強調している。
 シルバー色のシンプルなミュールは、菜々海と買い物に行った時に物色した靴によく似ていて、本物なら数万をくだらない代物だった。
 まぁ、一言で言えば、さりげなさを装いながらも相当気合が入っている――というスタイル。
「やだ、なに驚いてるの。慎さん」
 涼子は面白そうにくすくすと笑った。
「もしかして、私の仕事のこと心配してくれてる? こっちで、少し長期の取材をすることになってね。今はこの家から仕事に通わせてもらってるのよ」
「聞いてねぇよ、お前の仕事の話なんて」
 吐き捨てた慎は、頭痛をこらえて首を横に振った。
 冗談だろ、涼子がこの家に居ついてるだと?――あのバカ、あれほど言ったのに、また涼子に丸め込まれたのかよ!
 それじゃ、本妻の彼女はどこ行ったんだ。さっきから姿が見えないが――
「慎さん、お帰りなさい」
 その時、玄関からエプロン姿の美桜が飛び出してきた。
 その顔が本当に嬉しそうに輝いていたから、慎も少しだけ、刺々した気持ちが和らいでいる。
 しかし美桜は、すぐにその視線を慎と対峙する涼子に向けた。
「これでようやく、全員揃ったって感じですね」
「そうね。吉野石材店、全員集合ね」
 おい、てめぇは部外者だろうが。片桐涼子!
 と、慎一人が、胸の底で拳を持ち上げているが、その内面を見透かしているのか、涼子は挑発的に微笑する。しかも角度的に、慎にしか見えないいやらしい位置で。
 慎は諦めて嘆息すると、買ってきた土産の袋を美桜に手渡した。
「これ、五人分しかないんだけど」
 軽い嫌味を隣にいる女に放ったつもりだったが、涼子の切り返しは早かった。
「私のことなら気にしないで。だいたい慎さんが私にお土産なんて、今まで一度も買ってきてくれたことなかったしね」
「悪いな。無駄なことに、金を使わない主義なんで」
「もうっ、慎さんったら」
 そこに割り込んできたのは、憤慨した風の美桜だった。
「いつもそうだけど、涼子さんに冷たすぎ。これじゃ涼子さんが可哀想だよ」
 いや、……てか、おーい。
 一体どのあたりが可哀想だよ、この女の。
「涼子さん、気にしないで。慎さん、照れてるだけだから」
「判ってるわ。慎さんの性格なら、昔からよく知ってるもの」
 女二人の結託ぶりに、もう、言葉も出てこない慎だった。
 だめだ、こりゃ。
 片桐涼子――こいつの性格の悪さというかずる賢さだけは、学生時代から変わらない。
 昔から謎だったが、一体匠己は、この女のどこがよくて長い間つきあってたんだ?
 わかりにくい性格してるけど、根はいい奴だよ――とは当時の匠己の弁だったが、そのいい奴らしさを感じたことは、ただの一度もない慎である。
 多分、嫌われているし、もちろんこっちもそれ以上に嫌っている。
 案外、気が合うんじゃないか?――とは、昔匠己が言った言葉だが、もちろん、一度も合うと感じたことはないはずだった。お互いに。 
「じゃ、美桜ちゃん。料理の続き、しちゃおうか」
「はい!」
「あ、洗濯物は私が取りこんどくから、仏間のお掃除、お願いね」
「わかりました」
 慎は顔をそむけて溜息をついた。
 最悪の状況だな。これ。
 あの大ボケ女――たった二週間かそこらで、完全に主婦の座、乗っ取られてるじゃないか。
「どうなってんだよ」
「いや、どうもこうも、俺にもさっぱり」
 慎に睨まれ、宮間はあわあわと首を横に振った。
「夏休みの最中、師匠からいきなり電話があったんすよ。することないならうちに泊まりに来ないかって」
「匠己が?」
「のこのこ行ってみてびっくりですよ。涼子さんがすっかり住みついちゃってるから。いやぁ、どんな気持ちなんすかね、元彼と奥さんの同居って、ちょっとあり得なくないっすか?」
 あり得ないどころか……
 匠己よ……。藁にもすがりたかったんだろうが、そこでノブ呼んで、一体なんの救いになるんだよ。
「で、お前は?」
「そんな修羅場に、俺がいられるわけないじゃないっすか! 奥さんも涼子さんもにこにこしてましたけど、恐ろしいオーラがもうびんびん……帰りましたよ、逃げるように。後のことはわかんないっすけど、夏休み明けに出てみたら、もう店は涼子さんが仕切ってて……」
 慎は、くらくらとした眩暈を感じた。
 おーい、どうなってんだよ。バカ匠己。
 お前、本当に、あの子と最後まで他人のままでいる気なのか。
「まぁ、それでも、奥さんが倒れたり実家に戻ったりして、一度は涼子さん、出ていったんですよ」
「……倒れた?」
「あ、そんなに深刻なことじゃないっすよ。一晩寝たらけろっとしてましたから。まぁ、そんなこんなで呑気な師匠も、さすがにまずいと思ったんでしょうね。それで涼子さん、一度はうち出ていったんですけど、それがまた」
「あれ、慎さん、帰ってたの?」
 何故か慎は、自分がひどく無様に動揺したのを感じた。
 なんだ、今の――いきなり背中をどつかれたみたいな衝撃は。
 たかだか匠己の馬鹿嫁に、後ろからいきなり声かけられただけじゃないか。
 
 
 
 
 
 
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Copyright2011- Rui Ishida all rights reserved.この物語はフィクションです。