「ちょっ、嶋木――なんだか誤解が……」
 おろおろと立ち上がった藤木が慌てた声で囁いた。
「お、俺お袋呼んでくるから、とりあえずなんとか話つないどいてくれ」
 全く頼りにならない藤木に逃げられ、香佑は一人きりで、固まったように立ちすくんでいた。
 どうしよう――どうしたらいいんだろう、これ。
「まぁ、吉野石材店さんのしそうなことよ」
 落ちたパンフレットを拾い上げ、富士山ます江が、勝ち誇ったような冷笑を浮かべた。
「もともと卑怯なやり方で、客を集めるような店ですからね。鬼塚の奥さん、うちの顧客を取ることくらい、この人たちにはなんでもないことなのよ」
「びっくりしたわ」
 鬼塚寿美子は、あきれ果てたように肩をすくめた。
「なんの話かと思ったら、いきなり墓の値段の話ですもの。どういう神経してるの、この子」
「あのねぇ、田舎には田舎のルールがあるのよ、吉野さん」
「だいたい、傷心の鬼塚さんを捕まえて、墓の営業をするってどういうこと?」
「そんなことされたら、私たち石の会全体の信用問題なのよ!」
 あの――私………。
 そういうつもりじゃなくて、あの……。
「鬼塚さんにあやまんなさいよ、さっさと!」
「す、すみませんっ」
 ます江に怒鳴りつけられ、香佑は弾かれたように頭を下げていた。
「あの、でも私」
「まだ言い訳する気なの、この子」
「このあたりじゃね。他所の店の客を取るのは立派なルール違反なの。あんた、そんなことも知らずにのこのこ営業に出てきたわけ」
「ほんっと、どういう教育してるのかしら、吉野さんところは」
 だって、それは――。
 混乱した香佑が、顔を上げかけたその時だった。
「すみません、うちの者が大変失礼いたしました!」
 いきなり、悪夢の上書きみたいな声がした。
 嘘でしょ。香佑は半ば固まったまま、青ざめている。なんでこんな所にスーツ姿でいるんだろう。今、最も苦手な男、高木慎が目の前に立っている。
「ちょっとちょっと、どうなってるのよ、高木君」
「藤木さんのツテつかって、この子、うちの客盗ろうとしたのよ? もう、本当に信じられないったら」
「申し訳ありません」
 慎の顔も、見間違いでなければ半ばひきつって見えた。
「まだ――なにしろ、新人なので、営業まで教えてはいないんです。本当に失礼いたしました」
「ま、吉野さんのやり方はよく判ったわよ」
 悠然と立ちあがりながら、鬼塚寿美子が言った。
「無教育の新人を、よりによって私のところに送りつけてくるなんてね。それにしても本当に失礼な話よ。私に、あの馬鹿亭主の墓を作れって? はっ、――冗談じゃないわよ」
「なにやってんだよ、こんな所で」
 いきなり、頭を上から掴まれ、香佑は強引に頭を下げさせられていた。
「すみません。こいつには、後からよく言って聞かせますんで」
 ――慎さん……。
「こうしていると、まるで高木君の奥さんみたいね」
 ふっと、馬鹿にしたような口調で、ます江が言った。
 その瞬間、慎の手が強張るのが香佑には判った。
「吉野さんところは、若い人ばかりだから、こんな綺麗な奥さんが嫁いできたら、人間関係がややこしくて大変でしょう。せいぜい、おかしなことにならないように」
ぞろぞろと人の気配が去っていく。
 香佑は顔を上げたが、隣の高木慎の顔は見られなかった。
 慎もまた、一度も香佑を見ようとしない。
「いい加減にしろよ、お前」
 低い、怒りを噛み殺したような声がした。
「誰がこんなことしろって頼んだよ。するなら、どうして俺に一言言わなかった」
 香佑は唇を引き結んだまま、黙っていた。
 どうして言わなかったか? それはあんたが話しかけるなオーラ全開だったからじゃない。
 慎は無言で散らばったパンフレットを拾い上げ、こめかみをわずかに震わせた。
「あの人たちはな、先代の頃からうちの店に恨みがあって、うちが何かしらトラブルを引き起こすのを、手ぐすね引いて待ってんだよ。お前、今、絶好の機会を与えてやったよな」
「………」
「馬鹿じゃねぇのか? どうせ涼子に張り合おうとしたんだろうが、――ふざけんな!」
 もうやだ。
 匠己にもそうだけど、この人にも、もう私ついていけない。
 どうして私に、そんなにきついの。
 私が一体――
「私があんたに……何したっていうのよ」
「は?」
「もういい」
 香佑は開き直って、慎を睨みつけていた。
「もーう、いい、本当にいい。もうあんたの店には、金輪際戻らないから」
 慎が唖然としたように眉を上げる。
「は? 何でそこで、お前が逆ギレて」
「あんたの話も聞きたくないし、もう二度と、そのいけすかない顔もみたくない」
 決め付けるように、香佑は言った。
「じゃあ二度と戻ってくんなよ」
 数秒唖然とした後で、冷めた声で慎も言った。
「言っとくけど、俺はお前の亭主でもなければ店主でもないんだからな。お前がどうなろうが知ったことか。――どこにでも行けばいいさ。勝手にしろ!」
「しますとも!」
 そこへ藤木が、母親の手を引くようにしてわたわたと戻ってくる。
「嶋木、とにかく一緒に、鬼塚さんに謝りに行こう」
 どこまでも頼りにならないタイミングの悪い男だが、今だけは、その存在がありがたい。
 香佑は慎をひと睨みすると、藤木の方に向かって歩き出した。
 
 
                 22
 
 
「あら、慎さん」
「ああ?」
 いきなり聞こえた不愉快な声に、慎は不機嫌も顕に振り返った。
 駐車場に停ったBMW。どこかで見た車だと思ったら、案の定運転席から顔をのぞかせているのは涼子である。ひらひらっと手を振る涼子は、どこか楽しそうな目をしていた。
「もしかして、藤木医院のお祝いに?」
「ああ、もう帰るとこだけどよ」
「あら、残念、行き違いね。私は一度抜けて、今からもう一度戻る所。――」
 楽しそうに言いかけた涼子が、そこでふと言葉を切った。
「一人?」
「あ? 見りゃ判るだろ」
「……へー」
 なんだよ。別に不思議そうな顔されることでもないだろ。
「じゃあな」
 慎は自分の車のキーをポケットから出すと、殆ど怒り任せに、運転席の扉を開けた。
 てか、涼子はなんで、そのおかしなパーティに出ることになってんだ?
 ふとそう思った時には、もう車は結構なスピードで走り出していた。
 
 
「あらま、せっかくお膳立てしたのに、どうなってるのかしら」
 涼子は首をかしげながら、猛スピードで走り去っていった慎の車を見送った。
 最後の最後で、コマが上手く回らなかったか。
 せっかく慎さんには、王子様ポジションを用意してあげたのに。
 ま、助けにいったお姫様に逆ギレでもされちゃったかな。二人とも結構な瞬間湯沸器だから。
「…………」
 じゃ、嶋木さんは、今どうしちゃってるわけ。
 少し考えた涼子は、携帯電話を耳にあてた。
「あ、藤木君? 私だけど、今嶋木さんどうしてるかと思って」
 早口でまくしたてる男の声を聞きながら、あー、と涼子は思っていた。
 ばっかじゃないの。まさか自分から行きますか。ホテルの時もそうだったけど、本当に脇が甘いったら。
「あー、あのさ、藤木君」
 やや、疲れたものを感じながら、涼子は言った。
「前にも話したけど、まだタイミングとしては早すぎだから。一回やって、とことん嫌われるんなら好きにしていいけど、そうじゃなきゃ、まだ機を待ったほうが賢明だから」
 ますます早口でまくしたてられる。
 そうね、そうでした、忘れてました。あんたは世界で一番、自分が嶋木さんを幸福にできると信じてるんだったっけ。
 まるで喜劇アニメ、シュレックの中のチャーミング王子みたいに。
「じゃ、好きにしたら」
 涼子は呆れたまま、電話を切った。
 どこまで育ちがいいのか、本当に自己中心的な楽天主義者だこと。
 ああいう男は一度痛い目にあえばいいのよ。ついでに後先考えない嶋木さんもご一緒に。
「…………」
 ま、これが私の希望通りの結末よね。
 涼子はサングラスをかけ直すと、車のアクセルを踏み込んだ。


 
 
 
 
 

 
 
 
 
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Copyright2011- Rui Ishida all rights reserved.この物語はフィクションです。