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「紹介するよ。俺の大学の同期で二階堂徹(にかいどうとおる)。今月任してきたばかりの、上宇佐田警察署長だ」
 へー、と思った香佑は、一拍おいてから眉をあげた。
 なにげに聞き流してしまったけど――今、警察署長って言った?
 屋内の応接室。パーティ会場からは廊下ひとつ隔てた場所にある。
いかにも贅をつくしたその部屋では、今、香佑と涼子、そして藤木ともう一人――いかにも仕立てのいいスーツをまとったスマートな男性が顔を合わせていた。
「吉野さん……。ああ、下宇佐にある吉野石材店の奥様ですか」
 その警察署長――二階堂にいきなりそう言われ、香佑は少し驚いて顔をあげた。
 すごい、さすがは警察の人。もうそんな辺境の地までリサーチ済なんだ。
「噂は藤木から常々聞いています。成り行きとはいえ、大変なところに嫁がれましたね」
「は、はぁ」
 それ、一体どんな説明をしてくれてるんだろう。
「僕はね。いわゆるキャリアというやつなんですよ。吉野さん」
 二階堂はそう言って、鷹揚にソファに腰を下ろすと、長い足をちょっとわざとらしい所作で組んだ。
 色白の肌に綺麗に撫で付けた髪。顎は細く、人形みたいに小さな顔をしている。――が、同時に目も小さな男は、にこやかに笑んでいても、どこか酷薄そうな印象を与えた。
「顔を見れば判りますよ。僕の年で署長なんて、と思われたのでしょう? 警察は特殊な世界でね。年で職位が決まるわけではないんですよ」
「はぁ」
 ああ、そうか。この人が鬼塚さんたちが噂していたイケメン署長さんだ。
「知っていますか? 上宇佐田署は、全国の警察署の中で、一番犯罪検挙数が低いんです。いいかえれば、日本で一番平和な町とでもいうのかな」
 その口調には少し自嘲気味の響きがあった。
 不本意な異動だったんだな、とすぐに判る口調である。
「官僚の世界には派閥というものがあって、僕は今回、その流れをちょっと読み違えただけなんですよ。僕と一緒に島流しになったベテラン刑事には気の毒でしたが、僕はまぁ―― 一年で東京に戻れるでしょう」
 いや、島流しって……
 普通、住んでる住民の前で口にすること?
 藤木君もたいがい高慢な人だけど、この人もその意味じゃ相当だぞ。
 にこやかに笑みながら、如才なく二階堂という男は続けた。
「それにしても、東大時代から一番仲のよかった藤木が、ここの出身で本当によかった。しかもなんの偶然か、まさかこの町の病院の院長として戻ってきていたなんてね」
「副院長だ、二階堂」
 そこを訂正する藤木の表情が、いかにも面白くなげな笑顔だったから、香佑は、この二人の仲はさほどいいわけではないのだと理解した。
「ま、そんな感じで今は、藤木にこの町の名士を紹介してもらっている最中なんです。仕事上顔を知っておいて損はない相手と――友人としてつきあっていける相手。君たちとは年も近いし、いい友だちになれそうですね」
「まぁ、それは光栄だわ」
 嬉しそうな声をあげたのは、それまで黙って微笑んでいた涼子だった。
「私も彼女も、最近になってこの町で暮らしはじめたんです。そうだ、藤木君。私たちで何か会を結成しない? Uターン就職組で情報交換して励まし合えるみたいな……」
「いいですね。でも、ある程度職種は限定していただかないと」
 微笑んで二階堂は答えた。
「僕の立場上、どんな相手でもウエルカムというわけにはいかないですからね」
 東京の宇佐田会とやらの成り立ちを、香佑は初めて垣間見た気分だった。どうでもいいけど、私はちょっとパスしたいぞ、それ。
 涼子と二階堂はすっかり意気投合したようで、それからしばらくは二人の会話だけが盛り上がったと言っても過言ではなかった。
 藤木は何故か満足そうにソファでくつろいでコーヒーを飲み、香佑はその隣で、ただ所在なく座っていた。
 素敵な人だけど、ちょっと女性には軽薄そうだ。藤木とそのあたり、少しばかり似た匂いを感じる。指輪はしていない――では独身? こんなことを考える自分が少しばかり情けないけど、このまま涼子さんとくっついちゃえばいいのに。
 それにしても、いくらキャリアだからってこんな若い男が警察署長とか、日本の治安は本当に大丈夫なのだろうか。
「警察は階級社会ですからね。学歴と入った時の試験で出世のすべてが決まってしまう。僕が若くして署長になったのも、キャリア制度の悪しき慣習、なのかな」
 言っている意味はよくわからないが、なんだか自信満々のタイプのようだし。
「こんな平和な田舎町でのんびり署長ができるなんて、まるで人生の夏休みのようだ。じゃあ、そろそろ僕は失礼します。どうやら迎えがきたようなので」
 立ち上がり、颯爽と背を向けた二階堂の肩越しに、えらく体格のいい男が見えた。
 うわ、まるでスーツを着たゴリラ……失礼、とにかくレスラーみたいな感じの人だ。顔は老けているけど、いかにも強面の警察官という感じ……。
 ちょっとトミー・リー・ジョーンズに感じが似てるな。
 そのトミーが二階堂の耳元で何かを囁き、二人は言葉を交わし合いながら広間を出ていった。
「ほんと、現金なものね。ちょっと前まで散々嫌ってた相手なのに」
 気障な警察官僚が去ると、早速涼子がくすくす笑いながら口を開いた。
 その女子力の高さに、改めて感服している香佑である。たった十数分の会合で、どうやら二階堂はすっかり涼子に魅了されてしまったらしい。
「それはお互いさ。あいつだって、この町で人脈を作るために俺に近づいてきたようなものなんだ。いかにも官僚のやりそうなことだよ」
 藤木は冷めた目で肩をすくめた。
「とはいえ、なんの因果か、こっちに赴任にしてくると決まった以上は仲良くしておいて損になる相手じゃない。警察を味方につけると便利だぞ、何かと」
 少し黙った涼子が、何故か香佑の方をちらっと見て、笑った。
「そうね、確かに便利だわね」
 なんだろう、その意味深な微笑みは。
「ああ、もうこんな時間」
 その涼子が時計を見ながら立ち上がった。
「そろそろ鬼塚さんが来られるんじゃない? 私はちょっと席を外すけど、藤木君は紹介者なんだから香佑についていてあげてね。じゃ」
 え――と思ったのは、藤木も同じようだった。
「おい待てよ、涼子、それじゃ話が――」
 そこに、出ていった涼子と入れ違うように、お手伝いらしき女性が入ってくる。
「ぼっちゃん、鬼塚さんがおいでになられましたので、別室にお通ししていますが」
 困惑気味に立ち尽くす藤木を、香佑はさらに困惑して見上げた。
 何? のっけから躓いてる感があるのはどういうこと?
「あの……話が違うって?」
「いや、大丈夫。行こう嶋木、お待たせしちゃ失礼だ」
「う、うん」
 なんだか不安が募るが、ここまで来た以上、もう後には引けない。
 成功するにしろ、しないにしろ、いい印象だけは残すように頑張らないと――
 
 
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「もう結構よ」
 いきなり灰皿が、自分の方に向けて滑ってきた。
 香佑はびっくりして手をあげた。途端に手にしていた書類がぱらぱらと床に落ちる。
「やっぱり、時間の無駄だったわね」
 まるで独り言でも呟くように、それまでずっと煙草を吸い続けていた女はそう言った。
 鬼塚寿美子――宇佐地区婦人会の会長にして、上宇佐田一の資産家である。
 黙っていても漂う迫力。ボスとしての揺るぎないオーラ。間違いなく鬼塚寿美子は、上宇佐田、下宇佐田に住む全ての女性たちの首領――だった。
「あの……、私の説明が、わかりにくかったでしょうか」
 それまで、懸命にオリジナル墓石の説明をしていた香佑は、困惑して視線を泳がせた。
 なんだろう、何か、鬼塚さんを怒らせるようなことでも言っただろうか。
 あまり余計な話をして地雷を踏むのも怖いから、当たり障りのない説明をしていただけなんだけど。
 なのにいきなり、灰皿がテーブルを滑って香佑の手にぶつかってきた。そうしたのは、間違いなく、テーブルを挟んだ対面に座る鬼塚寿美子だ。
 黙っていても眉間に三本の縦ジワがあるほど、険の強い顔をした寿美子は、その目で冷淡に香佑を見下ろした。
 座っていても上背がある。香佑も女性にしては長身の方だが、寿美子はおそらく170センチ以上はあるに違いない。年を考えたら、相当の長身だ。
「ねぇ、あなた」
「は、はい」
「ずっと我慢して聞いてたけど、これって、私に墓売りつけようって話なの?」
「え、いえ……」
 その冷たいオーラと迫力に、香佑は、もう半ば蒼白になっていた。
 なんだろう、そもそもそういう前提で、私はここに呼ばれたとんだ思ってたんだけど。
「あの、私はただ、お話を聞きたいと言われたので」
「あなた、町内会じゃ大人しくしてるけど、案外図太いタマなのねぇ」
 その香佑の言い訳を遮るように、侮蔑をこめた口調で、寿美子は続けた。
「亭主が死んだばかりの寡婦に、平気な顔して墓売りつけに来るんだから」
 いや、だってそれは。
「しかもその亭主は、他の女の家で腹上死。その程度の噂くらいあんたも耳にしてるでしょ? その亭主の墓を、よりにもよって私に作れって?」
 パーティション一枚隔てたパーティ会場では、まだ悠介君の副院長就任を祝う会だとかが続けられている。寿美子の声は相当大きく、ちらほら、こちらを振り返っている人もいるようだ。
「ねぇ藤木さん」
「えっ」
 と、振られた藤木が、頼りない声をあげた。
 先ほどから藤木悠介は、一言も喋ることなく居心地悪げに香佑の隣に腰掛けている。
「私、確かに仏師としての――この人のダンナさん? 吉野のご主人には興味があるけど、お墓の話なんていつしろって言ったのかしら」
「え、いやー、その、僕はまぁ、そんな風に聞いたので」
 しどろもどろの藤木を見ながら、香佑は嘘でしょ――と思っていた。
 まさかと思うけど、その程度の前提すら、すり合わせができてなかったの?
「不愉快ね……実に不愉快」
 煙草を吸いながら、独り言でも言うように鬼塚は続けた。
「あなた、こないだ集会所で立ち聞きしてたんじゃなかったかしら。うちは合同墓にするんだって、富士山さんと話してたでしょ、私」
 香佑は、固まりながら頷いた。
 確かに、聞いた。
「うちはそもそも、富士山さんとこで親族一同お世話になってるってのに。……それが判った上での引き抜きってこと? それって石材店で作ってる会のルール違反じゃないのかしら。――富士山さん!」
 えっ。
 いきなり上がった鬼塚の大きな声に、広間にいた女たちが即座に反応を示した。
「どうしたの、鬼塚さん」
「なに? なんで吉野の奥さんがここにいるわけ」
 嘘でしょ――
 固まる香佑の前で、最悪の事態はまだ続いた。富士山ます江や他の石の会の夫人たちが、不信感も顕に鬼塚の傍に集まってくる。
 
 
 
 
 

 
 
 
 
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Copyright2011- Rui Ishida all rights reserved.この物語はフィクションです。