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「香佑、こっち」
 賑やかなパーティ会場の一角で、ようやく見つけた涼子の姿に、香佑はほっとして駆け寄っていた。
「ごめん、少し遅くなった」
「いいわよ、パーティの本番はまだ先なんだから」
 病院に隣接した藤木邸――言わずとしれた、香佑の同級生、藤木悠介の実家である。
 その広々とした邸宅の一階と、小さな公園並の広さを持つ庭を使って、今日は藤木家のホームパーティが開かれているようだった。
 いや、確か香佑はにそう聞いてきたのだが――
「藤木君が、ここの副院長に?」
 壁に掛かった垂れ幕の字を見ながら、香佑は少し驚いて涼子に聞いた。
「ていうより今日って、藤木君の就任祝いのパーティなの?」
 垂れ幕には、『藤木悠介くんの副院長就任を祝う会』と、でかでかと印字されている。
「二時からね。それまでは親しい身内だけを集めてのホームパーティ。でも、もう色んな人が集まってるみたいよ」
 会場を見回し、涼子は楽しそうに微笑んだ。
「藤木君、確か東京で勤務医をしてたんじゃ……」
「お父様に呼び戻されたのよ。この病院、今年の春に内科クリニックとしてリニューアルしたでしょ。 その時からお父様、藤木君に院長になって欲しかったみたいよ」
「そうなんだ……」
 平静を装って答えながら、香佑は内心げんなりするものを覚えていた。
 嘘でしょ……じゃああの藤木悠介が、これからは上宇佐田の住人になるってこと?
 どうせ東京に戻る人だとたかを括っていたけど、なんだか微妙に気が重いな。
「彼、名医なのよ。東京の病院でも、中々手放してもらえなかったんじゃないかしら。ひとまず副院長だけど、来年には院長に――あ、藤木君?」
 人の輪の中から抜けだしてきた長身の男を見て、香佑はさすがに緊張した。
 藤木悠介――幼馴染の同級生とはいえ、先月の同窓会では、ホテルの一室に連れ込まれそうになったのだ。いくら酔っ払っていたとはいえ、それだけは、今思い出しても許しがたい。
 今も、涼子が仲介してくれたからこんな場所まで来たものの、藤木の態度に少しでも下心めいたものが窺えたら、即座にこの場を出ていくつもりだった。しかし――
「嶋木、すまん!」
 イタリア製のスーツに身を包んだ男は、びっくりするほど深々と頭をさげた。
 銀縁眼鏡に、綺麗に撫で付けられた長めの髪。まぁ、確かに同窓会の夜は、少しばかり乱れていたのだろう。こうしてみると、まずまずの美青年だ。
「この間は、俺が本当に悪かった。酔っ払って――実はあまりよく覚えていないんだ。涼子に聞いて、やっと自分のしでかしたことが判った始末で」
 真っ赤になって謝る元同級生に、香佑はただ、はぁとだけ返した。
 そこまで酒癖が悪いとなると、余計にどうかと思うけど――まぁ、結局は未遂だったし、本当に反省しているみたいだし。
「二度としないでよ」
 それでも、そこは少し表情を厳しくして念を押した。
「今度やったら、即警察に通報するから。幼馴染だっていっても、容赦しないからね」
「判ってる、判ってるって。――しらふだったら絶対にそんな真似はしないよ。あの時は、本当に俺、どうかしていたんだ」
「香佑、藤木君の気持ちも少しは判ってあげてよ」
 笑いながら、そこで涼子が口を挟んだ。
「あの夜はね、藤木君のテンションが上りすぎてたのよ。この人、香佑のことがずーっと好きだったの。初恋よ、なんだかいじらしいじゃない」
 どのあたりが?
 とは思ったものの、今日はその藤木の世話になるのだから、これ以上はつっこめない。
「まぁ、あれだよ」
 面映そうに、藤木は続けた。
「今日はさ、あの夜のお詫びもかねて、鬼塚さんとの話し合いの場をセッティングさせてもらったんだ。鬼塚さんは――少し早い時間でお願いしているから、あと三十分もすれば会場に来られるよ。その前に、簡単に食事でもとらないか」
 香佑はパーティ会場をちらっと見た。げっ、結構知ってる顔がいるんですけど。
石の会会長の永谷園さんに、見合いの仲介をしてくれた父の上司――それから、富士山ます江の顔も見える。
「あ、あのさ、私――その、あまりあの中には出て行きたくないんだけど」
 特に富士山ます江は、絶対にまずい。
「じゃあ鬼塚さんが来るまで、別室で軽く食事でも取らないか。その後で紹介したい奴がいるんだ。大学の同窓で、今月上宇佐田に転勤してきたんだけど」
「うん、まぁ、いいけど」
 歯切れ悪く香佑は答えた。大学の友達なんてどうでもいいが、藤木と二人になるのだけは避けなければならない。正直、ホテルでの思い出が嫌すぎて、この男だけは信用できないという気持ちがある。
 ――まぁ、涼子さんが一緒なら大丈夫か。それに、藤木君の両親も揃っている実家だし……
 邸宅の隣が新装したばかりの藤木クリニックだ。病棟を抱えた病院には、今も入院患者や当番医たちがいるらしい。
 いくら藤木がバカでも、滅多な振る舞いには出られないだろう。
「本当に鬼塚さん、お墓の話を聞きたいって言われてるの?」
 促されながら、そこは、少し疑念をこめて香佑は聞いた。
 口にした後で、涼子が気を悪くしたのではないかと少しばかり後ろめたくなる。
「いや、婦人会では、もう墓なんておよびじゃない、みたいな剣幕だったから。それがいきなり、お墓の相談がしたいなんて――」
 なんか、普通に考えても不思議な気がする。
「人の心が読めてないわね。香佑」
 くすり、と涼子は笑った。
「これから営業の仕事もするなら、人の心の機微を掴むことも、少しは勉強したほうがいいわよ。私が思うに、鬼塚さんは誰にも本音が言えないだけなのよ」
 ――どういう意味?
 香佑が眉を寄せた時、傍らの藤木が口を挟んだ。
「まぁ、それと匠己への興味だな。俺が、ちょっと大袈裟に宣伝してやったからさ」
 そこを強調したかったのか、ひどく得意げな口調である。
「吉野石材店の社長は、東北あたりで仏師をしていて、結構その世界じゃ有名だって。そしたら鬼塚さん、かなり感心しちゃってさ。一度値段の話だけでも聞いてみたいって言い出したんだよ」
「まぁ、……その辺りは涼子さんからも聞いてるけど」
 香佑は軽く息を吐いた。
 これが富士山ます江とか新古原夫人だったら、さすがにのこのこ出向きはしなかったろう。あの人たちは、言い方は悪いがどこか単純なところがあって、その悪意も単純なゆえに、ダメなものはダメだと予測できるからだ。
 が、鬼塚寿美子だけは、その底にあるものがいまひとつ掴み切れない。
 嫌われているのは間違いないような気がするが、それもどういう理由からなのか――この人に関して言えば、単純に〈東京の女は信用できない〉みたいな、根拠の乏しい好き嫌いではないような気がするのだ。
 どう言えばいいのか、どこか人として掴み切れない部分がある鬼塚だからこそ、もしかて――という気持ちになったのかもしれない。
「本当は涼子、自分の手柄にしたかったんだ」
 不意に耳に口を近づけるようにして、藤木はいたずらっぽい口調で言った。
「でも俺が、それだけは嶋木に任せてやれって言ったんだ。俺さ、どうしても嶋木に自分の気持ちみたいなものを解って欲しくて」
「まぁ、その話はもういいから」
 謝意ならもう十分だし。この場をセッティングしてくれたことには、単純に感謝しなければならないのだろう。
 ここから先の問題は、鬼塚との話し合いが上手くいくかどうかなのだが――
「心配しなくても、鬼塚さんはうちの母とも親交が深いんだ。間違っても難しい話にはならないよ」
「そうよ、香佑。今回はダメでも、吉野石材店の名を売るいいチャンスになるかもしれないじゃない」
 まだためらう香佑の耳に、歩み寄ってきた涼子がそっと囁いた。
「それに、慎さんを見返すいいチャンスよ。彼、女には営業なんてできないと思ってるんだから」
 そうだった、高木慎。
 むっと、香佑の中に、忘れていた憤りが蘇る。
「わかった。とにかく話だけはしてみるから」
 そうよ。どうせダメ元よ。
 話の席には、涼子も藤木もいてくれるというし、仮に上手くいかなくても、そんなにひどいことにはらないだろう。
 自分の中の迷いを振り切るようにして、香佑は藤木について歩き始めた。
 
 
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「そうですか、予算は、こちらのいいようにして構わないんですか。いや、それは確かにありがたい話ですけど――はい、判りました」
 吉野石材店の事務所。受話器を置いた慎は首をかしげた。
 なんか、変だな、この話。
 納期を急がせる割には、具体的な指示は何もないし、金額も青天井って――涼子の持ってきた話でなきゃ、若干疑ってかかってもいいケースだ。
 まぁ、この不景気の折り、こんな大きな仕事は中々ない。しかも、今の吉野石材店には客を選ぶ余裕もない。どんな条件であれ、二つ返事で受けるしかないのだ。
「慎さん、竜さんどこ行ったか知らないっスか」
 背後から、少し慌てたような宮間の声がした。
「今、吉井のおじいちゃんから、墓石が倒れたから見て欲しいって電話がかかってるんスけど」
「竜さんなら、朝から出たきりだけど」
 慎はふと気づいて卓上の予定表を取り上げた。
 何の仕事も入ってない。まぁ、ここ最近の竜さんはやたら外に出てるから、またどっかで墓掃除でもしてるのかもしれないけど。
「電話は」
「なんか携帯切ってるみたいで。――困ったな。吉井のおじいちゃん、竜さんじゃなきゃ話にならないって言い張ってるから」
「場繋ぎでひとまず、てめぇが行けよ。留守電に入れとけば、竜さんのことだからすぐに飛んでってくれるだろ」
「いやぁ、できれば慎さんが……」
 わがままな上に威嚇的な吉井は、少しばかり困った顧客である。
 尻込みする宮間を、慎はじろっと睨みつけた。
「事務の俺に肉体労働しろってか? 悪いな、今から営業に出なきゃいけねぇんだ」
 慎はさっさと事務所を出た。
 あの女は――そういや、昼前にやたら着飾って出ていったっけ。
 どうせ町内会の集まりなんだろうが、あんなにお洒落してなんのつもりだ。靴も服も一張羅で、珍しく化粧もしていて……
 慎は、自分の頭の中によぎった懸念を、眉を寄せて追いやった。
 もう、あの女がどこで何をしようが、俺には一切関係ない。
 従業員でもなければ、石材店の女将でもない。単なる雇用者の配偶者だ。
 心配した挙句が反発され、挙句、馬鹿亭主に浮気の疑念を持たれるんだから――まったくもって、不条理な話だよ。
 留守を任せる美桜を探して外に出た慎は、店の駐車場あたりに、男が立っているのに気がついた。
 遠目から見ても、体格のいい男である。慎の方には背を向けて、裏手の寺院墓地の方を見ているようだ。
 客か?
 それにしてもでけぇな。格闘技でもやってそうだ。
 この暑いのにスーツを上から下まで着込んでるあたり、ちょっと堅気離れした匂いもするが……。
 慎が声をかける前に、気配に気づいたらしい男が振り返る。その顔を見て、少しばかり慎は驚いていた。
 結構老けてるな。体格は三十代なのに、顔は六十代くらいか。外国の俳優に感じが似ている。缶コーヒーのCMやってる……誰だっけ。目付きはやたら鋭いし、一体何やってる人だろう。
 慎と視線があった途端、男は不意に柔和な笑顔になった。
「ああ、すみません。ちょっと知人の墓を探していたものですから」
「そうですか、こちらの墓地に?」
 慎が、背後の祐福寺寺院墓地を振り返ると、男は苦く笑って首を横に振った。
「そう思ったのですが、勘違いでした。すみません」
「いえ……」
 折り目正しく頭を下げると、男は背を向けて歩き出した。
 坂の下には白いセダンが停まっている。レガシィだ。特段目を引く高級車でもないし、ナンバーもこの地方。
 ――悪いけど、竜さんの昔の知り合いかと思ったよ。どう見ても……いや、偏見だな。それも。
 腕時計に視線を落とした慎は、軽い舌打ちをした。
 二時始まりだから、そろそろ支度しないとな。
 藤木クリニックの副院長就任パーティとか……、そんなわけの判らない集まりに、なんでうちが呼ばれたのかは謎だけど。
 まぁ、上宇佐田の地元の名士がこぞって招待されてるようだし、営業としては絶対に外せない会合だ。しかも病院――悪くない。寺の次に墓に近いポジションじゃないか。
「じゃあ慎さん、俺ちょい出てきますんで」
 店の方から、宮間がばたばたと駆けてくる。
「美桜は?」
「中庭にいたんで声かけときました。じゃっ、遅れると吉井の爺さん、煩いんで」
「おう、しっかりやれよ」
 家に入った慎は、何故かひどくぼんやりした気持ちで上着を羽織り、ネクタイを締めた。
 なんか最近、気が入んないな。
 てか俺、一体何やってんだ?
 判っているのは、いつも空気みたいに目の前にあるものを、あえて無視してスルーし続けているということだ。
 相手がとことん傷つく言葉を、あえて拾い上げてはぶつけている。
 泣きそうな顔を見れば動揺するくせに、平気な顔をみたら、むかむかと腹が立って止まらなくなる。
 よく判らないけど、女相手にこんな殺伐とした感情を持ったのは初めてだ。
 本当によく判らない。俺って、こんなにひねくれた、性格の悪い奴だったっけ――

 
 
 
 

 
 
 
 
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Copyright2011- Rui Ishida all rights reserved.この物語はフィクションです。