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「チアダンスですか」
 祭り実行委員会の後、いつものように机の上の後片付けをしていた香佑は眉を寄せて顔をあげた。
「あの……それが何か?」
「昔、やってたんでしょ、吉野さん」
「そうそ。ここで去年までコーチやってた先生に、こないだ電話で聞いたのよ。当時は、一番優秀な生徒だったらしいじゃない」
 たちまち、若い――といっても香佑より年上のお母さんたちに取り囲まれ、香佑は照れて頭に手を当てていた。
「いやぁ、それほどでも……」
 ていっても、それ、十五年くらい前の話なんですけど。
 小学校六年までやっていたチアダンス。優秀というか、単にのっぽだったから常にセンターで、一番目立っていただけというか。
「で、それが……」
 十五年も前の話を引っ張りだして、いったいなんの相談なわけ?
「あのね、つまり私たちで、ステージに立たないって話なわけ」
 は?
「私はジャズダンス、三倉の奥さんはフラダンス、なんかやってることはバラバラなんだけど、とりあえずこのメンバー、全員がダンス経験者だから」
「私はヨガだけど、似たようなものよね」
 いや、ヨガは全く違う――ていうか、え……?
 話の流れを悟った香佑は、やや血の気が引くような思いで後ずさった。
 香佑を取り巻いているのは、三十代くらいの奥様方六名だ。
 なんとなく察するに、全員が外様――つまり、香佑と同じく別の町から嫁いできた女たちである。
「でましょうよ、ステージ!」
「ダンスでエントリーするのよ。この際吉野さんが中心で、チアダンスでもなんでもいいから」
 は、はい?
「吉野さん美人だし、脚も長いし、注目されること間違いなしよ」
「下宇佐田、都会から嫁いできたお嫁さんチームで、優勝をかっさらってやろうじゃないの!」
 怪気炎をあげる女たち――おそらく今まで、町内会では散々な目にあってきたのだろう。それにしても。
「あの、私、そういうのは無理……」
 十五年前に適当にやっただけの、しかも正直、当時から恥ずかしくて仕方なかったダンスを、なんだって今更三十近くになった私が?
「ね、お願い。吉野さん、私たちのキャプテンになって」
 しかもキャプテン??
 仰天した香佑は、湯のみを落としそうになっていた。――冗談じゃない。
「いや、でも私なんて一番の若輩ですし」
「何言ってるのよ、吉野さん。あなた、このあたりじゃちょっとした有名人なのよ」
「吉野さんなら大丈夫よ。すでに実行委員会でも場を仕切ってるじゃないの!」
「ぜ、全然仕切ってないじゃないですかっ」
 またまたおかしな誤解が一人歩きしてるよ。
「だって、ねぇ」
「あの新古原さんや、水元さんが、吉野さんを頼り切ってるじゃない」
「動作もきびきびして、仕事も早いって、みんな感心してるのよ」
 いや、それは――
 褒めていただくのは、確かに嬉しいんですけども。
 頼りにされているというのは、そう見えているだけで、内実はまるで違う。
 前の会議で水元志乃がとんでもないことを言い出して以来、水元と新古原の間に、思いっきり溝ができてしまったのだ。
 それで直接話したくない二人が、何かと伝言を香佑に預けるようになった。二人の機嫌を損ねたくない香佑が、その間でネズミみたいにくるくる動き回っているだけだ。
 何しろ新古原夫人は老人たちの実質的リーダー。片や水元志乃は、若手のとりまとめ役のようなポジションなのだ。どちらかの機嫌を損ねでもしたら、それこそ大変なことになる。
「やるべきよ、吉野さん」
 そこに、香佑にとっては諸悪の根源、水元志乃が鼻息も荒く現れた。
「古株連中のことなら心配しないで。ステージをコンテスト制にするって話は、もう大筋でオッケーが出てるから」
「え、本当なんですか」
 あんなに難色を示していた新古原夫人や岩崎会長を、どうやって?
「ちょっとしたツテを使ってね。私、こういう裏工作得意だから」
 ふふっと志乃はウインクする。
 いや……、だったら何も、私を巻き込まないで欲しいんですけど。
「ねぇ、どうかしら。下宇佐田ダンスクラブのお披露目を、この秋祭りのステージでやってみたら」
「わぁっ、いいわねぇ、それ最高!」
 俄然盛り上がる女性陣。もう香佑はその中の一員で、しかも傍から見ると首謀者みたいだ。
 逃げ場を求めた香佑が顔を上げると、会議室の入り口あたりに、新古原夫人の腰巾着、磯野美土里が中の話を窺うようにして立っていた。
 その瞬間、ぞーっと血の気が引いている。
 本当にもう――なんて恐ろしい世界だろうか。こんな小さな田舎町で、大学病院の派閥争いもびっくりの諜報戦が繰り広げられているなんて!
「す、すみません。ご期待いただいて嬉しいんですけど、その――私、少なくとも秋祭りのステージは無理だと思います。なにしろ、練習時間が殆どないので」
 言い訳がましく香佑は続けた。
「店の手伝いもありますし、詩吟の稽古も……、ちょっと私には荷が重い……です」
 たちまち周囲からがっかりしたような溜息が舞い上がり、水元志乃は、期待外れねぇ、とばかりに息を吐く。
 香佑は「すみません」と、さらに萎れた風に頭を下げた。
 なんだかすごい罪悪感。
 でもやっぱり私には無理です。
 町内会の最大勢力を敵に回すなんて、そんな力も根性もない。
 せいぜい怒らせないように気をつけて、仲良くやっていくだけで精一杯――それすら、結構な精神力がいるっていうのに……。
 
 
「あらま、じゃあ本当に鬼塚さん、死んだ英吉さんのお墓は作られないつもりなの」
 そんな声がしたのは、湯のみをトレーに乗せた香佑が、台所に入ろうとした時だった。
 集会所にあるもうひとつの会議室。
 下宇佐田二丁目の集会所には、大小あわせて3つの会議室があって、大抵祭り実行委員会は中ほどの和室で行われる。
 声は、一番大きな和室から聞こえてくるようだった。
 香佑が「げっ」と思ったのは、それが香佑の最も苦手とする上宇佐田の富士山ます江のものだったからだ。
「あたりまえよ、馬鹿馬鹿しい」
 吐き捨てるような、鬼塚寿美子の声がした。
「あたしがコツコツためたお金で、どうしてあの馬鹿亭主の墓なんて作んなきゃいけないのかしら。だからって愛人にくれてやるのも忌々しいし、いっそ、共同墓地に埋めちゃえばいいと思ったのよ」
 例の、ご主人を合祀するという話だ。
 すぐに立ち去ろうとした香佑は、つい脚をとめてしまっていた。
「さすがに地元じゃ体裁が悪いから、下宇佐田の祐福寺に頼むことにしたのよ。あそこの和尚は現金に弱くて、いちいちうるさいこと言わないしね」
 会議室の表にかかっているホワイトボードには、〈日舞教室〉と書かれている。
 そうか、思い出した。月に一度の日舞教室には、広島あたりから高名な先生が教えにくるとかで、時々上宇佐田の奥様方も参加されるんだっけ。
 中からは、着物や帯のすれる音が聞こえてくる。察するに稽古は終わり、皆一斉に着物を脱いでいるのだろう。
「それでも、富士山さんとこには不義理しちゃうわね」
「あらぁ、いいのよ。うちは商売っ気抜きでおたくとつきあってるんだから」
 ホホ……と、振られたます江が媚を含んだような笑いを返した。
「鬼塚さんは正解よ。十年も別居してたダンナの墓なんて、私だって作りたくもないわ」
「お葬式を出してあげただけでも、鬼塚さんは立派よ」
 富士山ます江を筆頭に、口々に賛同と怒りの声があがる。
 なるほど、噂が慎さんの耳にも入るはずだ。鬼塚さんのご主人の死に様は、どうやら奥様たちの間では周知の事実であったらしい。
 ふふ……と、鬼塚寿美子の満足そうな笑い声がきこえた。
「ねぇ、そんな話よりさ、上宇佐田署に新しく赴任してきた署長さんの話、聞いた?」
「聞いたわよぉ、東大卒の若いイケメンでしょ? よかったら今度紹介してあげましょうか」
 ちょっと得意げなます江の声。
「その子と一緒に警視庁から来た刑事がね。この辺りの出身で私の古い知り合いなのよ。強面だけど、そっちもかなりのいい男よ」
 ます江の笑い声とともに、いきなりガラッと襖が開いた。
 しまった。何を馬鹿みたいに突っ立ってたんだろう。
 香佑は慌てて踵を返そうとしたが遅かった。一番前に立つ鬼塚寿美子と正面から目があっている。
 眉を寄せたのは鬼塚だけではない、その隣に立つ富士山ます江も、「なんなのこの子」みたいな目で香佑を見ている。
「す、すみませんっ、部屋を間違えました」
 急いで背を向けて台所の方に向かうと、背後から嘲るような声が聞こえた。
「まるでハイエナね。商売の話だと思って立ち聞いてたんじゃない?」
「なんたってあの吉野石材店の嫁だもの」
 なにそれ。
 声は、富士山ます江と、香佑の知らない女のものだった。
 反論したい衝動をこらえ、香佑は台所に駆け込んだ。 
 結局のところ、小さな問題は少しずつクリアできていても、大きな問題は何一つ解決されないままなのだ。
 香佑は相変わらず町内会の異端児だし、吉野石材店は同業者から嫌われている。それで、経営まで危ないんじゃ……。
 ――ほんとに私、ここで呑気に祭り実行委員とかやってる場合かな。
 自分のためにも、店のためにも、町内会に溶けこむのはいいことだと思っていたけど、ただ無為に拘束されるばかりで、何一つ匠己の役には立っていない気がしてしょうがない。
 やっぱり慎さんについて営業の勉強した方が――いやいや、祭りが終わるまではそんな暇なんて絶対にない。少なくとも、引き受けた仕事だけはきちんとやり遂げなければ。
 それも、やりすぎると変に矢面に立たされそうだから、ほどほどに控え目に。
 ――結局、ここでも、私は逃げ腰のまま……。何も定まってないんだなぁ……。
 香佑は溜息をついて、シンクに積まれた湯のみを洗い始めた。
 
 
 
 
 

 
 
 
 
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Copyright2011- Rui Ishida all rights reserved.この物語はフィクションです。