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「ま、これがうちの自慢の工場だな」
 満足そうににんまりと笑う富士山に、はぁ、と匠己は、所在なく相槌を打った。
「この機械は、うちで作らせた特注品だ。これで、石磨き時間がとんでもなく短縮される。一度あんたの店でも試してみるか? ん?」
 参ったな。この果てしない自分自慢は一体いつまで続くんだ?
 上宇佐田の富士山石材店。
 この地方では、一番大きな石材店で、石の他にも、家のリフォームなんかも手がけている大きな会社である。
 ぜひ一度、見学させてください、と申し出たのは匠己だったが、それが災いして、半日以上こうして拘束され続けている。
 まずは、自宅で富士山の成功譚を延々と聞かされ――実際、工場に入れたのは、午後六時を回ってからだった。
 匠己の相槌の打ち方が物足りなかったのか、富士山はたちまち剛毛と呼ぶに相応しい眉を釣り上げた。
「おい、既成品だからって馬鹿にするんじゃねぇぞ。あんたはオーダーメイド専門だったが、しかし既成品を、こうして一度に大量に作れるからこそ、客は安く墓を買うことができるんだ」
「いえ、うちも既成品は扱ってますよ」
「他県からわざわざ運ばせているそうじゃねぇか。ふん、そこがお前らのやり方の自分勝手なところだよ。町内の店に頼めばいいものを」
 それは品質的に――とは言えなかった。
 言っちゃ悪いけど、丁寧さみたいなものが全然違うんだよな。
「すみません。親父の代からのつきあいがあるので、簡単には」
「まぁ、いい。あんたは死んだ親父より、大分、ものが判るようだからな」
「ありがとうございます」
 匠己は時計を見た。八時過ぎか――この分じゃ、夕飯食ってけとか言われそうだな。口は悪いし性格はきついけど、確かに悪いばかりの人じゃない。懐に飛び込んだら、とことん可愛がってもらえそうだ。
 まぁ、そんなに深く入り込むつもりはないんだけど。
「お、もうこんな時間か。どうだね。今からワシの行きつけの店にいかないか」
「いいですね」
 しょうがない。家に電話でも入れとくか。
 ん、まてよ? 携帯の充電どうだったっけ。
「まぁ、あんたに言いたいのは――死んだ親父にもだがね。他所様の商売の足を引っ張るような仕事の仕方はするな、ということだよ」
 匠己は曖昧に頷いた。
 この件では、父の言い分が正しいと思うが、それをここで議論しても始まらない。
「不景気なんだ。どこも一杯一杯でやっておる。皆が皆、うちみたいな大手じゃない。石屋は零細企業が殆どだ――ワシは何も、自分のところの商売が邪魔されたんで、怒っているわけじゃないんだぞ」
「判ってます」 
 それは本当の話だろう。ただ――
 匠己は言いたい言葉を飲み込んだ。まぁ、人は人、自分は自分だ。どのやり方にもいい面と悪い面があり、それを言い争っても仕方がない。志が同じところにあるのなら、いずれは分かり合える時もくるだろう。
「あなた。吉野さん、まだそこにおられるの?」
 大きな女の声が、営業時間の終わった工場内に響いた。
「まだいるが、どうした」
 二人が立っているのは吹き抜けになった二階だが、一階の入り口のあたりで、大柄な女が、携帯を上に持ち上げている。家で昼食をご馳走になったから匠己も顔を知っている。富士山夫人だ。
「下宇佐の婦人会の人からの電話なんだけど、――吉野さんの奥さん、おめでたみたいよ」
「はぁ?」
「はい?」
 匠己と富士山は、同時に素っ頓狂な声をあげていた。
 富士山が驚いたように振り返り、匠己はただ、唖然と口を開けている。
 はい――おめでた?
「集会所で吐いて、今、休んでるみたい。つわりなら、二ヶ月か三ヶ月目くらいじゃない?」
「結婚したのは、先月か?」
「ええ、まぁ」
 いつだったっけ。半ば唖然としながら頷くと、富士山の顔がたちまち歪んだ。
「よろしくないな、実によろしくない」
「とにかく、旦那さんに代わってくれって。店の人に迎えに行ってもらうなら、そう言ってあげたらどう」
 はぁ……。と、匠己は首をかしげながら鉄骨の階段を降りようとした。
 なんだ、この展開? 全く想定してなかったぞ。
「母親が母親なら、娘も娘だな」
 背後で、そんな非肉な呟きが聞こえた。
「いいたかないが、上宇佐じゃ色々曰くのある女の娘だ。あんたはいい青年だが、女選びは絶対に間違ってるぞ。本当にあんたの子かどうか、そのあたりも確認した方がいいんじゃないのかねぇ」
「……………」
 一瞬眉を寄せてから、匠己は振り返っていた。
「多分、違いますよ」
「なんだと?」
「あ、そういう意味の違うではなく。――胃でも壊したんだと思います。このところ、忙しそうだったから」
「言い切れるの?」
 富士山夫人が、少し面白そうな目で口を挟んだ。
「決して悪い意味で言ってるんじゃないのよ。お薬なんかを飲む前に、念のために検査した方がいいと思って言ってるだけ。ほら、そういうことって、女にしか分からないものだから」
「判りますよ。亭主ですから」
 一体なんなんだ。この人たちの悪意は。
 そう思いながら、匠己は階段を足早に降りた。
 面白くなさげな富士山夫人の手から、携帯を受け取る。声の相手は新古原夫人だった。
 一方的に事情をまくしたてられ、匠己は困惑しながら、はいはいと聞いていた。吉野石材店には宮間しかおらず、話が通じないので、どうやら色んなことろにかけまくったようだ。
 本人は違うと言っている。――そこまで聞いて、匠己は軽く息を吐いた。
「すみません。すぐに家に者に頼んで迎えに行かせますから。病院? ええ、連れて行っていただいて結構です。本人がそうでないというなら、間違いないです。もちろん薬を飲ませても大丈夫ですよ――ご迷惑をおかけします」
 
 
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「夏風邪みたいです。今年流行りの胃にくるやつ。吐き気は収まったみたいだけど、今はちょっと熱が高くって」
「悪かったな。ノブ」
 匠己は急いで靴を脱いで、廊下に上がった。
「こんな時に限って涼子さんはいないし、美桜は休んでるし――俺と竜さん二人で、一体どうしていいんだか」
 あ、そっか。涼子は今日いなかったんだっけ。
 まぁ、その方が、嶋木も気が楽だったろうな。とはいえ、男に世話されるのも気詰まりだったろうが。
 上着とネクタイを取って、手を洗っていると、金盥を持った加納が台所に入ってきた。
「竜さん、色々悪かったな」
「いえ」 
 加納が黙って、金盥の中からタオルを取り出して洗い始めたので、匠己は少し驚いていた。
 そっか、竜さんが看病してくれたのか――
 少し、意外といえば意外だな。この人は基本、他人ごとには不干渉なのに。
「今、お休みになられたばかりですから、少し寝かせてあげたほうがいいと思いますよ」
「あ、ああ」
 急いで部屋に向かおうとしていた匠己は、その言葉に出鼻をくじかれたように足を止めた。
 まぁ、そうだな。今更俺がどたばたしても――意味ないか。
「まぁ、無理しすぎだったんですよ」
 キッチンのテーブルで肘をつきながら、宮間が呆れたように呟いた。
「朝は早くからゴミ当番に出て、昼は炎天下で草引きして、自転車であちこち走り回って、帰ってくるの夜の九時過ぎですからね。涼子さんも言ってましたけど、何もあそこまで町内会に入り込まなくてもいいのに」
「…………」
 匠己は黙って、溜息をついた。
 まぁ、家が居づらかったんだろうな、とは思う。
 その件については、正直、どうコメントしていいか分からない。何故なら、家の中がぎくしゃくした原因――涼子を引き入れたのは、香佑自身だからだ。
 涼子の言う通り、慎さんがいなくて寂しかったのかな、とも思う。
「そういう性格なんだよ。昔から」
 感情を振り切るようにして、匠己は言った。
 頼まれごとは断れない。どの学年でも、一番面倒で難しい仕事を押し付けられていたっけ、そういえば。
「やめさせるよ」
 椅子に座りながら、匠己は言った。
「このあたりの町内会は地の人ばかりで構成されてるから、何もあいつが無理してまで顔出す必要はないんだ。お袋も、上手く距離を置いてたしな」
「ああ、確かに、ミヤコさんはうまかったっすよねぇ」
 宮間が感嘆したように相槌を打つ。
「何かあれば、あの病弱げな雰囲気をフルに使って、咳き込んで……。それでいて、ご近所への気遣いは行き渡ってましたからね」
「…………」
 お袋も、田舎の陰険な噂話には苦労した口だった。
 それ故に、上手く立ちまわる術を身に着けたのだろうが――
「まぁ、女将さんにそれを求めるのは、ねぇ。……なんだか直球勝負が好きそうなタイプですし」
 その通りだ。
 多分、そういう器用な真似はできないだろう。結局は、ぶつかって傷つけられる。
「とにかく、落ち着いたら俺から話すから。悪かったな。ノブにまで心配かけて」
「社長は、なんのために、行きたくもない石の会に顔を出されたんですか」
 不意に、加納が口を開いた。
「奥さんが参加された婦人会の役員の中に、富士山社長の奥さんがいたからじゃないですか」
 匠己は、驚いたままで顔を上げて加納を見ていた。
「ノブ」
 加納が、顎をしゃくりながら、言った。「店の戸締りしてこい。あと、機械も点検して油を差しておけ」
「え、あ――は、はいっ」
 席を外せ、と理解した宮間は、少し名残惜しそうに、台所の勝手口から外に出ていった。
「言いたくはないですが、色々耳にしたものですから。墓掃除に行かせてもらった先々の家で」
 淡々とした口調で、シンクの傍に立つ加納は続けた。
「ご存知ではないと思いますが、奥さんと富士山さんのご家族の間にもまた、深い因縁があるんです。真偽のほどは判りませんが……」
 言葉を切った加納は、初めて微かな息を吐いた。
「ただ、社長が富士山社長に嫌われているのとは、まるで別個の問題だというのは確かです。石の会で富士山社長と和解するのは、――何かのきっかけにはなるかもしれませんが、全てを水に流すには、まだ時間がかかるでしょう」
「そっか……」
 まぁ、確かに、富士山夫人の悪意は半端なかった。
 ただの新人イジメとはレベルが違うような気はしたけど……。
「町内会の仕事ですが、私は、奥さんが望まれる限り、続けさせるべきだと思います。社長は、奥さんのご実家のことは?」
 加納の真意を図りかね、匠己はわずかに瞬きをする。
「奥さんのお母様の話は、どこまでご存知なんですか」
「まぁ、……俺らは同級生だから」
 意味を察し、匠己は言葉を濁していた。香佑の母親の醜聞なら、それなりに耳にしている。
 東京生まれ東京育ちの派手な母親。田舎育ちで地味な容姿を持つ父親。
 それがどこまで本当か知らないが、香佑が、嶋木の血を引いていないのではないか、という噂もあったくらいだ。
 結婚してもなお奔放な人だったらしく、母親の浮気も、さんざん取りざたされていた。挙句、嶋木本家の猛烈な後押しがあって、二人は離婚に至ったらしい。
 うつむいて、しばらく黙ってから、加納は言った。
「多分奥さんは……悔しいんですよ」
 悔しい……?
「自分が一生懸命仕事をすることで、何かを変えようとしてらしたんだと思いますよ。私は、ずっと見ていました。時々独り言のように文句を言われていましたが、仕事には一切手を抜かない人だった。ああいう人は信用できます。あの人はいい人です。――社長はもっと……奥さんを信用するべきです」
 
 
 
 
 
 
 
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Copyright2011- Rui Ishida all rights reserved.この物語はフィクションです。