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「うわっ」
 香佑は鼻を覆って顔を逸らした。
 なにこれ。一発でアレルギー症状が出そうなものが、飛び出してきたんですけど、今。
 おそるおそる視線を向ける。怖い――ストッキングの次は、ステテコだった。今日は、何が待ってるんだろう。
 もわもわとした、妙に埃っぽい、雪の塊みたいなもの。
「……羽毛………」
 しばし唖然とワンニャンカァの中を見ていた香佑は、今度はふつふつと怒りがこみ上げてくるのを感じていた。
 多分、布団を割いてぶちまけたのだろう。しなびた羽毛が、みっしりと箱の中に満たされ、もうもうとした白い埃を舞いあげている。
 もう、疑いようがない。間違いなく嫌がらせだ。
 思いつく相手はいくらでもいる。新古原夫人とその取り巻きたち。
 香佑が上宇佐田出身であることは、とうの昔に知れ渡っている。離婚して東京に逃げ帰った、当時、町中から総スカンをくらっていた女の娘であることも――間違いなく広まっている。
 富士山ます江が、当時香佑の母親とどんな関係だったのかは想像するしかないが、さぞかし悪印象を残していたのだろう。
「……ふんだ。負けるもんですか」
 気持ちを切り替えた香佑は、マスクを二重にかけなおし、手をワンニャンカァの中に突っ込んだ。十時までにできるかしら――いや、できる。やってみせる。
 朝御飯は、どうせ涼子さんが作ってくれるし。
 一応、意地みたいに味噌汁と卵焼きだけは毎朝作っている。残ったら猫マンマにして猫にあげてと言っているから、もう無駄になることもないだろう。
 すみません新古原さん。これが私の、器のちっちゃな復讐です。下宇佐田に、猫が繁殖することを願って。
「奥さん」
 心の中で高笑いをあげていた香佑は、ぎょっとして振り返った。しまった、いつもの時間だった。
「竜さん。おはようございます」
 車から降りた加納が、ワンニャンカァをのぞきこんで、男らしい眉をあげた。
「今日は、なんだか、一段とすごいものが入ってますねぇ」
「ええ、もう。毎日ゴミの日が楽しみで」
 香佑はやけくそで答えて笑った。
「手伝いますよ」
「いえ、大丈夫です」
 即答で、香佑は加納を遮った。「私一人でやらせてください。これくらい、一人で全然大丈夫ですから」
 一拍置いて、加納は微かに苦笑した。
「そう言われると、思ってましたよ」
 あ――言い方きつかったかな、と思った香佑は、少し慌てて言い訳している。
「別に手伝ってほしくないわけじゃないんですけど、これは、私が受け持った仕事なんで」
「判りますよ。頑張ってください」
 いつものようにあっさり言うと、加納は車に乗り込んだ。
 ああ――私も同じなんだな、とエンジン音をたてるセダンを見ながら、香佑はようやく気がついていた。
 私のテリトリーに入らないで下さいね。
 竜さんと美桜に感じたものを、私も確かに持っている。
 なんでだろう。私ってそんなにちっちゃい女だった? そうまでして守りたいテリトリーなんて、そもそも私、持ってたっけ。しかもそれが、こんなどうでもいいゴミの分別?
「奥さん」
 そのセダンの中から、加納が不意に顔を出した。
「明日が、西村さんの納骨式なんですが、お手伝いをお願いしてもいいですか」
 ――え……
「最近、お忙しくしていらっしゃるようですから、もしお時間が取れないなら」
「あ、いえ、大丈夫です。行きます!」
 殆ど二つ返事で、がっつくように香佑は答えていた。
 いけない。ここまで弾んで答えるようなことじゃなかった。と、直後に頬が熱くなる。
 加納は、くすりと微かに笑った。
「じゃあ、明日、九時にはここを出ますので、出られるようにしておいてください」
 「わかりました。よろしくお願いします」
 嘘。
 竜さんが――、ちょっとだけ壁をどかしてくれた。
 もちろん、たかだか仕事を頼まれただけだけど、そんな気がするのは何故だろう。
 それがこんなに――胸がわくわくするほど嬉しいのは。
 まるで私、竜さんに恋してるみたいじゃない。いやいや、それはないぞ、マジな話。
 その時、お尻の携帯にメールが入る音がした。
 たちまち幸福が吹き飛ぶような感じがして、香佑は眉を寄せていた。案の定新古原夫人からである。
 
 おはよう。吉野さん。
 今日は十一時から祭り実行委員があります。
 六時には、地区子供会の定例会があるので、忘れずに出席してください。
 
 はぁっ、と香佑は溜息をついていた。
 子供がいない私が、子供会に出るってどういう理由なのだろうか……。
 絶対に、面倒なことを全部おしつけられているに違いない。
 
 メールは、もうひとつ入っていた。
 
 check it out yo
 今日は二時から詩吟の稽古じゃ。
 張り切って参加するYOに( ゚д゚)
 
 ――え?
「チェック、イット、アウト……ヨー」
 チェケラッチョ……? もしかして。
 差出人は吟である。香佑は、脱力しつつ、額を押さえた。
 ぎ、吟さん……。
 やっぱり私、詩吟やってることになってるんですね。
 しかも、この無意味なYOとか、必要のない( ゚д゚)って一体。
 ラップか?
 
 それにしても、なんて忙しいんだろう。
 私も、家とは別の場所で、こんなに根付いてどうしようっていんだろう。肝心の場所じゃ、自分の居場所なんて、いまだ見つからないでいるのに――
 
 
 
 
 
 
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Copyright2011- Rui Ishida all rights reserved.この物語はフィクションです。