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「へぇ、佐久間さんが今年も来たんだ」
「ノブ君も、知ってるの」
 アイスコーヒーを淹れたグラスを出しながら香佑が聞くと、宮間は頬杖をついて、うん、と頷いた。
 午後三時。今度は、慎と加納が揃って外に出てしまったので、結局は宮間と香佑の二人で、いただきものの焼き菓子を広げている。
 台所に、美桜の姿はない。多分だけど、帰ってしまった。本当に最近の美桜は扱いにくい。
 香佑の前では誰も言わないが、多分、慎も宮間も、少しばかり扱いあぐねているのが、なんとなく見て取れる。
 かといって二人が美桜をフォローしているようにも見えず――そこは、ここの人たちの人間関係が、少しわからなくなってしまった香佑なのだった。
「同窓会っていってたけど」
 椅子に座りながら、香佑は菓子折りの袋に入っていた名刺を取り上げた。
 岡島工業 営業主任 佐久間航平。
 そこには、そう記されている。会社の住所は広島だ。 
「慎さんに聞いてもよく判らなかったんだけどさ。それって、この家の中で、佐久間さんって人が同窓会やるってこと?」
「まさか」
 宮間はむせたように咳き込んだ。
「いっとくけど、総勢三十名くらいで来ますからね、あの人たち。家にあげるなんてとてもとても。向こうもそんなの、望んですらいませんし」
「そうなの?」
「――墓参りなんですよ」
 アイスコーヒーを一気に飲み干してから、宮間は言った。
「墓参り?」
「この家の周り、ぐるっと一面墓場でしょ? 半分以上は無縁仏なんですけど、それ含めて全部、この近くにある祐福寺って寺の寺院墓地なんです」
「へー……」
 祐福寺――なんだか厭味な名前の寺だ。
「うちの師匠とはあまり――ちょっと――仲がいいとは言い難いんですけど、まぁ、先代からの付き合いで。なんていうのかなー、業務提携、そう言えば判ります?」
 ――ん?
 少し眉を寄せてから、香佑は言った。
「寺と墓屋がタッグを組んで商売してるってこと?」
「最低な言い方するな。お前」
 いきなり背後で声がした。香佑と宮間は、多分同じリアクションで青ざめている。
「ノブも妙なことを、この馬鹿に吹きこむな。どこでうちの恥を言いふらすかわからないぞ。口が軽い上に無知なんだから」
「あのね」
 さすがにそこまでの言われようにはカチンときて、香佑は真正面から慎を睨みつけている。
「確かに無知ですよ。でも口は軽くありません。なによ、私のことなんか何もしらないくせに、いつもいつも上目線で」
「おい、誰に向かってもの言ってんだ」
「社長夫人が、従業員にむかってものいいました。それが何か?」
 香佑は顎をそらして心持ち鼻孔をふくらませる。それには、慎が本気でカチンときたようだった。
「ふざけんな。何が社長夫人だ。お前確か、自分で従業員の嶋木だって名乗ったんだよな? ああ、判った。佐久間さんには最後までその嘘をつき通せ。お前は使えない従業員の嶋木で、あだ名はネギ子だ。葱と同じで使い回しがきかないからな」
「ばっかじゃない? 葱は万能藥味です。どんな料理にだって使えるんだから」
「お前が味噌汁にしか入れないから言ってんだよ。葱は畑に腐るほどできてんのに、他に使い道知らないのか。毎朝毎朝、汁椀から溢れるほど葱入れやがって」
「ばっ、バカにしないでよ。じゃあ今度は、すんごい葱料理を作ってあげるわよ」
「――ちょっとちょっと」
 そこで心底辟易したように、宮間が割って入った。
「もうその喧嘩、論点が完全にずれてますから。葱とかどうでもいいでしょ。マジで」
「どうでもよくない!」
 それは、香佑と慎が、ほぼ同時に叫んでいた。
 そして顔を見合わせ、同時に気まずい咳払いをした。
「まぁ――とにかく、だ。うちと祐福寺は別に契約してるわけでもなんでもない。たまたま墓が近くにあるから、暗黙の了解で管理を任されているだけだ」
「押し付けられてる、とも言いますよね」
 宮間が、肩をすくめながら言葉を継いだ。
「先代がお人よしだったから、墓の掃除やら墓参りに来る人の案内やらを、善意で引き受けてたんですよね。それがもう、当たり前みたいになっちゃって」
「そうなの?」
「今は、竜さんがそれ、引き継いでるよ。毎朝早く来ては墓掃除だ。あの人もよくやるよ」
 ――そうだったんだ……。
 このメンバーの中では、加納が一番遅くに来る。知らなかった。それは掃除していたからなんだ。
「お、お休みの日とかは私がやった方がいいのかな」
「やめとけ。そのでかいケツで墓石を倒すのがオチだ」
 香佑はグラスを振り上げる寸前だった。宮間がひきつった笑顔でフォローに入る。
「優しいなぁ、慎さん! 怖がりの女将さんには無理ですよ。霧がたちこめた朝の墓場ってのも、相当怪しい雰囲気出てますから」
 慎はしれっとした顔で、ポットから汲み取ったお茶を飲んでいる。
 香佑は握った拳を、あえて誇示するように自分の顔のあたりまで持っていった。
 本当に優しさで言ったんだろうか。全く、この男の口の悪さだけは許しがたい。人が――ちょっと気にしていることを。
「祐福寺も、先代の和尚の代までは、檀家にうちの墓屋を斡旋してくれてたんだよ。面倒なこと押し付けられてんだから当たり前だけどな。――それも代替わりして――ま、今はあまり上手くいってない」
 慎の声が少し疲れて聞こえたので、ああ――色々あったんだな、と香佑は漠然と理解した。まるで俳優みたいな高木慎の営業能力を持ってしても、クリアできないくらい、その裕福寺とは揉めたんだろう。
「そういや、師匠、一度も電話くれませんけど、元気でやってるんですかね」
 多分話題を変えようと思ったのだろう。宮間が菓子を取り上げながらそう言った。
 香佑は、少し自分の顔が強張るのを感じた。
「そりゃ元気だろ。むしろ、遠足行った子供みたいにワクワクしてんじゃないか?」
 慎が呆れたように肩をすくめた。
「仕事なんて建立式と法要に立ち会うくらいだから、一日、二日で終わるんだ。後は、京都で墓巡りしてくるって言ってたからな。下手すりゃ、帰ってこないぞ。ひと月くらい」
「ああ……前もそのパターンで、三ヶ月行方不明でしたからね」
 二人が同時に、疲れたような嘆息を漏らした。
 香佑は少しだけほっとしている。そうか、そういう意味でワクワクか。それは確かに納得だ。
 でも、その旅には――涼子さんが最後まで同行するのだろうか。
「よ――」
 香佑は言葉に詰まっていた。ほんっとうに言いづらい。てか、もう、正直名前なんかで呼んでやるもんかみたいな気持ちもある。
「社長は、携帯電話持ってないわけ?」
 香佑は、無難にそう呼ぶことにした。これなら高木慎も難癖つけられないに違いない。
「一応持たせてますけど――ほぼ、意味ないですね」
 溜息をついて、宮間が答えた。慎も同じようにその後に続く。
「電源、常に切れてるよ。操作の仕方もほぼ知らない。あのバカ、確実に生まれる時代間違ってたよな」
 それには、香佑も大いに納得して頷いた。
 そうか。あの男のマイペースぶりは、社会人になった今でも全く変わっていなかったのか。それはそれは、さぞかし周囲は振り回されて、迷惑を被っているだろう。
 で、その墓巡りに費やす一週間だか三ヶ月だかも――ずっと、涼子さんと一緒なのかな。
 一番気になっている部分だけが、どうしても訊けない。
 だいたい、宮間も慎も、元々は涼子が匠己と結婚するものと思いこんでいたのだ。そこに、私みたいな訳の判らない女がやってきて、――なのに結婚二日目に涼子が来て、あたかも連れ去るみたいにして、匠己と二人で京都に行ってしまった。
 この、普通に考えれば昼ドラみたいな異常事態を、どうしてみんな、なんの疑問もなしに受け入れてるわけ?
 誰も何も言わないけど、涼子と匠己は、一体いつの時点までつきあっていて、いつの時点でお友達になったんだろう。
 そりゃあ、東京で出版の仕事をしているのなら、こんな田舎の石屋なんかに嫁いではこられないだろう。
 ミヤコさんが孫の顔が見たいとでも言ったのか。はたまた匠己がこの土地を捨てて東京に行ってしまうのを恐れたのか――いずれにしても、そんなことが原因で、二人は結婚しないという結論に至ったに違いない。
 でも――でも、だからって普通、他の女と結婚する? たとえそれがお芝居だったとしても、それで涼子さんが納得する?
 いや、そもそも、その涼子が、二人の偽装結婚をどこまで知っているのかさえ、香佑にはよく判らない。
 好きな奴がいるんだと匠己は言った。
 推測だけど、それは多分、現在進行形の言い方だ。
 そして、涼子さんも――まだ匠己のことが好きでいる。
 二人は別れた今でも、当たり前のように交流を持って、――深い繋がりを残したまま、寄り添い合っているんだ……。
 じゃあ私って、そもそも、なに?
 なんのために、ここにいるの?
「ま、話は戻すが、俺らが実質管理している墓地で、墓参りと称して総勢三十人が飲んだり食ったりするんだ」
 慎の声が、香佑を現実に引き戻した。そうだ、今は匠己のことなんかで頭を一杯にしている塲合じゃない。
「飲み食いをするって、場所はまさかこの家じゃなくて……」
「墓地だ」
 あっさりと慎は言った。
「それで、事前に挨拶に来られたってわけだ。お前は初めてだろうが、まるで団体客の花見みたいなもんだ。そりゃ煩いぞ、一晩中」
 うわ……、その感覚、マジで?
 夜に墓場で同窓会?
 類は友を呼ぶというけれど、この店の社長がああだから、よってくる客まで、どこか感覚がずれているのだろうか。
「と、言ってもだ」
 慎が、卓上の名刺を取り上げながら生真面目な顔で続けた。
「今はただ迷惑なだけの参拝者だが、全員がこの近辺の出だから、いずれ確実にいい顧客になる。間違っても余計なことを言って信用を損ねるなよ」
「…………」
 そりゃ、いつか必ず、人って死んじゃいますからね。それは確かに、あなたの言うとおりなんですけど。
 やっぱり、高木慎の割り切りにはついていけない。どうにも私は、この商売は向いてないみたいだ。――
 
 
 
 
 
 
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Copyright2011- Rui Ishida all rights reserved.この物語はフィクションです。