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「吟さんがそんなことを?」
 香佑の話を聞き終えた慎は、顎を指で支えるようにして、天を見上げた。
「墓とは、なんのためにあるか…? まぁ、確かに、単純なようで色んな見方があるだろうなぁ」
(この問いに関しては、匠己も、慎もノブも竜さんも、それぞれ違う答えをもっとるだろうて。面白いことに、それのどれもが正解なんじゃ。その多様性ひとつをとってみても、墓というものがどれだけ興味深い代物か、わかろうというものじゃあないかね。ふっふっふっ)
 別に、最後の爬虫類みたいな笑いまで思い出さなくてもいいんだけど。
「明確な答えはない、みたいなこと言ってたけど」
「うーん」
 慎は眉を寄せて、しばらく考えていたようだった。
「正直、生計の糧、程度にしか考えたこともないなぁ……、俺、匠己と違って職人でもないし」
 そこは、香佑は少し驚いていた。
「慎さんって、石の彫刻が専門だったんじゃないの?」
「まぁ、灯籠とかその辺りはそれなりに楽しく作れるけど、墓だろ? 彫刻って意味じゃぜんっぜん楽しくない。そういう意味じゃ、匠己が信じられないよ。あれだけすごい技術があるのに」
 まぁ、それは確かに……。
 香佑もそこは腕組みしてしまっている。
「でも、銀さんの奥さんの墓、すごかったじゃない。あれは芸術だと思ったけど」
「あれ、一千万近くかかったの知ってるか」
「そうなの?」
 香佑は目を丸くしていた。
「この辺りの田舎で、そんな金持ちがおいそれといるかよ。噂を聞いて仕事を依頼してくるのは、大抵は仏師としての匠己を見込んでの話で、肝心の墓の依頼ときたら――」
 慎は眉をしかめて首を振った。
「匠己が手彫りで作る墓だって、七割方三段式くらいだぜ。それでも匠己は、嬉々として作ってんだ。あれは、心の底から墓が好きなんだな」
「昔っからそうだったから」
 香佑は激しく同意していた。
「正直、もっと匠己には、いい仕事させてやりたいんだ。でも俺が仕事とってくればくるほど、あの才能をしょーもない三段式の墓作りに忙殺させちまう。ちょっとしたジレンマだよな」
 慎は、天に向って溜息を吐いた。
 香佑はその横顔に、少しだけ見惚れていた。もちろん、ロマンティックな意味じゃない。ちょっといいな、と思ったのだ。この人と匠己の関係が。
「よっ、さすがは女房役」
「なに、それ」
「ノブ君が疑ってた意味が、今、心の底から判ったわぁ。あ、今の話は忘れて忘れて。本当になんでもないから」
 慎を見上げ、香佑は意味深に笑ってみせた。
「なんだよ。本当に腹の立つ女だな」
 むっと眉を寄せた慎が、次の刹那、その眉を大きくあげた。
「まさかと思うけど、あれを見たんじゃないだろうな」
「あれ?」
「くそ、涼子だな。あの女、―― 一冊残らず焼き捨てろって言ったのに!」
 なんだろう。
 一冊残らず……?
 よくわからないが、高木慎の弱みなら、いくら握っても足りないくらいだ。香佑は、話をあわせることにした。
「そんなに怒らないでよ。私が頼んで見せてもらったんだから」
「あれが怒らずにいられるか。俺は訴えようって言ったんだ。それを匠己が――」
 慎が本気で怒っているので、香佑は慄いて瞬きをした。
 なんだろう。なんだか話が大袈裟な方向に。
「何が許せないって、俺を女扱いしやがったことだ。匠己はいいよ。でも、俺の身にもなってみろ。あんなものが本として、ある意味永遠に残るんだぞ」
 あの……それは一体、なんの話……。
「おい」
「えっ」
「涼子の手元には、あと何冊くらい残ってたんだ」
「は、はい?」
「だから、同人誌。芸大時代に、こぞって作られたやつだろ? あいつ、文化祭に来ては、嫌がらせみたいに全部買い込んでたからな」
「……………」
 もしかして。
 それはもしかして、男同士のなんとやら………。
 それだけで察してしまったのは、東京で店をやっていた時、店員の女の子が、その手の漫画にはまっていたからだ。男同士の恋愛を描いた漫画。
 芸大生がそれを描いたのなら、さそかし素晴らしいものが――しかも、高木慎が女役?
「ちょっ、タンマっ、マジで?」
 想像した香佑は、たまりかねて、笑い転げていた。
「え……?」
「嘘でしょ? 本当に? ねぇ、それ、超読みたいんだけど!」
「は、はぁ?」
「涼子さんが持ってるんだ。うんうん、判った。今度見せてもらうから」
「――おい」
 慎が怒りも顕わに立ち上がる。「お前、もしかしなくても引っ掛けたな」
「あ、今頃気がついた?」
 案外単純だな、慎さんも。
「忘れろ、今すぐその頭の中を、空っぽにしろ」
「無理無理、もうっ、叩かないでよっ」
 頭を掴まれて揺すられたので、香佑は慌てて両腕でブロックしている。
「忘れてほしかったら、もう私のこと、えらそうな上目線で扱わないでよね」
「知るか。お前――本当に、最悪な性格してるな」
 香佑を突き放すようにして、慎はむっつりと座り直した。
 そして、ぽつりと呟いた。
「まぁ、忘れるためのものだな」
「……え?」
「墓」
 慎は立ち上がった。
「忘れて、前に進むための、ケジメみたいなもんだ。昨日まで一緒だったものが、今日はもうなくなってる。そう簡単には受け入れられないだろ」
「………」
「墓を見て、やっと受け入れられる感情ってあるんじゃないか。それでやっと前に進める。墓にはそんな役割もあるんだ。思い出したよ。ここに来た最初の頃、確かそんな風に思ったんだ、俺」
「………」
「いつか自分も、前に進めるための墓を見つけなきゃなって思ってた。――今日見つけたよ。ありがとう」
「うん………」
 香佑は胸が一杯になっていた。
 本当に不器用な高木慎。たったこの一言を言うために、どんだけ長話したんだろう。
「さて、帰るか」
 慎は大きく伸びをした。
「匠己にでも見つかったら大変だ。こんな場所で会ってたなんて知れたら言い訳なんてできないぞ」
「で、できますよ、いくらでも。何怖いこと言ってんの、慎さん」
 香佑も、慌てて立ち上がっている。
 その時、暗がりでガサッと音がした。えっと、思わず慎の背後に隠れると、にゃあと、猫の鳴き声が闇夜に響く。
「びっくりした……」
「最近居ついてる猫だな。おい、そういえば、家、窓ちゃんと閉めてるか?」
「う、ううん。こんなに長くなるとは思わなかったから……」
「ダッシュ! 猫が入ったらどうすんだ。台所のものなんて、あっという間に持ってかれるぞ」
「あ、あんたが走って戻りなさいよ。本当に勝手なんだから――」
 
 
 
 二人の気配が消えたので、匠己はようやく、抱えていた猫を解放してやった。
「悪いな。もう鳴いてもいいから」
 地上に下ろされた猫は、にゃあと鳴いて、甘えたように鼻をすりつけてくる。
 まぁ――確かに、こんな場所で? と、驚きはしたけれど。
「……なんだって俺、隠れたわけ?」
 逃げようとしない猫の頭を撫でながら、匠己は訝しく首をかしげた。
 疑うほどに怪しい場面でも会話でもない。
 別に、俺が隠れる場面でもないんだけどな。――
 
 
 
「あ、藤木君? 今夜はありがと。おかげで無事にチェックインできたから」
 深夜二時。こんな時間に電話をかけてきた相手は、相当泥酔しているようだった。
「片桐……俺、もう……完全にダメだ」
「なによ。今度は何があったのよ」
 うんざりしながら、涼子は洗いたての髪をタオルで拭った。
「あれから嶋木のことで頭が一杯で……。俺、本当に好きなんだ、愛してるんだ」
「はいはい」
 知らないわよ。あんたの安っぽい愛なんて。
「で、奥さんとはどうなったのよ」
「調停は、向こうの要求を飲むことにした……何もかもなくなるけど、もういいんだ。俺、上宇佐に帰るから」
「ま、お父さんの病院継ぐのも、人生よね」
 なるほどね。
 離婚してフリーになれば、こいつももう少し使えるじゃない。
 涼子は足を組み直した。
「例のもの、まだ持ってるんでしょ」
「あのお守り袋だろ。持ってるよ。あれな、俺、随分探したんだ。俺が――なくしたようなものだから」
「嶋木さんのランドセル、投げ飛ばしちゃったの自分なんだってね。すごいわよ。藤木君。その時失くしたお守り袋を、今、あなたが持ってるなんて、これはもう運命じゃない?」
「だよな? だよな? 俺も真剣にそう思うんだ」
 ほんと、馬鹿。
 この世に運命なんてあるはずがないじゃない。
「それ、大切にもっていて」
 唇だけで笑って涼子は言った。
「そのお守り袋を持ってる限り、嶋木さんの心は藤木君のもの同然よ。結婚なんて、所詮書面一枚書くか書かないかだけのことじゃない。それがなんの意味もないってこと、今の藤木君ならよく判るでしょ」
「ああ、判るよ。よく判る」
「嶋木さんも、石屋に嫁ぐより、藤木君みたいな地元の名士に嫁いだ方が、何倍も幸せに決まってるんだから。それにね、あの二人、なんだか少しおかしいのよ」
「……おかしいって?」
「もしかすると、何か事情があって急いで結婚したのかもしれない」
 あの慎重な匠己が――信じられない。まるで駆け込むみたいに、東京から戻ってきたばかりの嶋木香佑と結婚するなんて。
 付き合い始めるならまだしも、結婚。
 絶対に、何か事情があるに決まってる。
「私、今度匠己のお母さんに会って、事情をきちんと聞いてみるから。そしたらまた連絡するわ」
「頼むよ。片桐……、頼れるのはお前だけだ」
「藤木君、自信を持って」
 力強く涼子は言った。
「運命はあなたが握っていることを忘れないで。そのお守り袋さえ持っていれば、嶋木香佑は必ずあなたに会いに来る。とにかく最高の状況で、彼女を自分のものにするのよ」
 彼女にとっては、できれば最悪の状況で。
 見てなさい。
 絶対に、匠己は渡さない。
 他の誰でも許せたけれど、――嶋木香佑だけは許せない。絶対に、許せない。
 
 
                 21
 
 
「何やってんの?」
 ――翌日。
 少し離れた場所にも、やたら物音が響いてきたから、中で、何かしていることだけは窺い知れた。
 香佑が覗き込んでみると、匠己は例の彼の小部屋の中にいた。仕事場の中にある仮寝部屋だ。――涼子に、中に入らないでね、と、念押しされた部屋。
「えっ、どうしたの、これ」
 外から中を見た香佑は、思わず目を見開いていた。あれほど綺麗に片付いていた部屋が、今は色んな箱が床に無造作に積まれ、しかも中身が目茶苦茶になっている。
「まさか、泥棒?」
「来ないって、こんなとこに」
 ダンボールの間から、匠己が顔をしかめるようにして立ち上がった。
「ちょっと探しものしてたんだ。いてて、ずっと座りっぱなしだったせいかな」
「大丈夫?」
 歩み寄った香佑が、咄嗟に手を延そうとしたら、匠己は不思議な素早さで身をかわした。
「大丈夫だから。なに、何か用?」
 なに、その態度。
 もしかして、二人の思い出の部屋には、私は入るなってことですか。
 ややむっとしながら、香佑は扉の外まで後退した。
 いいもんね。とりあえず過去はもう気にしないって決めたんだ。
「用も何も、いつもの時間になっても、朝ご飯食べにこないから」
「えっ、もうそんな時間だった?」
「もう七時。一体何時からやってるの、それ」
 匠己は疲れたような息を吐いた。
「すぐに行くから、先戻ってて」
「ちょっと寝たら? 時間言ってくれたら起こしに行くから」
「……いい。慎さんに怒られるしな」
「怒らないよ。慎さんだって、あんたのオーバーワークは判ってるんだから」
「…………」
 しばらく黙っていた匠己は、再度、疲れたように息を吐いた。
「とにかく戻ってて。寝るにしても、自分で起きるから」
「ここ、電話でも引けば?」
 香佑は呆れて言っていた。「いちいち呼びにいくの、超面倒なんですけど。あ、そうだ。今日、営業のついでに携帯の契約に連れてってもらえそうだから、買ったら、一番にあんたの番号登録させてよね」
 わ、何かのついでみたいに、ちょっとドキドキするお願いしちゃったよ。
 匠己の番号を携帯に登録できるなんて――十三年前からはとても考えられなかった。だいたい、携帯なんて、絶対に待ちそうもないキャラだったし。
「ふぅん」
 が、何故か匠己は、わけのわからない反応を返してきた。
 え、ふぅんって?
「ま、いいや。じゃ、とにかく飯はそっちで食うから」
「あ、うん。じゃあ、待ってるから」
 なんだろう。へんなの。
 妙に覇気がなかったけど、寝不足かな。
 ま、いいや。こんなことで、いちいちめげてちゃ始まらない。
 外に出た香佑はよく晴れた空を見上げた。
 三歩進んで二歩下がっても、ここで私、頑張っていくしかないんだから。
 
 
 
「ないな。マジで」
 香佑の気配が消えたのを見届けてから、匠己は床にあぐらを組んで、握り拳を顎に当てた。
 間違いなく、この部屋のどこかに――しかも、結構判りやすい場所に置いていたはずなのに、どこにもない。
「これは、喜ぶべきことなのか?」
 匠己は低く呟いて、どうもすっきりしない自分の頭を拳で叩いた。
 全く俺らしくもない。
 嶋木が俺のことを好きじゃないのは判ってるし、慎さんに惹かれるのは――ある意味、すごくいいことじゃないか。
 いや、それは自分が考えても仕方のないことで――いまは、そう、例のババだ。ジョーカーだ。
 あれは間違いなく恋の疫病神である。持っている人間を、どうにも実らない恋に向かわせるという曰くつきの――
 今更、どの面下げて、実は十三年前、お前が言ってた通りの場所で見つけました――と言っていいか判らずに、なんとなく渡せずにいた例のお守り。恋の神様。
 今度こそ、本人に返してすっきりするつもりだったのに。
「今度は、一体誰がバハを引いたんだ……?」
 立ち上がった匠己は首をかしげ、晴れた夏空に視線を向けた。
 もう、夏もそろそろ終わろうしている。
 
 
 
 
 
 
 第二話 終
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Copyright2011- Rui Ishida all rights reserved.この物語はフィクションです。