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「はー……、たかだかクラスの有志が集まるだけって聞いたけど」
匠己は呆れて、会場前の垂れ幕を見つめた。
しかも、かなり急に決まったはずなのに、よくこの場所が押さえられたもんだ。仕事で何度か使ったことがあるが、この辺りで何かしようと思ったら、このホテルしかないはずなのに。
観音扉を開けて中に入ると、中の人たちはすっかり出来上がっているようだった。宴もたけなわ、という感じだ。そろそろ終焉みたいなけだるい空気が漂ってさえいる。
匠己は視線を巡らせた。――どこだよ。
テーブルの合間を縫って先に進むと、時折、不思議そうな視線が向けられる。誰――?みたいな感じだ。どの目も、どこか酔っ払ってとろんとしている。匠己は視線を無視して先に進んだ。
懐かしいっちゃあ懐かしいけど、なんの感慨も湧いてこない人たちの顔。
まー、あんま、いい思い出がないからな。
俺がぼんやりしてたから、何も感じないと思ってたんだろうけど、一応、人並みの心はある。とはいえ、傷つくことはあまりなかった。それは――あまり認めたくはないけれど、どこかで周囲の連中を見下していたからかもしれない。
他人と必要以上に関わらず、面倒事をやり過ごすようにして九年間を過ごしたが、そのツケのように手元には何も残らなかった。面倒でも他人と関わることが大切だと学んだのは――この町を出て、大学に入ってからだ。
「でもさ、嶋木には驚いたよな」
そんな声が通り過ぎたばかりのテーブルから聞こえた。振り返ると、丁度、涼子の背中が見える。ああ、こいつらが涼子の言ってた宇佐田会か。
「さっきちらっと聞いたけど、なんでも墓屋の店員と結婚したって――吉野の店だぜ。がっかりしたよな。宇佐中のアイドルが」
「派手な子ほど、大人になって身を持ち崩すのよ」
したり顔で、当時勉強が良く出来ていた女子が言った。といっても、トップはいつも嶋木だったが。
「それにしても崩しすぎだろ。見るからに生活レベル低そうだし。彼女なら、もっと上にいけると思ってたんだけどな」
「あのパンプス――仕事用かと思っちゃった。新しいの買うお金もないんだね。貧乏墓屋の従業員って」
なるほどね。当時俺がこいつらに抱いていた感想は、いちいち反省するほどのものでもなさそうだ。
匠己はそのまま歩き出そうとした。隅の方のテーブルに、昔、香佑とよく一緒にいた女子たちの顔を見つけたからだ。
「でも、今なら簡単に落とせるんじゃないか」
獣医師の安田――。
「俺も卒業してから知ったんだけどさ。嶋木のお袋って、元デリヘル……あのあたりの男とみんな関係をもってたらしいぜ。そんな安い女だって知ったら、藤木がああも熱を上げてたかどうか」
「今も、あっさり藤木についていったしな。ここに部屋とってんだろ」
匠己は無言で、彼らの間にあったビールジョッキを二つ、持ち上げた。
そのまま眼前に並ぶ頭に、勢い良く注ぎ落とす。
「う――わっっ」
「なっ、なにすんだ。お前」
怒りとも驚愕ともつかない顔が振り返る。その顔に、匠己は残りのビールを全て降りかけた。
多分、それが目に入ったのか、ふたりとも顔を抑えて、罵声をあげる。周囲はさすがに騒然とした。そしてしん――と静まり返る。
「悪い、手が滑った」
とん、と空になったジョッキを置いて、匠己は背を向けて歩き出した。
てか、あいつは一体どこにいるんだ?
「ごめん、ちょっと……、本当に、ここで」
なんか、とんでもなく危ない雰囲気なんですけど。
香佑は、のしかかるような藤木悠介の身体を、かろうじて引き離した。
「嶋木……俺、酔ってんだよ」
それでもなお甘えたように、男は腕を肩に絡ませてくる。
客室フロアの廊下。すぐ傍が、男がリザーブしている部屋である。多分――相当酔っているからだろうが、油断したらあっという間に引きこまれそうな雰囲気だ。
「判ってるから。早く部屋で休みなよ」
てかその前に、あんた、本題を話しなさいよ。
香佑は、再度藤木を押し戻し、その顔を下から見上げた。「――で?」
「でって?」
あまり中学時代の面影はない。随分顎が細くなって、なんだか厭味な感じになった。それに頭――あと数年で、かなりくるな。
「でってじゃないし。あんた、知ってるって言ったじゃない」
「ああ、あのお守り?」
「そう、そうそう」
香佑は、勢いこんで頷いた。
小学校四年生の時、なくしてしまった恋の神様。
もう二度と出てこないものだと思っていた。それを――
「本当に拾ったの?」
「拾った……」
酔った目で香佑を見下ろしながら、藤木は模索するような口調で言った。
「じゃない。木の上に引っかかってたんだ」
――やっぱり……。
「いつ見つけたの」
「お前が……」
またしても、藤木は考えるような間を置いてから言った。「東京に行く、少し前?」
来た。残酷なタイミング。
やっぱりやってくれるわ。あのお守り袋だけは。
「それ、偶然見つけたんだ」
「うん。あのあたりを歩いてたら、偶然、見つけた」
ああ、なんて余計なことをしてくれたんだろう。この男は。
もしあの時――吉野が傍にいる時に、あのお守り袋が見つかっていれば。
多分――いや、多分じゃない。私は絶対に吉野を諦めなかった。少なくとも自分から公言した五年は、待っていたはずだろうと思う。
「なんですぐに出さなかったのよ……」
無念さを搾り出すように香佑は言った。「私があれ、どれだけ探してたか知らないの」
「……いや……俺も、ずっと探してたんだ」
そこは、嫌にしんみりとした声だった。
いや、いいよもう、酔っぱらい。適当に話合わせてくれなくても。
「で、それは今、どこにあるの」
「部屋にある」
顎で扉を指し示しながら、藤木は言った。「部屋の中に、置いてある。今日会えたら、渡そうと思ってたんだ」
「取ってきてよ」
「一緒に来いよ」
「あのね――」香佑は脱力しながら、嘆息した。「それはちょっとまずいでしょう。あんた、指輪してるじゃない」
「離婚調停中なんだ。指輪は、パフォーマンスだよ」
う、嘘っぽい……。
「嶋木も結婚したんだろ。つか、なんでお前は指輪してないの?」
それは……
話せば長くなりますし、そもそも話す気もないんですが。
「だったらいいだろ。な?」
「は、はい?」
「お互い、フィフティーフィフティーで楽しめば。大丈夫、亭主には絶対バレないように上手くやるから」
「ちょっと――」
香佑は逃げようとしたが、大柄な男の本気の力には叶わなかった。
「やだもうっ、……離してよっ、酔っぱらい」
「嶋木……好きなんだ」
「いや、だからもう嶋木じゃないし。そういうのも無理だから」
香佑自身も酔っているせいか、押し戻す腕に、妙に力が入らない。
それに益々気をよくしたのか、藤木は力ずくで、香佑を部屋に引き入れようとする。もう香佑の背中は扉に押し付けられた状態で、藤木の手はカードキーを握っている。
まずい。これ――部屋に入っちゃったら、逃げようがないじゃない。
「ちょっ――マジで勘弁して」
「悪い。もう無理。ここまで来たんだ」
それはあんたが一方的に――「私お喋りだから、奥さんに言っちゃうし。あんた、一時の気の迷いで家庭崩壊させてもいいのっ」
「好きなんだ……愛してるんだ」
熱っぽい唇が、顎のあたりに押し当てられる。香佑は懸命に顔を逸らした。
「やだ……っ」
「嶋木……絶対に傷つけない。大切にするし、お前の欲しいものはなんでもやるから」
「……………」
私の、欲しいもの?
「今は先の保証なんてできないけど、とにかく、お前と始めたいんだ。本当にずっと好きだったんだ」
お金――
借金返して、携帯電話買って、恥ずかしくない程度のお洒落ができるお金――
それが、私の欲しいもの――?
「嶋木……」
違う。
ぜんっぜん、違う。
直前まで迫った唇を、香佑はかろうじて避けていた。
「本当に離して。マジで大声だすわよ、私」
「いいよ。出せよ。言っとくけど、親父がこのホテルのオーナーと懇意なんだ。騒いだって問題にもなるもんか」
「この……卑怯者っ」
何が好きで愛してるよ。ただのやりたいだけの男じゃないの。
もがく香佑を尻目に、藤木はカードキーを差し込んだ。カチリ、と背後で扉が開き、香佑の身体が頼りなく背後に崩れそうになる。
かろうじて両手で入り口を掴んだものの、身体を両腕で抱きすくめたままで藤木が部屋に入ろうとするから、命綱みたいな指が離れるのも時間の問題だ。
冗談じゃない。絶対に嫌だ。こんな酔っぱらいにやられるなんて、死んだ方がまだマシだ。誰か――
いきなり藤木の酒臭い身体が、香佑の身体から引っ剥がされた。
「な、――なっ」
驚愕する藤木より頭ひとつ高い位置から、凄まじく不機嫌そうな顔が見下ろしている。
「手、離して」
その男は言った。まだ藤木の手は、未練がましく香佑の腕を掴んでいる。
「そいつ」
匠己は顎をしゃくるようにして、香佑の方を指し示した。「俺の奥さん」
「え、まさかお前」
藤木が、まさに幽霊でも見るような目になって口走った。
「まさかと思うけど、墓屋の吉野――」
その時には、藤木の身体は廊下の壁に叩きつけられていた。
――吉野……。
へなへなと床に腰を落としたまま、香佑は呆然と匠己を見ていた。
なんで、どうして?
だって、同窓会には来ないはずなんじゃ……。
「ほんと、揉め事ばっかだな。お前が来てから」
怒ったように匠己は言って、香佑に手を差し出した。「平穏に生きてた日々が懐かしいよ。ほら、帰るぞ」
ごめん。立てない。
その前に、今起きたことの何もかもが信じられなくて。
今聞いた言葉の、何もかもが信じられなくて――
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