第2話 「夜は墓場で同窓会」
 
 
 
 
 
 思えばどうして、あの日、あの場所に行ったのか。
 どう考えても、何か、不幸な運命に導かれたとしか思えない。
 
 
 
「判った。……あれだ」
「え?」
 カメラを下ろした涼子が、訝しく顔をあげる。「何か言った?」
「いや」
 吉野匠己は、片手を上げた。「なんでもないから、早くしろよ」
 肘掛けソファに座り、ぼんやりと肘をついて頬を支えながら、匠己は自分の思いつきに納得した。
 判ったぞ、あれは言ってみれば、不幸の手紙――ババ抜きのババみたいなものだったんだ。
 不幸と言ったら、曲がりなりにも神と呼ばれる本尊に失礼だが、なにかこう――恋愛運を妨げる何かが、確実にあの中には入っていたに違いない。
「もうちょっと、視線、こっち向けてくれる」
「てか、どうでもいいだろ。俺の目がどこ向いてようと」
 そう返すと、むっとした目で睨まれた。
「こっち、向いて」
 ホテルの一室。やたらグレードが高い部屋だが、これも取材経費で落としているのだろうか? そもそもなんのために、こんな部屋で撮影するのか意味が判らない匠己である。
 数メートル前では、涼子が慣れた手でシャッターを押している。
 一度下ろしたカメラを、涼子が再び目の辺りに持っていったので、匠己はうんざりしながら頭を掻いた。
「なぁ、まだ撮るの?」
「これで終わりよ。後は、インタビューだけだから」
 終わり、か。
 匠己は、視線を窓の外に向けた。7月も半ば、猛暑の兆しがいたるところに立ち込めているが、今夜は少しばかり肌寒い。
 そう――やっと終わるはずだった。
 なんの勘違いか思い込みか、俺のことなんか何も知らないくせに、やたら好き好きと言ってくる同級生。嶋木香佑。
 実際、どれだけ迷惑を被ったか、――言うつもりはないが、少しは察して欲しかった。
「ねぇ、そういえば、宇佐中の同窓会だけど」
「んー」
 匠己の隣に腰を下ろしてカメラをいじりながら、涼子は続けた。
 視線を向けた匠己は、少しばかり目のやり場に困って視線を逸らした。
 えらい、胸が開いてんな。薄っぺらいのがコンプレックスだとか言ってたくせに。
 ――まぁ……、今さら目を逸らさなくても、何度も見ちゃってるんだけどな。
「今年何年かぶりにやることになって、お盆前で決まってたじゃない? あれ、流れたの知ってた」
「あー、そうなの?」
 ま、どうせ行くつもりはなかったけど。
「予定していた日が、学校行事と重なったみたいで先生方が来られなくなったんですって。で、来年に持ち越しってことにはなったんだけど、折角だからうちのクラスだけでも集まらないかって」
「へー」
「幹事が私と藤木君。彼の都合もあって、今月終わりでセッティングしたんだけど、どう」
「ふぅん」
 藤木か。
 下の名前は忘れたけど、ふじき小児科の一人息子。
「まぁ、行かねーよ。特段、仲のいい奴もいなかったし」
 男子のイジメってのも、案外陰湿でしつこいもんだ。教科書は捨てられるわ。体操服は泥まみれになるわ。ハブられるのは勿論の事、上手く逃げ回っていたからいいものの、下手すりゃ暴力沙汰になってたかもしれない。 
 中学になって、体格が大人になると、それはますます冗談では済まされなくなった。おかげで危険を察知する能力だけは研ぎ澄まされた気がする。
 無傷で卒業できたのは、はっきり言って、奇跡だ。
 何しろ、藤木悠介――ボス猿みたいなクラスのリーダーが、あいつに夢中だったのだ。あいつ、嶋木香佑。当時の匠己にとっては、振って湧いたみたいな災の元。
 中学三年の二学期、転校すると聞いた時は、小さなガッツポーズをしてしまったほどである。
 ああ、やっとこれで、理不尽な面倒事から解放される。
 ――なのに。
 溜息をついた匠己をどう思ったのか、涼子が少し気遣うような目で見上げながら、言った。
「藤木君なら、もう結婚してるし、心配しなくても大丈夫なんじゃない? あっちで時々会うけど、そうね――扱いやすいタイプよ。私にとっては」
「やー、いいわ。怖くて今もブルガクだし」
 匠己は肩をすくめながら言って、立ち上がった。
 てか、普通に面倒だし。――今の、わけのわからない状況を説明するのが。
 結婚のことは、昔の知り合いには一切知らせていないが、狭い田舎町だし、嶋木の家から広がっていることもある。本当の感情を口にするのさえ苦手な匠己には、あれこれ聞かれて、上手く切り抜けられる自信がない。
 あの夜もそうだった。なんで結婚したのかと嶋木に問い詰められた時。すでに思い出そうにも忘れている。あー……、一体、どんな言い訳したっけ、俺。
 事前にあれこれ考えていたことを、とりあえず、上手くつなげて話せたような気はするが。
 まぁ、あいつが思ったより馬鹿でよかった。普通、こんな異常な状況、そう簡単には受け入れられないもんだ。
 それでも、てっきり来ないものだと思っていた。
 来た時は――庭から不意に立ち上がったあいつを見た時には――どう思ったかな、俺。
「ちょっと、立たないで座ってよ。今からインタビューするんだから」
 涼子の手が、匠己の腕を掴んで引き寄せた。
「マジでこんな時間からすんのかよ」
 無意識に席を立って離れようとしたことも、もしかすると、危険を察知する本能が働いたのかもしれない。 
「てか、インタビューならここじゃなくてもできるだろ。外に出ようぜ。腹も減ったし」
「じゃ、ルームサービスを頼むから。――嫌なのよ、外は。雑多なところだと集中できないの」
「あのさ、お前はどうせ、質問するだけだろ。答えるのは俺なんだから……」
「それでも、嫌なの」
 さらに腕を引っ張られ、匠己は仕方なく座り直した。
 悪いけど、そこまで鈍感ってわけでもないぞ。
 やっぱり女ってやつはよく判らない。いくら真剣な目で訴えられても、その口から出てくる言葉なんて、もう二度と信じるものか。嶋木も嶋木だが、こいつもこいつだ。
「だから、視線をこっちに向けてよ」
「はいはい」
「そうよ。……ちゃんと、私を見て」
 二度も自分から離れたくせに、一体なんのつもりなんだか。――
 
 
 
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「起きろ! 一体、いつまで寝てるんだ」
 落ち込んでもへこんでも、朝は、容赦なくやってくる。
 いきなりの声に、香佑は吃驚して跳ね起きた。
 朝――都会と違って田舎の朝は、夏の盛りでもどこか涼しく、ひんやりとしている。
「さっさと起きて飯を作れ。今、何時だと思ってんだ」
 香佑は、扉の前で仁王立ちになっている高木慎を見上げた。
 閉めきった窓の外では、ミンミン蝉が鳴いている。
 ……てか、なんで慎さんが朝っぱらから私の部屋の前にいるのよ。
 もしかして私、慎さんと結婚して――いや、違った。
 布団を畳み、身支度をして部屋を出ると、廊下でタオルを首にひっかけた宮間信由とすれ違った。
「はよっす、女将さん」
 多分、おはようございますを、極めて早口で言ったらこうなるのだろう。
 宮間は脚をとめ、あちゃっとでも言うように自分の額を叩いた。
「――しまった、また女将さんって言っちゃたし」
「おはよう――いいよ、どうでも。もう慣れたし」
 台所の引き戸を開けると、今度は新聞を手にした加納竜二と鉢合わせになる。
「奥さん、おはようございます」
「お、おはようございます」
 香佑は、少し慌てて頭を下げると、エプロンをつけて台所に立った。
 ふぅ、参るな。
 最初は一番ダメだった加納さんが、今は一番ど真ん中だ。
 優しいし、紳士だし、声がいいし。今も、朝からそんな美声で奥さんって言われたら――無駄にときめいてしまうじゃない。
 ヤクザ時代(本当にそうだったかは定かではないが)は、さぞかし女を泣かせたのだろう。切れ長の目はいかにもクールで男前だし、中年の域に入った今でも、男の色気みたいなものが全身からにじみ出ている。それで人当たりがソフトなんだから、女が放っておくはずがない。
 で、――そんな人が、今は独り身で、こんなド田舎で何やってるわけ?
「えー、竜さん、もう仕事に入るんすか」
「機材の調整だ。夕べから少し調子が悪い」
「ノブ、暇なら外で草引いて来い。ミヤコさんの花畑が草まみれになってっぞ」
 その声は上から、宮間、加納、高木の順である。
 ガラっと台所の窓が開いて、そこから麦わら帽子をかぶった高木慎が顔を出した。
「おい、葱取ってきたから、ここに置くぞ」
「あ、ありがと」
 朝っぱらから畑の手入れか――見かけはいかにも都会の人なのに、骨の髄まで農家気質な人だこと。
 しかも葱の量多すぎ。毎朝こんな調子で取ってきてはくれるけど、葱なんて、味噌汁に使う以外どうしろっていうのよ。
 ――しかし……。
 包丁で葱を刻みながら、香佑はやはり、釈然としないものを感じていた。
(やっぱり、慎さん一人ってのはまずいでしょう)
(俺が好きでそうしたいとでも思ってんのか。だからノブに頼んでるんだろうが)
(俺が一人で泊まったらもっとまずいに決まってんでしょ。竜さん――)
(ある意味、一番デンジャラスだぞ。あの人の底が見えてるのは匠己くらいのもんだ)
(俺と慎さんの二人じゃ、喧嘩したら最後ですからねぇ。しょーがない。竜さんに話して、三人で泊まり込みますか)
 確かに、こんな人里離れた国道沿いの墓屋で、女一人ってのは無用心だけど。
 それにしても、曲がりなりにも新婚の妻一人を残して、夫が他の女と京都旅行。
 その留守に、従業員の男三人が住みこむって――かなり普通じゃない気がするんですけど、どうでしょう?
 
 
 
 
 
 
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Copyright2011- Rui Ishida all rights reserved.この物語はフィクションです。