4
 
 
「こっちから先が仕事場で、奥から全部が生活する場所。つまりは吉野社長の自宅です」
 香佑を案内してくれたのは、まだ女の子――と言っていい外見の、愛らしい美少女だった。
 横山美桜。なるほど宮間の誉め言葉はあながち過大ばかりでもないらしい。
 そっか――それにしても――覚悟はしていたけれど。
「会社と家が、同じ敷地にあるんだね」
 ややげんなりしながら、香佑は訊いた。
 国道に面したトタン屋根の建物が石材店で、その奥が、どうやら吉野家の住まいだった。いかにも田舎の家らしく平屋の瓦屋根で、外観は、社屋に負けず劣らずだ。つまり――相当年季が入った代物。
「会社っていうか、ほとんど作業場ですけどね」
 美桜は、つんとして白い顎をそらした。
「従業員の皆さんも、同じ敷地に?」
 寮でもあるのかと思って香佑は訊いたが、美桜は呆れたように大袈裟に眉をあげた。
「まさか。皆それぞれ、色んなとこから通ってきてますよ。だいたい近くに住んでますけど、慎さんなんか上宇佐の人ですし」
 慎さん――。
 高木慎。作業場で簡単な挨拶だけ済ましてさっさと背を向けた男もまた、宮間の形容どおり――いや、それ以上の容姿をしていた。
 すらっとした長身に、肩にかかるほどの長い髪。整った顔立ち。
 正直言えば、以前関わっていた仕事柄、モデルなどのイケメン男子を見慣れている香佑がやや気圧されてしまったくらいだ。が、あまりにも綺麗な顔をした美貌の男は、同時に、とんでもなく冷淡で、とりつく島もないほど素っ気なかった。
(全くいい迷惑だな。この忙しい時期に結婚なんてするか? 普通)
 すぐに判ったことだが、どうやらこの台詞も慎という男が吐いたらしい。
 つまり慎という人は、社長の匠己より立場が若干上なのだろうか? それとも、もしかして二代目社長はまだ社員の信頼を完全には得ていない?
 それを思うと、なんだかますますげんなりしてしまった香佑である。
 竜さん――加納竜二、という人だけは、少しばかり優しいように思われた。
 髪をタオルで覆い、色のついた眼鏡をかけていたから、容貌まではよく判らなかったが、年の頃は三十半ば――四十前くらいだろうか。
 声が、ちょっと痺れるくらいの耳触りのいいパリトンで、忙しい中でも、ひどく丁寧に、香佑に挨拶してくれたことだけが、良い印象として残っている。
 そしてもう1人、目の前にいる横山美桜は――
「家には、玄関以外に、仕事場に面した台所にも勝手口があるんです。みんな、台所から自由に出入りしてるんで、間違っても勝手口に鍵はかけないようして下さいね。台所だけは、従業員も自由に使っていいことになってるんです。食事は、みんなでそこで食べてますから」
 どうでもいいけど、なんでこんなに、つんけんしているんだろう。この子は。
 香佑は、少しばかりの居心地の悪さを感じ、美桜という少女をまじまじと見つめた。
 目がぱっちりとした、色白の美少女だ。頬が雪見大福みたいにふっくらとして、年は――言っては悪いが、せいぜい高校生くらいしか見えない。
「トイレはとシャワーは、作業場にもついてますけど、先代の手造りだから、めっちゃ、壊れやすいんです。だからしょっちゅう、社長の家でお借りしてます。そこは奥さんも了解しておいてください」
 ミニスカートから覗く腿に、健康な色気が満ちている。しかし、この子はなんだろう。従業員にしては若すぎるような気がするし、学生だったら平日のこの時間にぶらぶらしているはずがない。――が、そういうことを、美桜という少女に聞き質せる雰囲気ではなかった。
「今は、とにかく繁忙期なので、朝は八時から、夜は十時頃までみんな残って仕事してます。あ、奥さんは、作業場には入らないようにしてくださいね。色んな機械ありますし、素人には危険なんで」
「あの……」
 勝手口の場所を教えてもらった後、香佑はようやく口を挟んでいた。
「じゃあ、私は、何をすれば?」
「は? 私に聞くんですか?」
 美桜は、呆れたように眉をあげた。
「そんなの社長に聞いてください。掃除も賄いも、全部私1人で足りてますし、奥さんに手伝ってもらうこと、間違いなくなぁんにもないですから」
「…………」
 もう疑いようもなく、美桜の口調には棘があった。
「ミヤコさんのお世話とか? でも社長のお母さん、夕べから家を出ちゃったんですよね」
 つん、と前を向いて歩きながら、美桜は続けた。
「えっ、なんで?」
 さすがに香佑の顔色は変わっている。
 吉野匠己が全く頼りにならない以上、香佑は、義理の母――ミヤコだけを頼りにしていたのだ。
「お姉さんの身体の具合が悪くなったみたい。あの家の人、なにかといえばミヤコさんを頼るんだからやになっちゃう」
「そ、そうなんだ……」
 頼っているのは、てっきり吉野母の方だと――しかし、匠己も昨日言っていたように、実は吉野の母、ミヤコと言う人は見かけによらず頑丈な人らしい。
 顔色を変えた香佑をどう見たのか、ふんっと美桜は馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「ミヤコさんにも、しばらく新婚の2人の邪魔をしたくないっていうのがあったんだと思いますよ。どっちにしたってそんなに大した話じゃないんだから、わざとらしく心配しなくてもいいですよ」
 わざとらしくって……。なんだろう、その言い方。
 まぁ確かに、今は叔母さんの心配ではなく、自分の心配をしてたんだけど。
 何か言いかえしたい気持ちをぐっと堪え、気を取り直して、香佑は訊いた。
「あの……吉、……社長さんは」
「夕べから仕事場にこもってます。天の岩戸だから、行っても無駄ですよ」
 天の、岩戸……?
 一瞬眉をしかめたが、香佑はすぐに理解した。
 急な仕事だと言っていたから、どこかに閉じこもって作業しているということだろう。
 それなら、しばらく顔をあわせなくてすむ。むしろ、願ったり叶ったりだ。なんとはなしに昨夜から、匠己のことが、ますます苦手になっている香佑である。
「ほんと、トラブル続きでやになっちゃう。マジで納期間に合うのかな。もういいですか。私、電話応対とかで忙しいんで」
「あ、……あのさ」
 さっさと背を向けた美桜を、香佑は背後から呼びとめていた。
「奥さんっていうのは、やめてくれる? なんか自分のことじゃないみたいだし、私、ちゃんと名前あるから」
 眉をひそめ、美桜は小さく呟いた。
「……香佑、さん?」
 へぇ、覚えていてくれたんだ。と、香佑は少しだけ嬉しくなった。
「うん。それでいいよ。これからよろしくね。美桜ちゃん」 
 香佑が言うと、美桜はにこっと微笑んだ。
「はい、よろしく。奥さん」
「…………」
 最後まで、あからさまな敵意だけを見せて、小柄な美少女は去っていった。
 
 
 なんだか初日から、しかも吉野匠己という元凶がいないにも関わらず、とんでもなく嫁ぎ先の居心地が悪いのは気のせいだろうか。
 真っ昼間だというのに、主のいない家の中はがらんとしていた。
 涼しいのは、窓という窓が開け放ってあるからだろう。そうでなければ初夏の頃だ。こんな田舎といえど、日中はうだるほどの暑さになる。
 誰かいるのかと思ったが、部屋の中は静まり返り、人は、どこにも居そうもなかった。とんでもない不用心さだが、田舎ではよくあることだ。香佑の実家でも、両親たちは平気で鍵や窓を開けて畑仕事に出ていた。東京では、まず考えられないことなのだが。
「家の中は、……普通、ね」
 いつどこから仏像やらキツネ象が飛び出してくるか判らない。おっかなびっくり部屋のあちこちを見て回った香佑だったが、拍子抜けなことに、室内の作りは、極めてノーマルなものだった。
 間取りは、いかにも田舎の古い家らしく、香佑の実家と全く同じである。
 玄関――和室、その隣が仏間。廊下一本隔てた向こうに和室が二部屋。玄関からまっすぐ行ったところがリビングで、その奥に擦りガラスで仕切られた台所がある。
 自分に与えられた部屋は、すぐに判った。夕べ結婚式場に持って行った香佑のキャリーが、部屋の前に無造作に置かれていたからだ。
 その部屋は、一番奥の和室で、そこだけ扉が鍵付の開戸になっていた。
 他の部屋が全部襖かすりガラスだから、新婚夫婦のプライベートを護るには一番適した部屋ともいえる。
 ――……もしかして、吉野と相部屋……?
 それは仕方がないにしても、ここだけ、人外の棲み処だったら。
 が、おそるおそる足を踏み入れた室内には、円型のちゃぶ台と小さな木棚が置いてあるだけで、他に家具らしいものは何もなかった。
 押し入れの襖を開くと、上段に真新しい布団が二組と、下段にはプラスチック製の収納式タンスが入っている。どの引き出しを引いてみても空っぽで、当たり前だが、男物らしい衣服は何も入ってはいない。
 ここが、自分1人の部屋か、はたまた夫婦2人の部屋なのか――布団が二組あることをのぞけば、窺い知れる要素は何もなかった。
 しばらく逡巡した後、香佑は今はこの問題は考えないことにした。
 考えてもどうにもならない。というか、悩むだけ時間の無駄だと悟ったのだ。選択肢は、どうせこの家の主にしかないのだから。
 既に部屋の隅には、実家から送った香佑の着替えやら身の回りの品やらが、段ボールに梱包されたまま、積まれている。
 28歳の女の荷物が、たった二箱だというその寂しさに、香佑は少しばかりぼんやりと佇み――すぐに、その感情を追い払った。
 まずは、掃除と、それから洗濯だ。昼が近いから、昼御飯の支度をしないといけないだろう。それ以前に、匠己がどこにこもっているか、まず、それを確認しないと。
 簡単な着替えを済ませて部屋を出ると、どこかで電話が鳴っていることに気がついた。
 えっ、どこ?
 家の中ではない。庭を隔てた向こう――石材店事務所の方からだ。
 香佑は少し躊躇ったが、すぐに勝手口を開けて、石材店の方に駆けていった。
 工具や、横に伏せてある墓石の間を縫うようにして行くと、その向こうに簡易な扉が見えてくる。扉を開けると、そこがどうやら事務所のようだった。
 事務机と、その上に置いてあるパソコンと電話。それから来客用と思しき長机とパイプ椅子。
 机上の電話の受話器を、香佑は急いで取り上げた。
「はい、吉野石材店でございます」
 同時に、引き出しからボールペンを取り出して、そのあたりにあったコピー用紙を一枚引き抜く。用件をメモして伝えるためだ。
 電話対応くらいお手の物だという自負はあった。なにしろ香佑は、店の経営のことなら一通りの経験がある。墓の注文程度なら、なんということもないはずだ。が――
「あのねぇ、うちのチーちゃんが、死んじゃったのよ!」
 え……?
 いきなり、そこから?
「それは、あの、ご愁傷様で」
「あんなに可愛いワンコちゃん、もう他には絶対にいないわぁ。私、明日からどうやって生きていったらいいのよぉ」
 ……犬か。
 さすがにがくっと拍子抜けする。電話の向こうで、妙齢と思しき婦人がさめざめと泣き始めた。
「あんなに可愛がってやったのにねぇ。主人と2人で、あんなに大切に育てたのにねぇ。それでね、私どうしてもチーちゃんのお墓を建ててあげたいのだけど、そちらにお願いしてもよろしいかしら」
「はぁ、それは……」
 犬の墓?
 こういう場合、どうすればいいのだろう。えーと、ここは多分人間専用の墓屋であって、犬は多分想定外で――
 でも、人間の墓が作れて犬が駄目ってこともないんじゃない? 結局は石に名前彫ればいいだけの話なんだから。
「あの、なんとかなると思いますよ。ワンちゃんのお墓、ですよね」
「本当に? それがね、家族全員に反対されて、もうどうしたらいいか判らないの。あのね。チーちゃんの墓を、主人のお墓の隣に作ってやりたいのよ」
「……ご主人様の、お隣に、ですか」
 再び香佑は途方に暮れた。
 ええーっ。そんなこと、できるのかな。人の墓の隣にペットとか……どうしよう。だいたいこういうことまで、墓屋が相談に応じるもの?
「あの……すみません。そういったことは私ではわかりかねますので、どこか専門的なところに」
「えっ、おたく専門家でしょ? 石材店さんでしょう?」
「ええ、まぁ、それはそうなんですけど」
 その時、いきなり横から受話器がもぎとられた。
「お電話換わりました。吉野石材店、営業担当の高木でございます」
 香佑がびっくりして振り仰ぐと、そこには慎さん――高木慎が立っていた。
 水も滴る――とはこの男のための形容詞かもしれない。
 水を滑らせたような透明感のある肌に、榛色の切れ長の目。繊細な鼻梁に、淡い朱を刷いたような薄い唇。柔らかそうな髪は漆黒で、それが緩く肩にあたりに垂れている。
 身長は175センチかそこらくらい。今の基準ではさほど高い方ではないが、それでもこの容姿なら、十分モデルとしてやっていけるだろう。
 紛れもなく美形――が、好きか嫌いかと言われたら、少しばかり敬遠してしまうタイプかもしれない。綺麗すぎて、というより、まとっている彼のオーラが冷た過ぎて。
「大変申し訳ございませんが、うちでは、ペットのお墓は取り扱ってないんですよ。ただ、信頼できる業者を紹介することはできますが、よろしいでしょうか」
 ペンを持ちながら、慎はよどみなく続ける。
「そうでございますか。では、後ほど、僕の方がご説明に伺いますので。それから、ご主人のお墓に埋葬、ということでございますが……それはですね。ご主人のお墓がどちらにあるかによって、判断させていただくことになると思います。場所によっては、ペットの埋葬を禁止している墓地もございますから」
 そうだったんだ。ということは基本、ペットも一緒に墓に入れることもあるんだ。
「ええ、その際はですね。分骨や改葬……つまりお墓のお引越ですね。そういった方法もあるんですよ。ええ、そのあたりも僕の方から、詳しくご説明させていただきますので」
 知らなかった。ていうか、そんなことまで石屋が相談に応じるものなんだ。
 香佑が感心している間に、電話は終わり、冷やかな目をした慎が振り返った。
「勝手に、でるなよ」
「あ、ごめんなさい」
 打って変わったその冷たさに、気圧されると共に、むっととする。
 出るなよって……何回も鳴ってるベルに誰も出なかったから、出ただけじゃん。
「それから、机の上の物には一切触らないでくれ。ああ、こんなに目茶苦茶にして」
 滅茶苦茶って、引き出しからボールペンだして、紙を一枚拝借しただけなんですけど。
 香佑はますます憮然としたが、慎は嫌悪もあらわに、卓上の道具をいちいち元あった場所に戻し始めた。
 紙の位置も指先で整え、どうやらミリ単位のずれも許せない人のようだ。
 ――うわ、この人駄目。苦手かも。
 そう思った時、慎が容赦ない口調で言った。
「あんた、今まで仕事した経験ないの? こういう時は、すぐに話の判る奴に換わるのが常識でしょ」
 なにそれ。
「わかんない奴が中途半端に話きいても、かえって迷惑になるだけだから。これからは、勝手に電話を受けたりしないようにね」
「でも、相手の用件くらい、ひととおり聞くのが常識だよね」
 香佑が言いかえすと、慎は冷やかに眉を上げた。
「じゃないと、誰に換わっていいかさえ判らないし、今みたいに他に誰もいない時とかどうするのよ。電話に出ずに無視してろってこと?」
「下手な対応されるより、留守電対応の方がマシだと思うけど」
 なおも卓上を片付けながら、慎は言った。
 なに――? じゃ私って、留守電以下の存在ですか?
「あの……あの、ですね」
 歯軋りしたいほどの悔しさを飲み込み、香佑は、少しだけへりくだって、言った。
「私ここで、何かお手伝いしたい……ううん、しなしゃいけないと思うんだけど」
 働いて給金程度のものはもらわないと、いつまでもここを出ていけないから。
「……その、そのですね。電話番でもなんでもいいから、何かできること、ないかしら」
「あんたさ。少しは勉強してきた? 墓のこと」
 が、慎の声は最初にも増して冷たかった。
 ――え……?
「うちには、色んな電話がかかってくるんだ。墓地の選び方の相談から、宗派や葬儀の手順についてまで。ペットのこともそうだけど、墓絡みのトラブル相談なんかもある。うちで出来ることは限られてるけど、どんな電話でもきちんと対応しなきゃ、うちみたいな零細、注文なんてすぐに途絶えちまう」
「…………」
「今だってそうだ。たかがペットが死んだくらいでとか思うなよ。結局のところ改葬までいけば、うちにとっては大儲けなんだ」
 別に――ペットの死をどうでもいいと思ったわけじゃないし、泣きながら電話してきた人相手に、大儲けとかいうこいつの精神の方がどうかしてない?
「あんたが思っているよりずっと、墓ってのは奥が深いんだ。なんにも知らずに来たんなら、仕事の邪魔だけはしないでくれ」
 押し出され、目の前で扉が締められた。
 なに、それ。 
 せっかく人が、手伝うって言ってるのに――そもそも教える気さえゼロなわけ。
 墓が、一体なんだっていうの? 
 そんな――たかだか似たような形の石を売ってる連中に、なんだってこうもえらそうに見下されなきゃいけないわけ?
 
 
 
 
 >next >back  >top
Copyright2011- Rui Ishida all rights reserved.この物語はフィクションです。