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 石の、仕事か……。
「オーライ、オーライ」
 小型クレーンが、トラックの荷台に乗せられた石を、ゆっくり上部に引き上げていく。
 手元のコントローラーで、ラジコンみたいなクレーンを操作しているのは加納で、荷台の上で、それを指示しているのが匠己だった。
「もうちょい、右。うん、そこで止めて」
 七月の初めとはいえ、日影も風もない昼日中は、焼けつくように暑い。
 タオルで頭を巻き締めた匠己は、既に顔に汗を浮かせているし、Tシャツは汗染みで濡れている。
 クレーンにつり下がった白いビニール製の紐で何重にもクロスされた石は、意外なことに、光沢を帯びた淡い桃色だった。
「お墓、なんですよね」
 手で日差しを避けながら、首をかしげて香佑は訊いた。
「ええ、綺麗な石でしょう。桜御影というんです。国産の一級品ですよ」
 横顔だけでわずかに笑んで、加納が丁寧に答えてくれた。
「施主さんの希望でね。石選びには随分時間をかけたんですよ。とても上品で温かい色でしょう。桜御影の中でも、相当質のいい石だからこそ、この色合いが出せるんです」
 変わっていると思ったのは、色だけではなかった。形も――香佑のイメージする墓石とはまるで違っている。上部が流線型になった台形で、横幅は通常の墓の三倍はあろうかというくらい、広い。
 石が地面近くになると、匠己はトラックの荷台から飛び降りて、今度は地上から加納に指示をしはじめた。
 2人が、白いビニール紐で括られた桜御影を、わずかも傷つけまいと、ひどく神経を使っているのが判ったから、香佑は少し下がったところで、その様子を見ることにした。
 ――吟さんの、……奥さまのお墓かな。
 昨日出逢ったばかり、ご近所の老人。――吟。そういえば名字を聞いていなかった。
 ここは、吟宅の裏山である。
 トラックで砂利道を登っていくと、ほどなくして綺麗に駆りこまれた低木の囲いに行きあたる。背後は川で地面は芝。そこが、どうやら墓地のようだった。
 とはいえ、そこには青いビニールシートがかぶせてあるから、割合大きめの外柵があるのは窺えるが、その下がどうなっているのか、香佑にはよく判らない。
 クレーンで吊るされた石がそのビニールシート上空にかかったところで、匠己は、おもむろにシートの端を掴むと、空気をはらませるようにふんわりと――見事な手さばきで脇に退けた。
 下から出てきたのは、想像したとおり、墓の外柵だった。
 が、その形状のあまりの美しさに、香佑は少しばかり息を呑んでいた。
 材質は同じく桜御影。そこに少しだけ赤みの強い別の石が組み込まれている。その色彩とデザインの絶妙さも素晴らしいが、何より圧巻なのは、外柵一面に浮き彫りにされた百合のレリーフだった。
 色合いは周辺と変わらないのに、花の持つみずみずしさ、優しさと柔らかさが、生き生きと――まるでそこに、実際にあるかのような質感を持って表現されている。
 ――え、なに……すごくない? これ。
 指で触れれば、柔らかな花片が、優しく震えて舞い落ちそうな気さえする。
 これが、想像もつかない技術の結晶だということは、素人に香佑にだって判る。
 単に造形が優れているというのではない。そこから何かが――人の心の深淵に迫る何かが、目には見えない蜉蝣のようにゆらめいて舞い上がっているようだ。
「美しかろう」
 背後からいきなり声がして、香佑は驚いて振り返った。膨らんだシャボン玉がパチンと弾けて消えたように、幻想的な虹色の世界はいきなり消えて、目の前には紙をまるめたみたいなしわがれた老人が立っている。
 木立の中から現れたのは吟だった。草履に紺の着流し。はたはたと扇子で顔をあおぐ吟の傍らには、坂口と呼ばれていた老年の弟子が控えている。
「あんたの亭主は、実にいい仕事をしてくれた。ちょいと値が張るのがいかんがの。あんた、この墓の値段を聞いたら驚くぞい」
 シャシャシャ、と蛇みたいに笑うと、吟はわずかに目を細めた。
「少し、小さくなったかのう」
「左様で」
 坂口が静かに相槌を打つ。
「お墓、ですか」
 香佑は咄嗟に聞いていた。
「うむ。ちょいと若い連中にいたずらされての。それで急きょ匠己君に修繕を頼んだんじゃよ」
「申し訳ございません」
 坂口が、背後から控え目に口を挟んだ。
「丁度ご結婚のその日だったようで。無粋な真似をして本当にすみません。あ――」
 と、そこで痰でも詰まったのか、坂口は言葉を切って、咳払いをした。
「先生の奥さまの御命日が、明日なんでございます。それで、どうしても急ぎで直していただきたく思いまして」
「そうだったんですか」
 それで――匠己は、とんでもない勢いでマムシドリンクを呑みほして旅館を去っていったのだ。それが、火急の仕事になると判っていたから。
「お墓にいたずらなんて、ひどいことをする人もいるんですね」
 多少の憤慨をこめて、香佑は言った。
 このあたりにも、暴走族だかヤンキーみたいなのが生息しているのだろうか。田舎ほど時代遅れの連中が幅をきかせているものだが、こんな山と田と、ついでに言えば墓しかないようなド田舎に。
「あの……小さくなったって」
 墓石がほぼ定位置に降りた所で、今度は匠己と加納の2人で手作業に入るようだった。
 石から白いビニール紐をはずし、2人がかりで持ち上げている。
「なぁに、壊れた部分を少しばかり削り取ってもらったのよ。ちょうど上の当たりじゃったかの。ど真ん中でなくてよかったわい。石っちゅうのは存外にもろいもんじゃ」
「私には、もとよりいい形に思えますよ」
 坂口が、いたわるように口を挟む。
 吟が施主となった墓は、さんさんとした日差しの中、その全容をようやく明らかにしつつあった。
 百合の花のリリーフが施された桜御影の外柵。その中央にしつらわれた石碑にも、また百合の文様が彫り込まれている。刻まれた文字はただ一言だけ。
 再逢。
 南無阿弥陀仏も、家の名前も法名もない。再び逢う。ただそれだけ。
 それだけで、亡き妻を想う吟の気持ちが深く――温かく伝わってくるようだ。
「すごく、綺麗です」
 香佑は、思ったままの感想を口にした。
「とてもお墓とは思えないです。――私、お墓ってみんな、おんなじ形をしてて、暗くて怖いものだとばかり思っていたから、正直言えばすごく吃驚しました」
 吟は、顎をさするようにして香佑を振り返った。
「ふむ……あんた、墓参りには行かないのかね」
「こちらに帰って祖父母の墓参りをしたくらいですけど」
「このあたりの墓は、皆三段式のものばかりじゃからな。しかし、大きな町では、洋風の墓はそう珍しいものではないぞ。あんた、そりゃ墓を知らなすぎる。墓屋の女房失格じゃ」
「……墓屋じゃなくて石屋、ですけど」
 香佑は、控え目な笑顔で言いなおした。
 石屋の女房と墓屋の女房とではえらい違いだ。自分も以前は混同していたが、他人にされると少しばかり腹がたつ。
「墓屋の女房が、墓を怖いといっとるようじゃあ、いかんのう」
 が、しれっとした顔で吟は続けた。
「あんたはまず、墓のことを知って、墓をもっと好きにならんといかん。あんたに聞くが、墓とは、なんのためにあると思う?」
 ――なんのため?
「それは……亡くなった人の魂を悼むため、ですよね」
「ただし、今の問いに、明確な答えはない」
 はい? 
 唖然とする香佑をみやり、吟は例の奇怪な笑みを浮かべた。
「この問いに関しては、匠己も、慎もノブも竜さんも、それぞれ違う答えをもっとるだろうて。面白いことに、それのどれもが正解なんじゃ。その多様性ひとつをとってみても、墓というものがどれだけ興味深い代物か、わかろうというものじゃあないかね。ふっふっふっ」
 
 
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 ――墓の、多様性、ねぇ……。
 帰り路、いただきものの野菜の袋を抱えた香佑は、首をかしげながら吟の言った言葉を反芻していた。
 墓なんて、亡くなった方を収める場所、という以外に何か別の言い方があるのだろうか。どうも、意味がよく判らない。
 でも、知らなかった。
 ただ怖い、暗い、気持ちが悪いとばかり思っていた墓が、あんなに美しいものだったなんて。
 それを造り上げたという匠己を、少しだけ見直している香佑である。
「ねぇ」
 香佑は、背後の匠己を振り返った。
「んー」
 匠己は眠そうな目をしている。両手にはやはり、野菜の袋。2人は今、ご近所巡りの帰りだった。遠い場所だけを加納に車で送ってもらって、近くは歩いて回ったのだ。
 意外なことに、どの家でも匠己は結構な人気者で、その家の主婦や娘たちに香佑は必ず羨望の目で見られたのだった。やっぱり、田舎の人の感覚って狂ってる。
「ねぇ、このあたりってどうしてこんなにお墓が多いの?」
「ああ、それは」
 言葉を切った匠己が、眠たそうに瞬きをしてから、視線をぐるっと周辺に巡らせる。
 今、2人は山間のアスファルト道を歩いているのだが、その道一本をとってみても、周辺の木々の間に、墓地らしいものを何度も見た。中には、開けた場所に、大きな墓がひとつだけ建っているものもある。
 東京では、どんなに田舎でも決して見られない光景だ。今までなんとも思わなかったが、それってどういう違いだろう。
「てか、上宇佐でも同じだろ。墓ってどこにでもあるんじゃね?」
「まぁ、そうだったかもしれないけど、墓ってどこにでも建てられるもの?」
「正確には、駄目。許可もらった場所じゃないと建てられない」
 へぇ……。
 香佑は、意外な感に打たれて、周辺の墓々を見回していた。
 確かに香佑の生まれた上宇佐にも、山間の開けた場所に、沢山の墓地が作られていた。香佑の家の墓も、裏山の平地部分に建てられている。そういうのも、いちいち許可をもらっているのだろうか。
「なんていうのかな。……まぁ、違法、とも違う。……突き詰めれば違法なのかもしんないけど、俺の立場でそれ言っちゃおしまいだしな」
 匠己は、独り言のように呟いてから、続けた。
「ここいらは、昔から墓があるんだよ。なんて言えばいいのかな。本当は墓って、法律で決められた場所にしか建てられないんだけど、昔からある場所だけは、特例で継続使用が認められているんだ」
「どういう意味?」
「たとえばだけど、東京の家で、自分の庭に親父の墓建てたいなんて言っても絶対に無理。それ、感覚で判るだろ」
「うん、まぁ……」
 それはそうだ。人の家に遊びに行って、その家の庭に墓があるなんて想像もつかない。
 が、それが香佑の生まれ故郷――この下宇佐や上宇佐となると、話は別だ。庭に墓があっても、特段驚くに値しない。
「多分、衛生面や、土地の評価額の問題なんかもあって、あらかじめ許可された場所にしか、人の亡骸は埋葬できない決まりになってるんだ。たとえば寺院とか、公営墓地とかさ。それが墓の大原則。でも、ここらみたいな田舎は、少しばかり事情が違う」
 再び匠己は、視線を周辺に巡らせた。
 香佑は黙って話を聞きながら、内心、少しばかり驚いている。匠己がとんでもなく長く喋っている。こんなことが、今までの彼にあっただろうか。
「大昔からあって、特例というか、暗黙の了解で継続使用が認められている墓地――そういうの、屋敷墓地っていうんだ。お前んちも、多分そうだろ」
「……屋敷、墓地?」
「自分の家の裏庭とかにある墓地のこと。あれは、昔からあるっていう理由で、同じ場所を使うことに限って許されてるんだ。うちの自治体には、はっきりした決まりがないから、厳密にいえば、違法……なのかもしれないけどな」
 そこは、ややトーンを下げている。
「そうなの? でもさ、新しい場所に墓作ったりしてる家、うちの近所にあったような気がしたけど」
「罰則、ねぇからな」
 匠己は、少し黙ってから、言った。
「そのあたり、少しばかり離れた場所に作ったとしても、田舎では、まぁ、見逃されてるって感じ? 文句言う奴いねぇだろ。町と違って」
「えっ、じゃあマジで違法なの?」
「だから厳密に言えば、だよ。認めるにも認めないにも、自治体でそれをどうこうする法律がないんだから」
 ふぅん……。
 なんだか、あやふやな世界なんだな。確かに吟や高木慎の言うとおり、思ったより、墓って奥が深いものなのかもしれない。
 吉野石材店まで、あぜ道や農道を歩くこと三十分。国道沿いの吉野石材店が見えてくる頃には、香佑は薄く汗をかいていた。
 空は抜けるような晴天だった。遠くで蝉の声がする。梅雨も明けて、もう夏は間近だ。
 今まで、こんなに歩いたこと、あったかな。
 しかも日焼け止めもしてない素顔だなんて、これもまた、ひとつの悪夢かもしれない。
 そうだ。現実には、日焼け止め買うだけのお金もないんだっけ。私には。
 ああ……たちまち、当座のお金が欲しい。が、それを匠己に頼むなんて、どう考えても屈辱的すぎる。
「あ、そうだ」
 家の手前で、不意に匠己が声をあげた。
「明後日から、俺、ちょっと家空けるから」
「え、そうなの?」
 さすがに香佑は、露骨に動揺を浮かべていた。姑に続いて夫まで? 一体この新妻を、どこまで放置すれば気が済むのか。
「一週間……十日くらいかな……。そのくらいには戻れると思うけど」
「どこに行くの?」
「京都」
 あっさりと匠己が答えたところで、家の中から美桜が出てきたので、話はそれで終わりになった。
 美桜は、相変わらず嫌悪を込めた目で香佑を見上げると、「お疲れ様―」と言いつつ、その手からあっさりと野菜の紙袋をもぎとった。
「遅かったね。匠己君。夕飯できてるから、早く食べなよ」
「おう、サンキュ」
 野菜の袋だけでなく、この家の主婦の座も同時に奪われてしまった気分である。
 その美桜が、にっこり笑って香佑を見上げる。
「奥さんは、後でいいですよね?」
「うん。従業員さんが終わった後にいただくから」
 香佑もまた、平然とした笑顔で年下の小娘を見下ろした。ええ、ええ、いただきますよ。皆さんの食べ残した残り物をね。
 少なくとも、今日の野菜は私がもらったんだから、あんた、勝手に使わないでよ。と言う大人げない言葉が喉元まで込み上げかけている。
 我慢我慢――これも、社員に頭のあがらない社長に嫁いだ妻の宿命か。
「あ、そうだ。それから嶋木さんから匠己君に電話があったんですけど」
「俺に?」
 お父さんから?
 香佑と匠己は、同時に顔を見合わせている。
「奥さんじゃなくて、匠己君に用があるみたいですよ。もしかして、奥さんが匠己君の悪口、お父さんに吹き込んでたりして」
 まさか。
 いったい何を言い出すんだろう。この性格の悪い小姑は。
 香佑はぶるぶると首を振ったが、匠己は不審そうに眉を寄せただけだった。
 そんな2人を見て、美桜は面白そうに唇に笑いを浮かべている。
「それから慎さんが、奥さんに用があるからすぐに事務所まで来るように、だそうです。伝言はそれだけです。じゃ」

 
 
 
 
 
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Copyright2011- Rui Ishida all rights reserved.この物語はフィクションです。