第一部
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一
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多分、ばかなことをしようとしているのだろう。
広いホールを見回しながら、「連城有紀」はそう思った。
東京、新宿にある株式会社理光不動産の本社ビル。
その一階は吹き抜けホールになっていて、会社の業績を示す展示物が並んでいる。
パーティションで区切られたこの一区画だけ、社員外の者でも自由に見学できる仕組みになっているらしい。
ただし、受付より先には進めない。社員たちはパスを見せて、その先にあるエレベーターホールへ向かっている。
―――さてと、
有紀は、戦後まもなく撮られたという、本社ビルの白黒写真を見ながら嘆息した。
「どうしようかな……」
その横を通り過ぎるスーツ姿の社員……とおぼしき人たちが、時折有紀を振り返っていく。
その理由を、有紀はなんとなく理解している。
綺麗なのだ、自分は――多分、歩いていると、そこそこ人目を引く程度には。
受付に座る、いかにもお嬢様風の二人の女性も、時折こちらを伺い見ている。何か物言いたげな、そんな視線を時々感じる。だから有紀も顔を上げ、曖昧な笑みを二人に返す。
午後二時前、ビル前の通りも、ビルの中も、時の流れが緩慢で、どこか閑散とした空気に包まれていた。
「ねぇ、そこのあなた」
ついにたまりかねたように、受付嬢の一人が口を開いた。
所在無く、ホールの展示物に視線を向けていた有紀は、少し驚いて顔を上げる。
「あなた、うちの社に何か御用?さっきから、ずっとここにいるみたいだけど」
有紀が何か応えようとした時、揃いのネイビーの制服を着た二人は、突然顔色を改めて立ち上がった。
「………?」
有紀は、彼女たちの視線を追うようにして振り返る。
ガラス張りの正面入り口。その前に一台のリムジンが滑り込んで来たところだった。
磨きぬかれた流線形の黒いボディ。後部席が開き、中から一人の長身の男が降りてくる。携帯電話を片手にしている。何か忙しない会話をしているのがガラス越しにもはっきりと判る。
一足遅れで、運転席から慌てて下車した運転手。それを手で静止し、携帯を耳に当てた男は、そのまま、さっさと玄関の自動ドアを通り過ぎた。
「その件は……ああ、できれば早急に進めてくれ。いいな、すぐにメールで送る、対応は速やかにしろ、五分以内だ」
深みがあって低い、そして電話の内容のせいか、ひどく厳しい声。
男は眉をひそめて携帯電話を切ると、それを上着のポケットに滑らせた。
どこかクラッシックなブラックスーツ。チャコールグレーのタイ。長身で脚が長く、腰位置が高い。わずかに額に零れた短い髪。端正な横顔からは、表情も年齢も読み取りにくい。
「専務、お帰りなさいませ」
受付嬢たちが、声を揃えて頭を下げる。
わずかに視線を流しただけで、男は早足にその前を通り過ぎようとした。
そこに、
「……わっ」
呆然と男を見上げ、そして避けるタイミングを逸してしまった有紀が、――咄嗟に身体のバランスを崩し、腰を落としてしまっていた。
「ああ、悪い」
男は、即座にそう言うと腰をかがめた。
別に、彼がぶつかってきたわけではない。優しい人だな、と、男を見上げながら有紀は思った。見かけとは随分違う。
「君、……平気か」
間近で見る男の顔。
切れ長の眼は冷たそうだ。唇は薄くて、きれいな形をしている。鼻は…少し大きめで、これが彼のセックスアピールなのかもしれない。
――――うん、この人だ。
自分の心の中で浮遊していたパズルのピースが、その途端、音をたてて、納まるべき場所に収まった。
有紀は、静かに微笑した。
――――見つけた……私の、王子様。
「……君……?」
自分を見つめる男の眼。
戸惑いを浮かべながらも、その奥に明らかにある衝動が揺れたのを、この種の視線を受け慣れた少女は、猫なみの敏感さで察していた。
「……お願いがあるんですけど」
受付嬢に聞こえないよう、有紀は声をひそめて囁いた。
「?………私にか?」
「はい、あなたに」
男はいぶかしげに眉宇を寄せる。
「……俺は、君を知らないが、売り込みか何かなら、」
「私の身体、買ってもらえませんか」
有紀は唐突に切り込んだ。
「…………なんだと…?」
「私をあなたの愛人にしてほしいんです、期限付きの」
まだ、その意味を解しかねている男のスーツのポケットに、有紀は用意していたものをすべり落とした。
「おい、君」
驚く男を笑顔で制し、有紀はゆっくりと首を振った。
「あとで見てください、……会える場所と時間、判るようになってますから」
「…………」
この取引が成立すれば。
有紀は首をかしげ、険しい目をしたままの男を、まっすぐに見つめた。
――――そう、この先もずっと、私は、
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暖かな海の楽園で生きていくことができるから。