聞こえる、恋の唄
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第8章
「悲しき求婚」
………<2>………

「いいえ、結構です。高岡さんもお忙しいのに」

洗濯までは男の方に手伝ってもらえない。

少し慌ててそう言うと、そんなものですか、と、男は何故か残念そうな顔になった。

「……志野さんは、僕をどう思っていますか」

新たな洗濯物を広げていた時だった。

「……え?」

世間話程度の話しかしたことのない男に、いきなり切り込むようなことを言われ、さすがに驚いて顔を上げる。

志野に見つめられ、高岡は目に見えて赤くなると、泳ぐように視線を逸らした。

「どうも、あなたは、僕に冷たいような気がして……。あ、いえ、ここ最近は親しくさせてもらっていますが、それ以前は僕のことなど視界にも入れておられないようだったから」

言われている意味をはかりかね、呆けたように黙っていると、男は照れたように苦笑した。

「それは、僕があなたを意識しすぎているせいかもしれないけど」

ようやく、言わんとしていことが判ってくる。

志野はうつむいた。
嬉しいというより、困った、という気持ちのほうが強かった。

「……お別れを、いえ、あなたにお話があって来ました」

顔を上げると、男はふいに表情を正して真剣な目色になった。

「家族のすすめもあって、実は先月、再度検査を受けたんです。昨夜、召集令状が来ました。僕は来週には、入隊しなければなりません」

戦況が差し迫った昨今、入隊とは、即戦場に送られることを意味している。

志野もまた、居住まいを正した。この場合、言わなければならない言葉は決まっている。

おめでとうございます――。

けれど、真剣な目に、どこか悲壮な覚悟を滲ませている男の前で、心にも思えない、そらぞらしいことが言えるだろうか。

「奥様には、昨夜あいさつを済ませました。今日、実家に戻ります。……色々、準備もありますので」

そうですか。

そんなことしか言えなかった。

何を言っても、それは白々しい――上辺だけの言葉になるような気がした。

「……あなたが、好きでした」

黙っていると、頭上から優しい声がした。

「待っていて欲しい……そう言いに来ました。あなたは黒川へ行かれるものだと、そう思い込んで諦めていました。あなたのように高貴な技術を持っている方が、僕のような書生崩れを好きになってくれるはずはないと」

男は自嘲気味に笑い、そしてすぐに姿勢を正した。

返事を待っているのだ、と志野は理解した。

けれど――何をどう言えばいいのだろう。

「……私」

視線を下げながら、志野は唇を緩く噛んだ。

「あなたのような方にふさわしい女ではありません。死んだ母は商売女でした。……それと一緒ですわ。私、純粋でも、純白でもありません。もう何度も殿方と経験していますの」

相手にとっては残酷な、自分にとっては屈辱に等しい告白。

けれど彼の人生の岐路に係わってしまった以上、下手な嘘だけはつきたくない。

むしろ妙な未練など持つことなく、さっぱりした気持ちで戦場に赴いて欲しい。

しばらくの間があった。

風が何度も、志野と高岡の間を吹き抜けていった。

「僕はあなたの価値を知っている。……驚かないと言えば嘘になりますが、僕の気持ちは変わりません」

男の口調は変わりなく、表情は優しげなままだった。

志野は顔をあげ、そしてもう一度うつむいた。

「……女性の価値が、そんなもので決まると――そう思うほど、僕は古い人間ではないですよ」

染み入るような口調だった。

「婚約していただけないでしょうか。こんなことでもなければ告白など出来ない、僕はそんな情けない男ですが。――」



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