■■■■■■■■ 聞こえる、恋の唄 ■■■■■■■■ 第7章 「接吻の夜」 |
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こんな風に、誰かと唇を合わせるのは初めてだった。 知らなかった、接吻がこんなに痛くて――胸がつぶれそうなほど苦しいものだなんて。 血の味が舌に滲んでいる。 顔を逸らしてしまったのは、この血で雅流の唇を汚してはいけないと、咄嗟に思ったからだった。 「いけません」 ようやく胸を押し戻し、息も絶え絶えの声が出た。 「雅流様の、お召し物が汚れます」 「兄貴に何をされた」 怒りを滲ませた声が返ってくる。 この人は怒っているのだ。志野はようやく気がついた。 「離れにいた連中に何かされたのか。どうなんだ!」 志野は、闇に慣れた眼で、男の伸びた襟足を見つめた。 この人は、何を怒っているのだろう。何を心配しているのだろう。 「……何も、されませんでした」 「嘘をつくな、じゃあ、その様はなんだ」 二人の視線が闇の中でひたと合う。 何故か雅流の目を直視することができなかった。 志野は再びうつむいていた。 「本当に何も……。逃げ出したんです、私、どうしても厭でしたから」 何が厭だったんだろう。 うつむきながら、志野は自分に問いかける。 私は――何が厭だったんだろう。 どんなことでも我慢できるはずだったのに、あれくらいのことは、何でもないはずだったのに。 「本当だな」 雅流が念を押す。 「俺を安心させるために、嘘を言ってるんじゃないんだな」 「違います」 安心? 頷いてから、不審に思った。 安心? 安心ってどういう意味だろう。 わずかな沈黙があって、雅流がようやく手を離してくれた。 それまで抱かれていた温もりがふいに消える。 寂しいのか安堵したのか、自分でもよく判らないまま、志野は雅流から距離を開けた。 唇が、まだ濡れている。 どうして……あんな真似をされたのだろう。 激しい動悸の余韻を感じ、志野はただ、下を向き続けている。 「ここで何をしていた」 雅流の声も、いつになく動揺しているような気がした。 |
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