聞こえる、恋の唄
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第5章
「忍び寄る影」
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明けて昭和十八年の元旦も過ぎた。

翌週には櫻井伯爵が帰国するとの知らせが届き、屋敷は明るい気ぜわしさに包まれていた。

その日、志野は御園の用事で、浅草まで使いに出た。

簡単な進物を届けるだけの用事だったが、「せっかくだから、浅草見物でもしておいで」と、小遣いまでくれた御園の言葉に、素直に甘えることにした。

もしかすると御園には、年の暮れから年始の間、休み無く働いた志野へ休暇を与えたいという気持ちがあったのかもしれない。

何を見たいわけでも、休みが欲しいわけでもなかったが、せっかくの心使いを無にしてはいけないと思い、志野は神社でお参りをし、簡単な昼食を取ってから帰途についた。

「三島先生、掴まったらしいよ」

そんな囁きが聞こえたのは、路上で乗合自動車を待っていた時だった。

そっと振り返ると、学生風の青年が数人、顔を寄せ合ってひそひそと囁き合っている。

「どうもアカだったらしい。労働党の機関誌を出していたそうだ」

「特高が来て、先生の引き出しからなにから全部ひっくり返したそうじゃないか」

「三島先生はどうなるのだろう。気の毒だな、戦争反対を唱えただけで」

「どうもこうもない、そんな男には係わらん方がええ」

しゃがれた、強い方言訛りの声が、志野の背後から突然聞こえた。

道路脇の畦に、しゃがみこんで靴を直している商売人風の老人がいる。

焦げ茶色に日焼けした老人は、顔もあげずに靴の踵を修理している風だったが、声の主は、どうやらこの男のようだった。

「戦争反対っちゅうのは誰にでも言える。バカバカしいほど簡単な主張じゃ。若い男はお国のためにみんな死んどる。そういう時代に、戦争反対なんぞと言うのは、国を思わん卑怯者のすることじゃ。命が惜しいもんのすることじゃ」

黙ったまま、志野は背後の会話に耳を傾けていた。

「平和のたっとさはなぁ、戦争が終わってから説けばいいんじゃ。今は言うてもどうにもならん。ただの卑怯者の繰言じゃ」

老人の言う言葉は、正論であってそうでないような気もした。

命とは、そうも軽いものだろうか。

背後の会話が聞こえなくなってからも、志野は老人の言葉を考えていた。

死にたくないと思うことが卑怯なのだろうか。

死んで欲しくないと願う事が卑怯なのだろうか――それが卑怯だと、そうまかり通る今の時代とは、いったいどのようなものだろうか。

志野は知っている、櫻井伯爵家のように、徴兵を逃れている貴族や資産家連中は沢山いる。

ただ志野は。必ずしもそのような人たちを憎いとは思えなかった。

誰だって死にたくない。

自分でも同じだ。どんな辱めを受けても生きたいと思う、それが人の性ではないのか――。

這ってでも生きたいと思うからこそ、他人の命も愛しく思えるのではないだろうか。


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