■■■■■■■■ 聞こえる、恋の唄 ■■■■■■■■ 第5章 「忍び寄る影」 |
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来春には、綾女が嫁いでくることが決まり、櫻井家はにわかに、戦前の頃のような華やかな賑わいを取り戻していた。 空き部屋には、貴族会から送られてきた祝いの品が溢れ帰り、その贅沢さは、とても物資不足のご時世とは思えないほどである。 「伯爵様も、もうじき欧州から帰っておいでになるし」 年の暮れ、御園はいつになく上機嫌だった。 御園だけではない、家中の誰の顔にも明るいものが浮かぶようになっている。 雅流と菱田百貨店の子女、永久子(とわこ)との縁談が本決まりになり、莫大な借財が肩代わりされることになったのも、喜ばしいニュースの一つだった。 書生や女中たちは職場を失わずに済んだことで胸をなでおろし、御園は放蕩息子に意外な良縁がまとまったことで、心の底からほっとしているようである。 「これで戦争が終わってくれたら、いうことはないのだけれど」 けれど最後には、誰もがそう囁いて、わずかに眉を寄せるのだった。 十二月に入り、大学の寮が閉鎖されたことから、雅流と薫は屋敷内で居住するようになった。 が、志野が、薫の相手として呼び出されることはなくなった。 兄弟は、志野の存在などまるで眼中にないように日々を振る舞い、志野もまた、ようやく心の平穏を取り戻し始めている。 薫が、例の秘めごとから関心を無くしてくれた理由は、おそらく志野が、内弟子の話を、きっぱりと断ったからだろう。 同時に志野は、月に一度の家元の出稽古に出席するのも、辞退することにした。 下賎な身分で、生意気にも家元の申し出を断ったのだから、それは当然のことである。 「もったいない……志野、お前は欲がなさすぎますよ」 御園は露骨に残念そうな顔をしたが、その実、ほっとしているのが志野には判った。 というより、最初からそれが判っていたから、内弟子の話を断ったのだ。 「お稽古なら、どこでも出来ます。それに私の師匠は奥様でございますから」 「私の稽古など……とても父には及ばないのに」 困ったように言いながら、それでも御園は、どこか嬉しそうだった。 |
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