■■■■■■■■ 聞こえる、恋の唄 ■■■■■■■■ 第四章 「雅流の秘事」 |
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緋色の着物が、暗い木影から鮮やかな色彩をのぞかせている。 「こんなにお慕いしているのに……、あの日から、私の心はあなた一人のものなのに」 優しい、けれど、哀願するような切ない声。 声の主は予想どおり、綾女だった。 眼が慣れてしまえば、女の姿は鮮明に薄闇に浮き上がってくる。 牡丹模様の鮮やかな着物。 背中の半ばまで伸びた黒髪が、木漏れ日に輝いている。 華奢な綾女に、被さるようにして立っているのは、婚約者の薫ではなく――その弟の雅流だった。 白いシャツに黒のズボン。 いつもの彼の服装だが、背筋を伸ばし、凛として、まるで正装しているような折り目正しさがある。 「お願い……、一言でいいから、嘘でもいいから」 胸が痛くなるほど悲しげな声。 けれど雅流は何も言わない。 沈鬱な横顔を見せたまま、視線をわずかに下げている。 「あれが過ちだったなんて、私には信じられません。私……私」 綾女の声が、すすり泣きと共に崩れ、身体まで崩れ、男の胸に重なっていく。 「……綾女さん」 初めて雅流が呟いた。 その腕は女を支えようとさえせずに、力なく垂れたままだった。 「お願い」 綾女は顔を上げる。 志野には見えないが、多分、涙で泣きぬれている。 「もう一度私を抱いてください。他の方と結婚なんて、なさらないで」 「それはできない」 「……雅流様」 「それは、できない」 初めて聞くような真摯な、そして、苦しげな声だった。 綾女の手が、何度かもどかしく男の胸を叩く。 「家のためですか、お金のためですか、あなたは日頃、そんなもの莫迦にしていらっしゃったのに」 綾女とは、こうも激しい女性だったのだろうか――立ち退くことも進むこともできないまま、志野はただ息を詰めている。 雅流の腕が、躊躇したように女の肩を抱く。 まるで貴重な宝石を扱うように、そっと優しく抱きしめる。 「……許してください」 それ以上覗き見るのが苦しくて、志野は目を閉じ、顔を背けていた。 雅流と綾女。 志野は、深い衝撃と共に理解した。 彼らはすでに、男女の秘密を共有していたのだ。 雅流が時折見せる悲しみも苦衷も、今なら理解できるような気がした。 兄に対する、コンプレックスにも似た恐れの意味も。 志野は漠然と予感した。 多分――薫はこのことを知っている。 理由は判らない、けれど確かに知っているような、そんな気がした。 |
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