聞こえる、恋の唄
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第四章
「雅流の秘事」
………<2>………

「雅流だねぇ」

苦笑を唇に滲ませながら、御園が目を細めて呟いた。

志野にも判っていた。
離れから聞こえてくる音は、紛れもなく雅流のものだ。

『時雨西行』

(……ああ、また、同じ個所を間違っていらっしゃる)

「こうしてみると、どこか志野と弾き方が似ていますねぇ。腕は、数段雅流が落ちるけれども」

「え?」

不様なほど狼狽した志野は、面食らって顔を伏せた。

「そのようなことは、ございません」

「もしかすると、雅流は志野をお手本にしているのかもしれませんよ」

ふふ、と柔らかく相好を崩して御園は笑った。

時雨西行は長唄の曲で、旅僧西行と遊女江口が、雨宿りをしながら遊女の寂しさを語り合うという物語である。

志野が好きなのは、江口が西行に身の上を語る場面――本調子から二上がりに曲調が変じる所で、ちょうど雅流の演奏に、悪癖が出る所でもある。

御園の笑い声を聞きながら、志野は再度目を閉じていた。

時雨西行。
この曲を聴く度に、胸の深い部分が洗われて、心が軽くなるような気がするのは何故だろう。

あれほど惨めな状況で、何度も聞かされた曲なのに――。

「雅流といえば、縁談が上手くいけばよいのだけど」

独り言のような御園の呟きに、志野ははっと眉を上げていた。

雅流様のご縁談。
 
ふいに胸が重たい何かで塞がれたような気持ちになった。それがどのような感情か判らず、志野はただ、戸惑って視線を下げた。

「相手方の身分をいえば、正直どうかとは思ったけれど……これも時代なのかしらね、もう、爵位だけではやっていけない時代ですものね」

「私、台所の仕事がございますから、これで」

御園に深く頭を下げてから、志野は急いで立ち上がった。

けれど廊下に出た途端、強い動悸を感じて足が止まり、そのまま胸を両手で抑えていた。

雅流様のご縁談――。


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