聞こえる、恋の唄
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第四章
「雅流の秘事」
………<1>………

まるで、恋を告白した初心な少女のようだった。

志野は、あの日の自分の、莫迦げた心境を振り返っては、ただ頬を熱くする。

いったい何を思っていたのだろうか。

少しだけ親切にされて、舞い上がってしまったのだろうか。

二十二歳の私が――主人とは言え、まだ、二十歳にもならない男相手に。

私らしくない。全く、私らしくない振る舞いだ。

「志野は、本当に何をやらしても器用だわね」

帯締めを手伝い終わり、片付けをしている時、頭上から御園の声がした。

鞠子と連れ立って歌舞伎座に行くという御園は、今日は朝から珍しく上機嫌だった。

「お前の指は天性のものなのかしら。うちの子どもたちに、その才がわずかでもあればよいのだけれど」

「滅相もございません」

「お前の音色には人を引きつける何かがある……これは、父の言った言葉だけれど」

言いさして、御園は薄っすらと微笑した。

「父はお前を内弟子にしたいと言っています。どうですか、志野。この家を離れて黒川へ行きますか」

存外な申し出ではあるが、驚きはさほどはなかった。
近い内にそう言われるような伏線を、御園や家元が、それとなく匂わせておいてくれたからだろう。

黙ってうつむく志野の前に座り、御園は優しく手を取ってくれた。

「まぁ、よく考えてごらん、志野。私もお前がいなくなるのは寂しいけれど、この家も、旦那さまがいらした時分のようにはいかないでしょう」

ほっと吐息を吐く御園の横顔に、初めて彼女らしからぬ、暗い陰りが滲んだような気がした。

戦争の影が、こんなところにまで忍び寄っている――。

志野もまた、眉をそっとひそめていた。

「書生や女中たちにも、少しずつ暇を出そうと思っているのですよ。ただ、志野のように、皆によい行き先を探してあげることは難しいと思いますけどね」

返事は? と、覗き込むような眼で、御園は黙る志野を見上げる。

最初から、志野の返事は決まっていた。
ただそれを、どう御園の顔がたつように持ち出すかだけが問題だった。

「私には、もったいないお話でございますが」

控え目に志野は切りだした。

「少しの間、考えさせていただいてもよろしいでしょうか」

「ゆっくり考えてよいのですよ」

御園が微笑したその時だった。

不意に風に乗って、かすかな三味線の音が聞こえてきた。



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