■■■■■■■■ 聞こえる、恋の唄 ■■■■■■■■ 第三章 「志野と雅流」 |
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志野は、目を見開き、唖然として雅流を見た。 投げられた言葉の意味が、すぐに頭に入ってこなかった。 (私が……薫様を?) 志野の視線を、雅流は煩げに目をすがめて避けた。 「そうでなければ、お前の神経が理解できない。どんなにひどい目にあっても、呼ばれれば必ずのこのこやってくる。お袋は、兄貴の本性を薄々だが知ってるよ。お前が言おうが言うまいが、いずれ兄貴は、お袋を必ず悲しませる」 それでも志野が全てを告白すれば、御園はいっそう悲しむだろう。そんな気がした。 志野が黙っていると、雅流は口元に皮肉な笑みを浮かべた。 「女はみんなそうだ。最初は嫌がっても、結局は兄貴に夢中になる。あの外見に騙される。可哀相で哀れな生き物だ」 違う、と言おうとして、そう言い訳する馬鹿馬鹿しさに気がついた。 もしかすると雅流は、美貌の兄にコンプレックスでも抱いているのだろうか。 (どうしてだろう……。この人が薫様を畏れる必要は、何もないのに) 男の手元にある三味線が、微かな音を立てる。 「私……」 志野は思わず呟いていた。 「雅流様の音が、好きですわ」 言ってから、最高に莫迦なことを口にした自分に気がついた。 熱が耳まで赤く染め、そして急速に冷えていくのが判った。 私……莫迦だわ。 こんな下賎な女が、華族の子息相手に、何と思い上がったことを言ってしまったのだろう。 単に身分のことだけではない。雅流の前で、それが襖越しのこととはいえ、志野は何度も薫に抱かれ――想像するだけで血の気が引くような姿を、あるいは見られているのかもしれないのだ。 平伏することも、針を動かすこともできずに、志野はただ、蒼ざめたまま固まってしまっていた。 きっと、雅流は不快に思ったことだろう。このまま殴られても、足蹴にされてもおかしくはない。 雅流は立ち上がった。志野は身体を震わせていた。 「俺も、お前の音が好きだよ」 足音が遠ざかり、襖が閉まる。 三和土(たたき)で下駄を履いた雅流が、離れを出ていくのが判った。 開き戸は少し乱暴な音を立て、閉めた人の確かな苛立ちを感じさせた。 針に糸さえ通せないまま、志野は無言でストーブのたてるくすんだ音を聞いていた。 |
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