■■■■■■■■ 聞こえる、恋の唄 ■■■■■■■■ 第三章 「志野と雅流」 |
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「俺も親父みたいに、国外に出て行きたいよ。自由にものも言えず、好きなものも買えず、挙句、親父のせいで、この俺までアカ扱いだ。息苦しいことこの上ない」 薫も雅流も、大学では相当肩身の狭い思いをしているのだろう、と志野は思った。 屋敷の近所で、次第に住民達の目が白くなっていったように、櫻井家に物資を売らない店が出始めているように――特に二十歳過ぎて入営しない薫には、相当な非難の目が集まっているに違いない。 大本営発表によると大陸での戦は勝利続きで、戦況は好転しているはずだった。 なのに、世間は暗くなるばかりのように志野には思える。 「雅には、何言っても響かないか」 横顔を見せた薫が、ふっと疲れたような息を吐いた。 志野もつられて、閉じたままの襖に目を向けている。 そう言えば、先ほどから一方的に話しているのは薫ばかりで、雅流は一言も応じてはいない。 不意に、薫が立ち上がって、両手で襖を開けはなった。 ひどく苛立った性急さに、志野は驚いて顔を上げる。 「なんだ、寝てるのかと思ったよ」 雅流は、障子窓に背を預けたままで、片膝を抱き、身じろぎもせずに佇んでいた。 やや俯いた視線は、手元の三味線に向けられており、薫を見上げることもない。 というより、声さえ聞こえていないかのようである。 薫は、不思議に静かな眼差しで弟を見つめ、やがて首を振りながら視線を逸らした。 「雅、前から思ってたけど、やっぱりお前は異常だよ。頭のどこかがいかれてるとしか思えない」 雅流は答えず、やはり無言で、空の一点を見つめている。 薫は、呆れたように舌打ちした。 「戦争なんて、勝つにしろ負けるにしろ、とっとと終わっちまえばいいんだ。ばかばかしい」 怒ったように言うと、上着を掴んできびすを返す。 「俺は出かける。雅、志野はお前の好きにしろ」 薫が、その外見を裏切って、不誠実でだらしないことはよく判っていた。 それでも今夜の彼は、いつも以上に疲れて廃退的に見えた。 乱暴に襖が閉まる音がして、荒々しい足音が遠ざかる。 やがて静かになった室内に、途切れ途切れに爪弾(つまび)かれる、雅流の弦の音だけが響き始めた。 |
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