聞こえる、恋の唄
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第三章
「志野と雅流」
………<2>………

「終わったぜ、雅」
 
薫が、無雑作に襖を開ける。

それまで、ずっと流れ続けていた三味線の音が止んだ。

「ご苦労さん。これでお袋も疑わないだろうな」

雅流は何も答えず、三味線を抱えたまま、のそりと立ち上がって歩きだした。

今夜の雅流の役回りを理解し、志野は全身の血が引くような気持ちがした。

というより、理解できなかった。
どうして、雅流様は、そんな――。

雅流が薫の傍をすり抜けようとする。その時だった。

「次は、綾女を呼んでみるか」

からかうような眼で、薫が笑った。

不意に、雅流が足を止めた。
初めて見せる獰猛さで、薫に掴みかかろうとする。

ひらりと身をかわし、弾けたように薫は笑った。

「素直だなぁ、雅は。そんなに好きなら、綾女と一回寝てみろよ」

「……うるさい」

二人の会話から、うつむいていた志野にも判った。

雅流は、兄の婚約者に片恋しているのだ……。

まとめていた髪が解け、肩に落ちた。

同時に一滴の涙が零れ、志野は袖で素早く拭った。

絶対に泣くものかと思っていた。
こんなことで――絶対に。

「志野、お袋はな、お前だけが楽しみなんだよ」

耳元に、薫が口を寄せて囁いた。

「お前がいなくなれば、お袋はがっくりくる。お前はお袋の生きがいなんだ。それを絶対に忘れるなよ」

奥様には言えない。

最初からそれだけは判っている。

二人の息子を盲目的に愛している御園は、志野の言うことを信じても信じなくても、深く傷つき、苦しむだろう。

何があっても、奥様を悲しませる事だけはできない。

「また来いよ、志野」

薫は笑い、志野は理解した。

「世が世なら、殿様の御手がついたんだ。これからもありがたくお受けするんだな」

この恐ろしい夜から、もう、逃げる事はできないのだと。――


       ※

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