聞こえる、恋の唄
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第二章
「残酷な運命」
………<3>………

普段は、大学の寮に入っている薫と雅流だが、鞠子と同様、月に一度の出稽古の日だけは実家に戻ってくる。

兄弟は広い邸宅に別々の部屋を持っていたが、自室とは別に、庭の離れに三味線のための稽古部屋を有していた。

畳敷きの部屋が二間あり、ちょっとした一戸建て程度の外見を有している稽古部屋は、寝具なども揃えられ、その気になれば寝泊りできるようになっている。

薫か、雅流か――どちらかが屋敷に戻っている時、彼らは大抵、離れに籠って三味線の稽古をしている。
時には二人で連弾していることもある。

 
少し離れた母屋にも、その音色は聞こえてくる。

そして音色だけで、志野にはわかる。

弾き手が、兄なのか弟なのか。怒っているのか上機嫌なのか。

今も、湿った土の匂いに包まれながら、暗い庭を突っ切っていく志野には判っていた。

弾いているのは――雅流だ。

曲目は『時雨西行』。
雅流は最近、ずっとこの曲ばかり弾いている。

まだ、細かい所が自分のものになっていないせいか、ぎこちなさが随処に残る。

けれど、ひとつひとつの音に深みがある。巧みではないけれど、心が洗われるような澄んだ音色――。

「……失礼いたします」

障子の前で手をついてそう言うと、中の音が止んだ。

「入れ」

三味線の音が途切れ、代わりに冷たい声がする。

弾いていた雅流の声ではない、兄の薫の声である。

障子を開け、膝でにじるように室内に入る。

志野は目を伏せ、平伏したままでいた。

視界に映るのは、黒の靴下を穿いた足――。

「雅、向こうで弾いててくれ。一応三味線の稽古ってことになってるからな」

「わかった」

冷めた返事が、少し離れた場所から聞こえる。

低音なのによく響く声――雅流の声だ。

「来いよ」
 
別人のように乱雑な口調で、薫は、志野の腕を引いて立ち上がらせた。


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